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思い出の品を捨てにくい理由と、その理由を乗り越えて、ちゃんと捨てられるようになる考え方を紹介します。
夏休みは、子供が家にいるし、お盆になれば、帰省して、ふだんは会わない家族に会うから、夏は思い出の品の見直しをするのにいい時期ではないでしょうか?
今、日本はとても暑くて、片付ける気になれない人も多いかもしれませんが、写真や手紙、実家に残しっぱなしの自分の古い物などを整理したいと思ったら、続きを読んでください。
人は思い出の品に限らず、いったん手に入れたものや、十中八九手に入ると期待しているものを手放すときは、必ず痛みを感じます。
思い出品の場合は、さらにこんな理由で捨てにくいと考えられます。
1.捨てると楽しかったできごとを忘れてしまうと思うから
思い出の品は、過去の楽しかった体験やそのとき感じていた感情を象徴するもの。捨ててしまうと、楽しかったできごとを失いそうな気がして、捨てにくい。
そんな理由から、写真や過去の子供の作品、子供が使っていたもの、自分が大昔に持っていたものをたくさん持っていることがあります。
つまり、昔のことを忘れたくないわけです。
でも、なぜ、忘れたくないのでしょうか?
たぶん、昔のこと(体験や感情)を忘れると、今の自分が存在しなくなる気がするからでしょう。
実際、「これを捨てると自分がなくなりそうです」というお便りをよくいただきます。
自分はなくならない
「失いそう」「なくなりそう」
そんな気持ちが強くて、押入れや部屋の中が、過去の遺物でいっぱいの人や、自宅だけでは間に合わず、高いお金を出して、トランクルームに思い出品をびっしりしまっている人に私は言いたいことがあります。
思い出品を捨てても、絶対自分はなくなりません。
自分を自分たらしめているものは物理的な物ではないと私は考えています。
朝起きて、「あ、私はきのうの続きの自分だよね」という暗黙の了解のもと、1日を始めることができるのは、物があるからではなく、記憶があるからです。
自分は記憶そのものなのです。
頭の中で、子供のときあったことや、数年前に考えたこと、ちょっと前に思ったことを覚えている限り、なくそうと思っても、自分はなくなりません。
もう何十年も箱の中に詰め込んで存在を忘れていた物を捨てても、自分はなくならないので安心して捨ててください。
2.人とのつながりを失うと思うから
思い出品の代表と言えば、遺品や形見、人からいただいたプレゼントです。
このような物を捨てにくいのは、亡くなった人や、その品物とゆかりのあった人とのつながりがなくなってしまうと恐れるからです。
私の母も、昔(55年ぐらい前だと推察)、私の父方の祖父が家に置いていった百人一首を、「これはおじいさんがくれたやつだから」と言って、決して処分しようとはしません。
まあ、百人一首一箱ぐらいなら、ずっと持っていてもいいかもしれません。箱を含めて全部紙だから、母が亡くなったとき、お棺に入れて燃やすのもそう負担ではないでしょう。
かるたが重なっていると燃えにくいから、火葬業者に断られる可能性もありますが。
でも、母にとってこの百人一首は、大事にしているものリストの相当下のほうにあると思います。
だって、全然使ってないし(使っているところを目撃したことがない)、2014年に、私が座敷の天袋の奥のほうにあるのを発見するまでは、その存在を忘れていたのですから。
私は、自分が死んだあと、棺に私が大切にしていたものを入れて遺体と一緒に燃やしてほしいとはまったく思っていませんが、仮にそう思っていたとして、大事なものを大事なもの順に上位5つ選ぶとしたら、人が勝手に家に置いていったものは、まず、入りません。
人が置いていって(ギフトとも言える)使ってないものより、生前、日常で自分が大事にしていたもののほうが重要ですよね?
ところが、私たちは、人からもらったものや、引き継いだものを、とても大事なものだと思ってしまいます。
そうしたものを捨ててしまうのは、罪悪感があるし、それが親の遺品なら親不孝な気がするし、すでに成人した子供(存命している)のものなら、子供とのつながりがなくなるようでさびしいのです。
つながりは別の形で残せばいい
人とのつながりを大事にしたくて、思い出品を整理できない人には、「つながりはなくそうと思ってもなくならない」とお伝えします。
1番に書いたように、物がなくなっても、その物が象徴していた感情や経験はなくなりません。
それは確かにあったわけで、これからも存在し続けます。あったものを、ないことにするのは、相当難しいと思います。
私たちが何かを経験して感じたことは、全部脳内にあるはずです。記憶の奥の奥のほうに。
「忘れた」と思うのは、それを引き出せないからです。
思い出品を見れば、その記憶を引き出せるので、みな、思い出品をキープしようとします。
ですが、記憶のきっかけとして持ちたいなら、実物を持つ必要はないですよね?
繰り返しますが、それを残した人やくれた人とのつながりはなくならないので、つながりを思い出すきっかけとして機能するものだけを残せばいいのです。
多くの場合、デジタル写真で十分です。
あるいは、忘れたくない自分の感情を文章にしたためておいてもいいでしょう。
何度も思い出すとその記憶は強化されます。
忘れたくない思い出があるなら、思い出品を箱の中に入れっぱなしにせず、手元に置き、毎日真剣に見て、昔のことを思い出してください。1年ぐらいやれば、物はなくても、すぐ思い出せるようになります。
3.ノスタルジア
ノスタルジアは過ぎ去った時代を懐かしむ気持ちです。
思い出にひたってほっこりするのに必要だから、思い出品を捨てるわけにはいかない。そう思って大量の思い出品を転勤や引っ越しのたびに、移動させている人もいるかもしれませんね。
確かに、郷愁にひたれば、いい気分になれます。
いい気分になるのは悪いことではありません。
ものがなくても郷愁を覚えることは十分可能
なつかしい気分にひたりたいから、思い出品をたくさんもっている人には、「思い出にひたるのにそんなにたくさんの物はいらないよ」と言います。
昔のことを思い出したいなら、箱の中から、ほこりだらけの人形を引っ張りださなくても、インターネットで、昔の流行語を調べたり、YouTubeで当時流行っていた音楽を聴くだけで十分です。
2番に書いたように、写真として残しても、思い出せます。
先日私は、YouTubeで、「キーハンター」というドラマのオープニングとエンディングを見て、「あ~、これ小学校のとき見てたわ」と懐かしい気分になりました。
これまでの人生で何度も「キーハンター」について思い出したので、実は、オープニングなど見なくても、私はこのドラマのことを思い出すことができます。
若い頃、このドラマの主演の千葉真一さんや野際陽子さんの話が出るたびに、「キーハンター」という単語が出てきて、そのたびに、小学生のとき、月曜になると、学校の休み時間に、友達と「きのうのキーハンターは、こうだったんだよ」という話をしたシーンが頭に浮かびました。
私は昔から夜に弱く、「キーハンター」が終わる前に寝てしまうので、いつも友達に結末を聞いていたのです。
こういう話を書いているだけで、十分郷愁にひたれます。
郷愁にひたりたいなら、昔を知っている家族や友人と話をするだけでいいのです。
大量の思い出品を持つ必要はありません。
4.逆にいろいろと思い出したくないから
多くの人は、何かを思い出したいから思い出品をキープしますが、逆に何も思い出したくないから、思い出品の処分が進まないことがあります。
過去にあった嫌なできごとを一気に思いだしそうだから、昔の物が入った箱を開けることができない。
過去のできごとに気持ちのけじめをつけるのがおっくうだから、大量の写真の処理に手がつかない、など。
いろいろな思い出が押し寄せてくるのが怖いから、思い出品の整理が手つかずになるわけです。
この理由のせいで、遺品処分が進まないこともあります。
他のものを捨ててみる
思い出が押し寄せてきて、感情が千々に乱れるのが怖い。
そんなときは、無理に思い出品の整理をする必要はないと思います。心の準備ができるまで待ってはどうでしょうか?
その代わり、思い出品以外のものを断捨離してください。
全然着ていない服や使っていない食器、引き出しに5年以上入っているボールペンや付箋を処分しましょう。
こうしたものを処分していくうちに、心が次第に整ってきて、思い出品と対峙する準備ができると思います。
もし、過去にあった特定の思い出のせいで、今も、気持ちがふさぐことがあるなら、心のガラクタを捨てることもやってみてください。
心のガラクタの捨て方は、過去記事にたくさん書いています。
気分がめいる梅雨時こそ、心のガラクタを捨てるチャンス。うまく捨てる4つの工夫。
過去に書いた思い出の品を捨てる話
たくさんあるので、新しめのものを5つだけリンクします。
⇒思い出は心の中にあるから物はいらない。こう割り切れない時の気持ちの整理の仕方。
⇒実例あり:今の生活の中で、もっと思い出の品を楽しむ5つのヒント
⇒思い出品に執着がありすぎて、部屋がスッキリしないときはこうしてください。
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思い出品を捨てにくい理由と、それを乗り越える考え方を紹介しました。
ほかにも、思い出品を捨てにくい理由はあるかもしれません。
山のようにありすぎて、整理する気になれないとか。
その場合は、少しずつ引っ張り出して、処分してください。
作業を細分化すれば、怖気づくこともないでしょう。
作業の細分化が初耳の人はこちらをどうぞ⇒これならさくさく片付けが進む。断捨離を先延ばししない10の方法
なお私は、思い出品をきれいさっぱり捨てろとは主張していません。ただ、厳選しろ、と言っています。
たくさんあると、スペースを取られますからね。