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読者のお問い合わせにお答えします。友達からいらない物をもらってばかりいて、ストレスになっており、大変困っているというご相談です。
まずいただいたメールをシェアします。
いらない物を押し付けられて困り果てています
Nさまより
件名:人からの物を断る方法
少しストレスになって来てる事があります。
我が家は、小学生と未就学児の娘とアメリカ人夫がいる4人家族です。
アメリカならではなのか分からないのですが、ご近所さんや子供を通してのお友達から、食べ物や子供の物(文房具など)を頂きます。 でもこれら全てその方達が、教会のバザーで残った物やフードバンクなどで残って自分の所で処理出来ない物を、持って来ます。
食べ物については毎回断ってるのですが、私の断り方が甘いのか、結局貰ってとなります。
毎回最初はうちは食べれないから他に回してと言うのですが、私しかいないと言われ押し切られます。涙。
でもほとんどが結局食べません。 凄いストレスです。何故、自分達だけの分だけ貰って来ないのでしょうか? 今日は、1ヶ月前に貰った大量のオレンジが冷蔵庫で腐ってて捨てました。
我が家は平均以下かもしれないけど、自分たちで食べたい物は買えます。ましてやフードバンクの残りなど、気持ち悪いです。少し距離を置こうとしても、テキストやらラインやら。
また、今日も家から出たらご近所の人が、クレヨンも余ってるから持って行くわと言われて、正直クレヨン要らないですと言えませんでした。クレヨン位買えます。
何故、自分達で処理する以上の物を貰って来て他人に押し付けるのでしょうか? これが新品ならまだ分かるのですが、期限が切れた食べ物、バザーで残った知らない人が使ったであろう物。
これらを断るいい方法はありませんか?
また断るのも凄いストレスになります。 どっちにしろストレスなんです。
筆子さんならどういう断り方をしますか?
断るイコール悪みたいな感じで、断る時凄く神経を費やします。
後は、ご近所の中国人ママ(仲はいいです。)からも、子供服の大量のお下がりが来ます。正直、シミとヨレ感と趣味が違い過ぎて着れません。 捨ててもいいでしょうか?
どうぞよろしくお願いします。
Nさま、お便りありがとうございます。
文面からストレスが伝わってきます。
私はカナダ在住ですが、人から物をもらいすぎて困ったってことはないですね。以前、相当貧乏で、食べる物にも困っていたときもありましたが、そういう人のところには回って来ないようです。
さて、すでにご自身で書いておられるのですが、しっかり断っていないのではないでしょうか?物をくれるのは、アメリカ人なのか、日本人なのかわかりませんが、LINEで連絡をとっているそうなので、日本人ですか?
アメリカでは、LINEが全くと言っていいほど普及していませんよね。
私なら以下のように断ります。私は無表情になってしまいますが、多少、にこやかに言うといいかもしれません。
Thank you for your thoughts, but I don’t want them. No thank you.
日本語なら、「お気持ちはうれしいけど、いりません」と言うだけです。
ごちゃごちゃ言い訳する必要はなく、丁寧に、しかしきっぱりと「いらない」と言えばいいのです。ノーサンキューと言うだけです。
「受け取りたくない」「いりません」といえば、無理に押し付ける人もいないでしょう。
欲しくないものをもらってストレスになっているせいか、Nさんは、すでにフードバンクというシステムや、物をたくさんもらってくる人たちのことを、うらんでますよね?
こういうマイナス感情を持ってると、そのうち病気になりますので、きょうからきっぱりノーという練習をしてください。
断ることはべつに悪ではないです。私たちは、イエスと言うこともノーと言うこともできるのです。それは自分の選択です。
お友達が自分たちだけでは処理できない物をもらってきてしまうのは、その人たちの問題であり、Nさんには関係ないことです。そのようなことを、あれこれ考えあぐねる必要はありません。他人の考えていることは、他人ゆえに、自分にはわからないものです。
いらない贈り物をうまく断る方法
少しでも断りやすくなるように、いくつかヒントを書いておきます。
思考を変える
「断ることもストレス」と書かれていますが、「断ることは人としてやってはいけないことだ」と思っているからかもしれません。
そこで思考を変えてください。
こちらの記事に、ノーと言ったほうがいい理由を書いているので確認してください⇒断る勇気を持とう。上手にNo(ノー)と言う方法
こちらには、断ることは悪いことではない、という見解について書いています⇒ミニマリストはNo(ノー)と言うことを知っている~シンプルに暮らしたいあなたへ
この2つの記事は、ノーと言ういろいろな場面を想定しているので、以下に、特に「いらないプレゼント」を断るときのコツを紹介します。
感謝の気持ちは伝える
その贈り物に対して、憎しみしか感じないかもしれませんが、友情から物をくださるのかもしれないので、その友情、心遣い、愛情には感謝の気持ちを表してください。
どこまでもはっきり断る
あいまいに断るのではなく、自信を持って、はっきり「いりません」と言ってください。
贈り物の本質についてレクチャーする
プレゼントというのは、相手を喜ばせるためのものであり、苦しめるためのものでありません。
この点を相手に言ってみては、どうでしょうか?
「ありがとう。でも、家では役立たないから」と断って、相手が引き下がらないようなら、「ねえ、贈り物って、相手を喜ばせるためにあるんだよね?私、これもらうとかえって不幸になるから、だから受け取れないよ」と言ってみてください。
もらったものを返す
いったんもらってしまったもので、返せそうなものは返してください。「やっぱり使わないから」と言って。
贈り物を突き返されると、たいてい人は、「なんて失礼な人なの」と憤慨しますから、もう何もくれないでしょう。
もらってしまったものも不用なら捨ててもいい
いらないオレンジを腐らせてしまったなんて、もったいないですね。西海岸にお住まいでしょうか?
そのあたりはオレンジやレモンが豊富で安く手に入ってうらやましいです。私が住んでいるところでは、柑橘類はとっても高いですから。
不用品をもらってしまうと、家の中で死蔵されるだけです。まだ食べ物はいいのです。腐るから捨てられます。
しかし、古着なんてもらった暁には、いつまでたっても腐らないので捨てられない人はなかなか捨てません。古着たちは、クローゼットの奥のほうで、誰の役にもたたず、うとまれながら、服としての一生の終わりを静かに待つことになります。
もうもらってしまった服が不用なら捨てていいです。寄付センターに持ち込めばいいのではないでしょうか?
寄付センターで思い出しましたが、実は、7時間ほど前に、「災害支援リサイクルセンター」という事業の責任者の田中さんという方から、自分の事業をブログで紹介してほしいというメールをいただきました。
ホームページやブログを拝見したところ、怪しい会社ではないようなので、Facebookへリンクを貼っておきます。
震災が起きた場合の備えだけでなく、被災地への援助もまた準備が必要だと思い、本事業を立ち上げました。
とのことです。興味のある方は、ホームページをチェックしてください。
ホームページに不用品の定義が書いてあり、このサイトにおける「不用品」は、比較的新しく、充分に使用でき、市場価値が残っている物だそうです。
つまり、こわれていて使えないものは、廃棄しろ、ということです。
もらった古着に、どの程度汚れやシミがあるのかわかりませんが、市場価値がなかったら廃棄してください。
私なら、少しウエスにして、残りを寄付センターに持ち込みます。私が、娘や自分の服を寄付していたときも、コンディションのいいものだけを持ちこんでいました。娘の服は、出す前に洗濯していましたよ。
贈り物を捨ててしまったあとで、贈り主に、使ってないことをとがめられるのが心配だ、というならこちらの記事を読んでください⇒人からもらった贈り物を捨てる3つのコツ、罪悪感を感じる必要なし
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友人たちと、距離をおきたいのに、テキストやLINEが入ってくる、とのことですが、返事をしなければいいのですよ。
真の友達は、相手のことを気遣う人たちであり、自分の都合だけで、贈り物責めにする人たちではありません。
そういう人たちとのつきあいはほどほどにしておけばいいのです。
最後に、仏陀の逸話を1つ紹介します。
仏陀と怒れる男の話です。いろいろなバージョンがあるのですが、だいたいこんな話です。
ある日、仏陀が村を歩いていたら、何かの理由で仏陀にうらみをいだいている男がやってきて、とんでもない罵詈雑言を吐いて仏陀を侮辱しました。
男はすごく怒って、真っ赤な顔をして言いがかりをつけていましたが、仏陀は顔色1つ変えず、言い返しもせず、静かにしていました。
男に言いたいだけ言わせたあと、仏陀はこう言いました。
「もしあなたが、誰かに贈り物を買って、相手が受け取ろうとしないとき、その贈り物は誰のものだと思いますか?」
突然妙ちくりんな質問をされて、男は面くらいましたが、「え~と、それは俺のものだな。だって俺が買ったんだから」こう答えました。
仏陀はにっこり笑って、「その通りです。それは、あなたの怒りにも言えることです。あなたがどんなに私に怒っていても、私は受け取らないので、その怒りは、あなたのものなのです。
あなたは、自分の怒りで不幸せになりますが、私には関係ありません。あなたが今したことは、自分を傷つけることなのですよ」。
この話は、人に変ないいがかりをつけられたり、ひどい言葉で傷つけられたりしても、その「贈り物」を受け取らなければいいのだ、という教えです。
これは物理的な贈り物にも言えると思うのです。人が私たちに投げかけるものは、いつも素晴らしいものばかりとは限りません。
私たちは、受け取らない選択をすることができるし、時にそれは必要なことなのです。