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不用品を捨てることが苦手な人に、ちゃんと捨てられるようになる代表的な考え方(マインドセット)を5つ紹介します。
「これ、明らかに不用なのに、捨てられない」、そう思ったら、何度もこの記事を読んでください。
何度も読んで、ごく自然にこういう考え方ができるようにしてしまうと、「捨てられない~~~っ」というストレスから解放されます。
1.物は多すぎないほうがいい
物がたくさんありすぎると生活しにくくなる。
こう考えてください。まあ、当たり前ですよね。捨てることが苦手なあなたも同意してくれると思います。
たくさんあると、家の中にある収納スペースだけでは収納しきれないので、特殊な収納の工夫をすることになります。すきま収納をするためのグッズを100円均一ショップや量販店から買ってこなければならなくなるでしょう。
するとまた物が増えます。
手のこんだ収納を試みてもまだ追いつかず、物がテーブルの上、カウンターの上、床の上、家具の上にあふれます。
するとどうなるか?
暮らしにくくなってストレスがたまります。
つまり、自分や家族のためによくありません。
物はありすぎないほうがいいんです。
洋服、靴、バッグ、化粧品、キッチンツールなど、すでに似たような物がいっぱい家にあるのに、また新しいのを買ったり、もらったりするのは、「もっとたくさんあったほうが、人生がよくなる、生活の質があがる、私はより幸せになる」と思っているからですよね?
この考え方を改めてください。
物が多すぎるとかえって生活の質が落ちます。これ本当です。
2.物と記憶は別物である
思い出の品や記念品を捨てることが苦手な人は、物と記憶をごっちゃにしています。
この2つは全く別物である、と考えてください。
学生証を捨てて後悔した人がいましたが⇒捨てたことを後悔しても無駄なのでさっさと次へ行こう、と言われてもうじうじ悔やむ人へ。
若い頃の自分の写真がついている学生証は、楽しかった青春時代の思い出かもしれませんが、その思い出、つまり記憶は、自分の中にあって、学生証にはありません。学生証そのものが含有している思い出はゼロ%です。
物があろうとなかろうと、自分の脳がふつうに機能しているかぎり記憶は残ります。
思い出がなくなるのを恐れて、山のように、記念品や写真をキープしている人は、物と記憶が本当に同じものなのか、もう一度考えてください。
家族の遺品整理をした人はわかるでしょうが、持ち主にとっては、とても大切だった思い出の品々が、他人の自分には、ガラクタに近いものに感じられることがよくあります。
もし、本当に、物と記憶が一緒なら、誰がその遺品を見ても、持ち主が感じていたのと同じ記憶がよみがってくるはずです。
しかし、もちろん、そんなことは起きません。
物と記憶は別物だからです。
思い出の品をかかえこむ人は、それをずっと持ち続けて、時々見たり、さわったり、頬ずりしたりしないと、楽しかった思い出が消えてしまうと考えているのかもしれません。
でも、大丈夫です。品物が家の中になくても、記憶は残ります。
自分にとってその記憶が本当に大事なことなら、脳は忘れません。
思い出品に執着がありすぎて、部屋がスッキリしないときはこうしてください。
3.支払ったお金はもう戻ってこない
100円均一ショップで買った物は気軽に捨てられても、ちょっと値段が張った物は捨てられないことがあります。
それを捨てると、支払ったお金を無駄にしてしまうことになる、と考えるからです。
この考え方は間違っています。
その品物をふだん全く活用せず、ずっと押入れに入れっぱなしなら、すでに、お金は無駄になっています。
今さら何をどうしようと、その無駄にしたお金は取り戻せません。
無駄になっただけでなく、「不用品の管理に使うお金、時間、スペース」が、毎日上乗せされて無駄になっています。
1日ごとに利息が増えていくカードローンみたいなものです。
支払ったお金を取り戻す道があるとしたら、それを使うことぐらいでしょうか?
しかし、もう何年も使っていないとしたら、そもそも、それはあなたの生活には全く必要ない物だったのです。
これまでどおりの暮らし方をしていては、死蔵品を使うことはできません。生活の変革をしない限り、使えません。
生活を変える覚悟があなたにあるでしょうか?
私は、死蔵品を使うチャレンジをずっとしていますが⇒死蔵品を作らないために、すでに家にある物を使う4つの戦略。
物によってはけっこう使い切るのが難しく、「捨てたほうがいいな」と思うことがよくあります。
死蔵品が10点以内なら、なんとかできます。でも、100も200もあったら、使い切るのは本当に大変です。
繰り返します。生活を変えて、それを使う覚悟があなたにありますか?
なければ、さっさと手放したほうがいいです。売る選択をすれば、面倒ですが、多少はお金を手に入れることができるでしょう。
高かった服を捨てるのはお金を捨てるような罪悪感があり、捨てられません。
4.ギフトはもらったときに役目が終わっている
ギフトを捨てられない人は、贈り物はもらったときに役目を終えた、と考えるといいでしょう。
あるいは、もらった物は自分の物だから、自分が好きに管理すればいいのだ、と考えてもいいです。
贈り物は、「ありがとう」と言って、受け取ったときに、くれた人の気持ちにむくいています。
というか、そもそも、相手の気持ちにむくいる必要があるのでしょうか?
一口に贈り物といっても、いろいろな種類があり⇒すべての贈り物が「愛あるもの」ではない:ガラクタの出どころを見極めよう(その3)
好意から発生していない贈り物もたくさんあります。
「これはまぎれもなく、相手の愛情がいっぱい詰まっている贈り物だから、捨てるわけにはいかない」と思うときは、贈り物をキープすることで好意にむくいようとするのではなく、別の形で、お返しをすればいいと思います。
死蔵品をためこむことだけが、好意を示す唯一の方法だと思い込むのはやめましょう。
まあ、多くの人は、「相手の好意にむくいたい」という強い使命感のもとに、贈り物をキープしているわけではないでしょう。
ただ、なんとなく、持っているだけではないですか?
それを持ち続ける意義を考えて、早めに手放すことをおすすめします。
5.必要になったときに調達すればいい
「いつか必要な時が来るから」。
不用品を捨てない人の典型的な言い訳です。
個人的には、「そんな時、来ないし」と言いたいところですが、百歩譲って、8年ぐらいあとに、本当にそれが必要になった時が来たとしましょう。
「あ、8年前のあの日、可燃ごみの袋に入れて出したあれが、今こそ必要だ!」。
そう思っても、あわてる必要はありません。
新たに店で買ってこればいいだけです。
私の経験では、捨てた物の中で、取替がきかなかった物や、代わりがきかなかった物は1つもありませんでした。
捨てた物があとで必要になって困ったこともありません。
それもそうです。
必要ないから捨てたのですから。
娘が子供のころ使っていた色鉛筆やクレヨンは全部捨てましたが⇒子供のおもちゃを減らす方法。すでにたくさんある場合
それから10年以上あとに、塗り絵を始めたとき、「あ、あのとき捨てた画材があったら使えたかも」と思ったことはあります。
マーカー類は、インクがドライアウトするのが早いので、使えなかったでしょうが、色鉛筆は使えたでしょう。
娘が、まだ水彩色鉛筆のセットを持っていたので、「塗り絵に使うから、使ってないならちょうだい」と頼んだこともあります。
娘は全く使っていないくせに、くれませんでした。私は、後日もっといい水彩色鉛筆を自分で買いました。
つまり、「使えたかも?」とちらりと思ったけれど、結局、もっといい、自分が欲しいと思うセットを買って、塗り絵を楽しみました。
あなたが今、「いつか使うときが来るかも」と思ってキープしている、あんな物や、こんな物も、必要になったときに調達すれば、何の問題もないはずです。
来るのか来ないのかわからない時の心配などせず、必要になってから考えることにし、それは捨てたほうが、今の生活の質はあがりますよ。
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不用品を捨てられる考え方を紹介しました。
「物は多すぎないほうがいい」なんて、当たり前のことですが、ごく自然にそう発想できる人は、なかなかいません。
服は多ければ多いほうがいい、バッグもたくさんあればあるほうがいい、本も1冊でもたくさんほしい、文具もいろいろ揃えたい。
無意識のうちにこう思っているから、物を増やしてしまいます。
「もっと、もっと」と数を追い求めるから、部屋が散らかることに気づいてください。