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2014年の夏、暑い中、母と一緒に母のものを断捨離した様子をつづっています。きょうは実家を片付けるときにふさわしい断捨離の仕方と実際に私がとった方法をお伝えします。
実家の片付けにふさわしい断捨離方法とは?
実家の断捨離の仕方ですが、自分の家を片付けるのと同様で、大きくわけて、2つのやり方があります。
1.近藤麻理恵方式:カテゴリーごとに捨てる
2.場所ごとに捨てる
カテゴリーごととは、洋服なら洋服だけを、本なら本だけを集めて断捨離することです。こんまりメソッドでは「残すもの(ときめくもの)」を選び、ほかは捨てます。
こんまりは、「場所ごとに捨てるから、いつまでたっても片付かない」と言います。
確かに、物をカテゴリーごとに捨てようとすると、たとえば洋服なら、自分の持っているすべての洋服をどさっと出しますから、洋服のストックが目視できます。不用品の見える化ができるので効果的です。
たいていの人は「ああ、私、こんなに洋服持っていたんだ。これはいくら何でも多すぎる」と思うでしょうから。
何かを減らしたいとき、1番最初にやるべきことは現状把握なので、カテゴリーごとに「今の状態」を知ることができるこんまりメソッドはこの点にメリットがあります。
しかし、これで家の中全体の片付けをしようとしたら、相当時間がかかってしまいます。自分の部屋、1部屋だけなら、いいかもしれませんが。
私が母の家に滞在したのは、5週間ちょっと。一時帰国というのは、日本でしかやれない用事をいろいろこなす必要があり、いつも何やかやと忙しいです。
しかも滞在の半分以上、日本語を読むことも話すこともできない娘が一緒だったので、娘の世話もありました。
時間の制約があったので、こんまりメソッドはしませんでした。
でも、これでよかったと思います。というのも、こんまり方式は、本人に「どうしても片付けたい」という強い動機付けがないと成功しないからです。
母の場合、そこまで「片付けたい」と思っていたわけではなく、私が「片付けたほうがいいよ」と言うので、何となくやっていたのです。私は「生前整理してもらおう」と思っていましたが、本人にそんな意識はなかったようです。
それに「持ってる洋服全部出してよ」なんて言ったら、洋服出すだけで、何日もかかっていたことでしょう。
断捨離は毎日朝の涼しいうちに30分前後やっていただけでしたから。
私が実際にとった方法は、ある時はカテゴリーごと、あるときは場所ごとに捨てる、というもの。現場主義とも言えます。
たとえば母が「これはもういらないわ」と古い財布を出してきたら、「もっと財布あるんじゃない?いらないポーチとかない?」と聞いて、同じものを出してもらいました。
またある時は、台所の流しの下の1つとか、天袋3つと場所を決めて片付けていました。
結局この方法でかなり物を捨てられたので、こんまりメソッドにこだわらなくても、物は次第に減っていくと思います。
近藤麻理恵のやり方についてはこちらをどうぞ⇒近藤麻理恵の「人生がときめく片づけの魔法」の英語版の感想~ベストセラーの秘密は東洋の神秘にある?
捨てる物がないか軽く聞いてみる
いつも私が「きょうは、何か捨てるものある?」と母に聞いていました。すると母は、たいてい「もうない!」ときっぱり言いました。
そんな時、私は「あ、そう」と言って、それ以上はプッシュしません。変わりに廃品回収に出すために、自分の本をしばったり、自分の部屋の掃除をしました。
するとたいていこのへんで、母は、
「そういえば、あれあれ、あれ、もう捨てるわ」と言って、何か持ってくるのです。
ある朝、持ってきたのは、もう使っていない炊飯器でした。
この日は、たまたまた炊飯器でしたが、最初に母が何をどこから持ってきたのか見て、それが入っていたのと同じ場所を片付けるように言ったり、その品と系統が似ている物を捨てるやり方をよくしました。
なるべく自然な流れで、まるで掃除のついでであるかのように、断捨離するのが親と一緒に片付けるコツだと思います。
母が炊飯器を出してきた日に捨てたものは、以下のものです。
親の家の片付けシリーズを最初から読む方はこちらからどうぞ⇒実録:親の家を片付ける(1)~まずは自分のものをどんどん捨てる
古い炊飯器がきっかけで捨てられたもの
まず、こわれかけた古い炊飯器
昔家族4人のときに使っていた5号炊きの炊飯器。母は「昭和40年代の始めごろに買った」と言ってましたが、もう少し年代が新しいかもしれません。
昭和48年に父が亡くなり、家族3人になり、その10年後ぐらいに弟が家を出て、5号炊きの出番は完全になくなりました。
現在母はごく小さい炊飯器を使っています。もう家族が増えることはないので、この炊飯器は捨てました。
こわれているミキサー
炊飯器ほど古くはないのですが、こわれています。考えてみると母はよくミキサーを買うのです。
なかなか「これだ」というミキサーに出会わないからだそうです。
なぜこわれているのに、持っているかというと、「付属品がいいやつだから」とのこと。ごまを挽く専用の刃とそれ用のガラスの入れ物が気に入っていると言うのです。
しかし、使ったあとはあまりありませんでした。これも捨てました。
一度も使っていない茶碗蒸しセット
天袋にはものすごく古いものも入っていました。これは母が新婚当時(昭和32年ごろ?)買ったもの。
当時、何1つ食器を持っていなかった母は、ノリタケの洋食器の頒布会に入っていました。それで届いたのがこの茶碗蒸しのセットです。57年持っていて、1度も使っていませんでした。
1度も使っていないのに中身はすごく汚れていました。もしかしたら一回ぐらい使ったのかもしれません。
頒布会は自分の好みでないものや、さしあたり必要でないものまで届きますからやっかいです。
この日は他に、なぜあるのかわからない大きな空き箱や、ミキサー用に母が作ったカバーも捨てました。
ミキサーとトースター用のカバーはこれ。
母の手作りです。昔使っていたトースター用に作ったものみたい。しかしもう本体はないのですよね。
カバーは、本体がなければ意味をなしません。
関連⇒なぜ日本人は何でも包みたがるの?今すぐ断捨離できる家の中のカバー類
母は結婚して10年後(推定)に1度引っ越しをしただけで、あとはずっと同じ家に住んでいます。これまで、所持品を見直す機会は特にありませんでした。
引っ越しをしない人は、3年ごとぐらいに意識して「引っ越しシミュレーション」をするといいと思います。ストックの棚卸しをして、現在の自分の暮しに必要ないものは捨てるのです。
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それにしても、57年間、1度も使ってないものをしまいこんでおくことにいったいどんな意味があったのでしょうか?
これは、旅行に行くとき、「もしかして必要になるかもしれないから」とありとあらゆるものをスーツケースに詰め込んで、出かけるようなものです。
飛行機に預けてしまえば重くないし、なんて思って。
けれども、普通の旅も、人生という旅も、持ち物はできるだけ少なく、軽くするほうがいいのです。その分、景色や、風物をより楽しめるのですから。