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「思い出は心の中にある」──これは、シンプルライフを実践する中で私が大切にしている考えのひとつです。
私たちは、人生の大切な瞬間を写真や動画で記録したくなります。
それ自体は悪いことではありませんが、ときには、記録することに意識が向きすぎて、今この瞬間を十分に味わえなくなってしまうこともあります。
思い出の残し方について、考えさせられる読者の体験談が届いたので、紹介します。
ひとつは、お子さんの動画が消えてしまったことをきっかけに、写真や動画との付き合い方を見直した方のお便り。もうひとつは、長年大切にしてきたピアノを手放したことで、新たな気づきを得た方の体験談です。
どちらのエピソードも、大切なものは、心の中に生き続けることを教えてくれます。
まず、写真や動画について考えた、いっくんさんのお便りです。
大事なのは今を楽しむこと
件名:「思い出は心の中にある」という言葉について
お元気でいらっしゃいますでしょうか?2度目のメッセージ、送らせていただけたらと思います🎵
先日は、「最近手放してよかったもの」についてのメールをシェアしていただき、ありがとうございました。
筆子さんと交流できたこと、そして、自分の体験談が読者の方々の参考になるかもしれないと考えると、とても嬉しく感じます。
さて、筆子さんのブログには「思い出は心の中にある」という言葉が度々出てきますが、自分の手元にある写真や動画と向き合いながら、改めてこの言葉の大切さを実感しています。
先日、子供を撮影した動画が消えてしまっているのに気づきました。
お気に入りの動画だっただけにショックを受けましたが、動画の中の子供の仕草や声は心の中に残っているし、動画が消えても、その時過ごした時間までもが消えるわけではないですからね。
そして何よりも、動画が消えてしまったと嘆いている時間があるなら、その時間を子供と過ごしたり、新たな動画を撮るのに充てた方がよっぽど楽しいので、今は気持ちを切り替えて、子供とのこれからの時間を大切にするようにしています。
そして、自分は写真や動画に執着し過ぎることがあるなと実感しました。
楽しい瞬間、思い出に残したい瞬間を、写真や動画で形にしておきたいと思うのは、ごく自然のことだと思います。
ただ、撮影のタイミングを逃さないようにしなきゃと考え過ぎたり、タイミングを逃したことで必要以上にガッカリしたりする時があり、そんな時は「撮影することと今を楽しむこと、どちらが大事か?」と自分の胸に聞くようにしています。
答えはもちろん、「今を楽しむことの方が大事」です。
今を楽しめば、人生が楽しくなる。人生が楽しくなれば、写真や動画に執着しなくなる。
これからも、撮影するしないに関わらず、今目の前にある楽しさに目を向けていきたいと思います!
もちろんブログを拝見するのも、楽しさの一つです。これからも、どうぞよろしくお願いします。
いっくんさん、こんにちは。2度目のお便りありがとうございます。
いつも楽しくブログを読んでいただきうれしいです。
お子さんの大切な動画が消えてしまったんですね。まあ消えてしまったものは戻らないので、そうやって前向きに考えた方がいいですよね。
それに、「思い出は心の中にある」という考えは、私が本当に実感していることなんです。
私も娘が小さかった時、バレエを練習しているところや、学校の学芸会で召使いの役でほんの一瞬、登場したシーンを写真や動画に収めていましたが、私が使っていたデジカメは、動画を撮るためにボタンをずっと押している必要があったので、30秒以上撮影しているとすごく疲れました。
もちろん、いっくんさんと同じように、タイミングを見計らうのにすごく神経を使って、せっかくの劇そのものを楽しめませんでした。
だからある時、もう動画を撮るのをやめたんです。必要なら、最初に数枚写真を撮って、あとは劇なり何なりイベントそのものを楽しむようにしました。
写真を撮り始めるとそれが仕事や義務みたいになってしまうことがありませんか?
記録を残さなくても、大切な瞬間は心にしっかり残るもの。だからこそ、よけいなことに気をそがれることなく、その場の時間を大切にしたいですよね。
それではいっくんさん、これからも人生を楽しんでください。どうぞお元気で。
撮る必要のない写真まで撮っていませんか? 写真を撮りすぎる問題について。
次は音楽好きのMさんのお便りです。
大切なものは心の中に生き続ける
件名:ピアノを手放して思ったこと
私は、幼い頃からピアノを習っていて、いつかプロのピアニストになることを夢見ていました。
両親も熱心で、ちょっと無理して私専用のグランドピアノを買ってくれました。そのピアノは、私にとって宝物であり、夢を叶えるための相棒でした。
でも、高校に入って、私はピアノの才能に限界を感じ、夢をあきらめてしまいました。
それ以来、ピアノを弾くことはほとんどなくなり、ただ部屋の隅に置かれたままになっていたんです。
数年前、実家を離れて一人暮らしをすることになり、私はそのグランドピアノを手放すことにしました。私以外にピアノを弾く人は誰もいなかったからです
最初は、寂しい気持ちがしましたが、引っ越しの日が近づくにつれて、心が軽くなっていくのを感じました。
ピアノにしばられていた過去から解放されたような、自由な気持ちになれました。
ピアノを弾いて楽しかったことは、心の中にしっかりと残っています。音楽の知識も身につきました。
そういうものは、ピアノがなくなっても、消えませんでした。
今もそういう気持ちや、自分で弾いた曲のことは心の中に残っています。
本当に大切なものは、形を変えて、心の中で生き続けるのかなと思います。
Mさん、こんにちは。お便りありがとうございます。
ブログを愛読してくださってうれしいです。
ピアノを手放した体験を教えてくれて感謝します。
プロのピアニストを目指していたのならかなり練習したんでしょうね。その努力は、きっと今のMさんの人生にも活きているはずです。
たとえば、Mさんが遊びたいのを我慢して練習して培った自制心は残っているし、Mさんの音楽に対する愛情も変わらないでしょう。
実は私も子供の時、少しピアノを習っていて、やはり高校に入る前後でやめてしまいました。
でも大人になってからまたピアノの練習をしたくなって、26歳頃に再開し、この時自分で小さなグランドピアノを買いました。
なぜグランドピアノにしたのか覚えていませんが、音色が気に入ったのだと思います。
このピアノは9年ぐらい使いました。
カナダに来てからは、10年ぐらい実家に置きっぱなしになっていました。
たまに姪が遊びにきたとき、ピアノを弾いていたそうです。
弾き手のいないピアノを、母は時々調律してもらっていたようです。
ピアノはインテリアにもなりますが、楽器なので音色を出したいですよね。
もっと早く手放して、弾いてくれる人の手に渡した方がよかったと思っています。
それでは、Mさん、これからもシンプルライフを楽しんでください。
どうぞお元気でお過ごしください。
今週のnoteの更新
私はこのブログの他に、日記などをnoteで更新しています。
今週は以下の記事をアップしました。興味があればお読みください。
統合失調症の人のための支援住宅スタッフ:娘の2つ目のアルバイト
つぶやきは随時更新しています。
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思い出は心の中にあると実感した読者のお便りを紹介しました。
写真や動画は、人によってはすごく重要なものだと思います。
私はもともと写真がそこまで好きではないし、撮影を面倒だと思う方なので、「思い出は心の中にある」と感じやすいのかもしれません。
以前、プロの写真家が「写真を撮らなかったとき、その体験が強化された」と伝える興味深いTEDトークを紹介しました。
その瞬間、写真を撮ることが、あなたから体験を奪うでしょうか?(TED)
写真や動画を撮ることそのものも体験なので、その体験を楽しもうとしたら、義務感から撮影したり、ストレスを感じながら行うのは違うと思います。
撮影した動画や写真は残るので、あまりたくさん残してしまうと後の整理も大変ですよね。
思い出を形として残すか、それとも心の中にとどめるか? その選択に、正解はありません。
写真や動画を撮ることで大切な記憶を振り返ることができますし、一方で、形にこだわらず、その瞬間をしっかり味わうこともまた大切です。
あなたは、どんなふうに思い出を残していますか? よければ、あなたの考えや体験も聞かせてください。
質問や感想があれば、お気軽にメールをどうぞ。
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お便り、お待ちしています。