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「持たない暮し」をすると、時間ができる、節約できる、集中できる、ステレスが減るなどいろいろいいことがあります。
今回は、そんなミニマルライフのメリットの1つである、「より自分軸で生きられる」「自由になれる」その理由ミニマリストになった人なら、多少事情は違っても、同じように自由な気分を獲得していると思います。
1.物に頼るのをやめたので、自分を大切にするようになった
物をたくさん持っていた時は、私は、物に頼りすぎていたと思います。
たくさんの便利そうな調理雑貨を持つのは、「自分は包丁ではうまく調理できない」と思っていたから。
洋服をたくさん買い揃えたのも、「そうしないと自分は魅力的に装えない」とか「自分の好きなスタイルが今ひとつわからない」そんな理由からです。
さらに私の場合は、「なんとなく幸せじゃないけど、これを買ったらもっと楽しくなれるかも」という理由で、いらない物をたくさん買っていました。洋服しかり、文房具しかり、キャラクターグッズしかり。
英語の教材をたくさん買うと、英語がうまくなると思っていたふしがあります。買っても実際に使って勉強しなければうまくならないのに。
本をたくさん買えば、知識が増えて暮しが豊かになると思っていました。いくら本を本箱に並べたところで、中に書かれている知識が自動的に頭にインストールされるわけではないのに。
そんなふうに物に頼っていたので、物にがんじがらめにされていました。人に頼ると支配されてしまうように、物に頼ると物にコントロールされてしまうのです。
ここに自分はありません。
ところが、いらない物をどんどんそぎ落としていったら、自分というものがだんだんあらわになってきました。
フードプロセッサーを捨てて、包丁で野菜を刻むようになり、パン生地も、のしのしと自分の腕と手を使ってこねるようになりました。
車がないから、どこに行くにも自分の足を使います。
物が少ないと手持ちの物だけでなんとかやりくりしようと頭を使うことに。
かくして、私は自分の肉体と精神を極限(というほどでもないですが)まで活かす生活を送ることになったのです。
ミニマリストになってから、すべてのリソースは限られていることを意識するようになりました。時間も、手持ちのお金も、自分の気力も体力も有限です。
そのリソースを有効に使うために、できるだけ健康にいい暮しをするようにしています。
睡眠をしっかり取って、グリーンスムージーを飲んで、運動をする。かくして私は、自分を大切にする人間に生まれ変わったのです。こういうことは物を減らさなかったら起きていませんでした。
2.物を捨てるプロセスは心の旅路をゆくこと
手持ちの物を捨てるとき、自分の人生や欲望について思いをはせない人はいないでしょう。
物減らしをしながらこんなことを考えていました。
「なぜ私、クッキー型ばかり山のように持っているんだろう?使うのはいつも決まっているのに」
「なぜ私、ボールペンばかりこんなに持っているんだろう?学生時代に買った鉛筆がまだあんなに残っているのに」
「なぜ私、プチプラの服のお店ばかり見ているんだろう?もう服は充分すぎるほど持っているのに」
「なぜ私、こんな物持ちで物を捨てられない人と1つ屋根の下で暮しているんだろう?」
「なぜ私、バッグをこんなに買ったんだろう。ほとんどみんなろくに使わないのに」
「なぜ私、ネットショップをぼーっと見てるんだろう?足りないものなんてもう何もないのに」
これらの質問に答えるのは難しく、またつらかったです。決して楽しい行為ではありません。
こういう質問に真摯に答えるためには、自分の来し方行く末を考えることになります。自分の本当の気持ちについて何度も考えることを重ねた結果、「ああ、私がしたいことはこういうことなのかもしれない」と自分の気持ちが少しずつ見えてきたわけです。
私が物を捨てる判断基準の1つに、「これは私の人生をよりよくするのに貢献してくれるのか?」というのがあります。
こちらで詳しく説明してます⇒年末こそ断捨離に決着を。私が物を捨てられた4つの判断基準とは?
こんな質問をするからには、「自分にとっていい人生」とはいかなるものなのであろうか、ということはおぼろげながらもわかっていなければなりません。
ほかにも、これを私は好きなのだろうか、必要なのだろうか、というごく一般的な捨て基準を使うときも、「私って何?」と考えることになります。
必要なものだけを持とうとすると、自分の目で見て、自分の頭で考える努力を強いられます。しかし、そうすることが、これまで自分で作っていた見えない枠のようなものを取り去ってくれたのです。
自分軸の発見です。
おまけに、自分が持っているものは、自分の人生にとってあまり意味がなかったし、それを持っているからといって満たされたわけでもなかった、ということもわかりました。
3.物減らしプロジェクトに成功して自信が生まれた
私はもともとかなり内気で恥ずかしがり屋のタイプ。子供のときや学生時代は自意識過剰で、勝手に劣等感を感じたり、心配したり、取り越し苦労をして、気疲れしていました。
端的に言えば、自分に自信がなかったのです。
社会人になったら、会社でいろいろ鍛えられたせいか、この傾向は次第にましになってきました。
20代の半ばごろには、「人はいろいろ言うけれど、言ったことに対して何ら責任をとってくれるわけではない。私が何をしようと、しまいと、あれこれ言われるのは同じだ」ということに気づいていました。
それでも、まだまだ周囲の目が気になるほうでした。
カナダに来たら、日本ほど「世間の目」を感じなくなりました。最初は感じていましたが。ここには日本の友だちや、家族もいないので、親しい人たちからうるさく言われることもありません。
それでも、物ごとを決めるとき、自分優先というより、まわりの人が自分をどんなふうに見るか、周囲の人の評価優先だったと思います。
たとえば、私は娘が幼稚園のとき、オークションや古着屋で、必要以上に服を買っていました。できるだけ娘をかわいく見せたい、人に「かわいいお嬢さんですね」と言われたい、そんな気持ちがあったと思います。
娘の服を買い過ぎた話はこちら⇒筆子の物を増やした3つの危険な習慣とは?~ミニマリストへの道(10)
自分がほしいと思って買った服ではありましたが、ほしいと思った理由の根底には、人の評価があったのです。これは他人軸です。
物を減らしたら、その軸がだんだん自分よりになってきました。
物を減らそうと思ったのは、ほかでもない自分です。自分で決めて、自分のやりたいように捨ててきました。
いつもうまく行ったわけではありませんが、小さな断捨離プロジェクトを繰り返し、成功体験を積み重ねて来ました。
結果的にかなりの物を処分して、今は自分のことを「ミニマリスト主婦」なんて自称するほどです。
自分なりに試行錯誤して物減らしに成功したので、自信がつきました。自信がついたら、もうあまり周りの目は気にならなくなりました。ここでもまた自分軸が強化されたのです。
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心身を鍛え(1番)、自分の心の中の深いところまで降りていき(2番)、自信が生まれたら(3番)、なんだかとっても気持ちが楽になっていたのです。
これが「物を捨てると自由になれる」ことなんだと思います。
「ミニマリストになりたいけど、他人にいつも同じ服を着ていると思われたくない」というメールをいただいたことがあります。
ミニマリストになれば、たとえそういうふうに他人に思われたところで平気になります。毎日同じ服を着るのは犯罪ではありません。服をたくさん持つのも少しだけ持つのも本人の自由です。
しかも他人はそんなことは気にしません。みんな自分のことで頭がいっぱいですから。自分が頭の中でそう思い込んでいるだけなのです。
「あなた、いつも同じ服着てるのね」と言われたら、「ミニマリストですから」と笑顔で返せばいいだけの話。
もしそこに捨てたい服があり、それを捨てない理由が「他人」なら、捨てれば自由になれます。
ミニマリストになれば、良きにつけ悪しきにつけ、人の言うことはあまり気にならなくなるのです。のびのび暮らせるので、精神的にとても楽ですよ。