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写真に関するTEDトークを紹介します。
大勢の人が、毎日のように写真を撮っていますが、撮り方によっては、写真撮影は、現実を体験する邪魔になります。
タイトルは、Does photographing a moment steal the experience from you?(その瞬間、写真を撮ることは、あなたから体験を奪うか?)
プロのトラベルフォトグラファー、Erin Sullivan(エリン・サリヴァン)さんの講演です。
邦題は、写真を撮る瞬間はあなたから体験を奪うのか?
写真を撮ること:TEDの説明
When we witness something amazing, many of us instinctively pull out our phones and snap pictures. Is this obsession with photographing everything impacting our experiences? In a meditative talk, Erin Sullivan reflects on how being more intentional with her lens enhanced her ability to enjoy the moment — and could help you do the same, too.
何か素晴らしいものを見ると、多くの人は直感的にスマホや携帯を取り出し、写真を撮ります。
なんでも写真に撮ろうとするのは、体験に影響を与えるでしょうか?
思索に富んだこのスピーチで、エリン・サリヴァンは、より意図的に写真撮影すると、どんなふうに、その瞬間を楽しむ力が強化するか説明します。
彼女の話は、皆さんも同じようにできる助けになるでしょう。
収録は2019年の11月。動画の長さは8分23秒。日本語字幕あり。
☆トランスクリプションはこちら⇒Erin Sullivan: Does photographing a moment steal the experience from you? | TED Talk
☆TEDの記事の説明はこちら⇒TEDの記事のまとめ(1)ミニマリスト的生き方の参考に
動画にはサリヴァンさんの撮影した写真がたくさん出てきます。短いし、日本語字幕もあるので、ぜひ動画をごらんください。
ネットには同じ写真がいっぱい
今までに訪れたところで、もっともきれいだった場所はどこですか?
そこで写真を撮りましたか?
ここは、私の好きな場所です。
ユタ州のキャニオンランズ国立公園、朝焼けのメサアーチ。
先住民の居住地で、そても素晴らしいところ。
朝日がアーチの下側をオレンジ色に染め、奥には切り立った丘、雲、崖が見えます。
実は写真には写っていませんが、私の後ろで30人ほどの人が、写真を撮っていました。
みな、朝焼けを撮ろうとやって来た人たちです。
考えてみると、毎週、何百、何千枚と、メサアーチの写真が、撮られています。
私はもう何年もインスタグラムで、自分の写真をシェアしてきました。
最初は、同じ場所の似たような写真が、ネット上にたくさんあるのはおもしろいなと思っていました。
私もそれに参加しているわけです。
義務のように写真を撮る人たち
そのうち不思議に思いました。そもそも、なぜ人は写真を撮るのかな、と。
時々、私は、有名な撮影スポットを訪れます。
これは、アリゾナのホースシューベンドです。
たくさんの人が携帯やカメラで写真を撮ると、トレイルの車やトレイルの出発点まで戻って行きます。
現地にいるのに、自分で体験したり、自分の目で見る機会を逃していると感じることがあります。
カメラ越しに見る世界
カメラ越しに世界を見ると、私はとても小さなディテールに気づきます。
山の光の重なりが1日の終わりに、薄れていく様子や、抽象的だけど完璧な自然の形なんかを。
地球の素晴らしさはとても語り尽くせません。
この世界の美や複雑さを写真に撮ることは、私にとって、愛する人の肖像画を描くようなものです。
写真を撮るとき、私は、その写真で何を伝えたいか考えなければなりません。
写真をとおしてコミュニケーションするには、創造にかかわる選択が重要になってきます。
シェアするための写真を撮るときもあれば、自分のためだけに撮るときもあります。
通常写真は体験を強化する
今、アウトドアの未来がテーマの動画シリーズを運営していますが、以前、写真とアウトドア空間の関係を掘り下げるエピソードを作りました。
そのとき、南カリフォルニア大学のディール教授チームの、「楽しさのレベルに対する写真撮影の影響」に関する研究を知りました。
その研究によれば、カメラの後ろにいるとき、つまり、写真を撮っているときは、その体験をより楽しめるのです。
でもそうでない時もあります。
シェアすることだけが目的のときは、楽しさは増えないんです。なぜなら、自分のためにする撮影ではないからです。
意図的に写真を撮れば、その体験は向上します。
重要なのは、意図があるかどうかです。
写真家として、この点について再確認することになりました。
写真が体験を強化したとき
カメラを取り出したほうがいい時もあれば、そうしないほうがいい時もあります。
アラスカにでヒグマの写真を撮る機会がありました。
ボートにほかの4人のカメラマンと乗り、ヒグマのすぐ近くまで行ったとき、皆、びっくりしました
とても感動的な体験でした。
ヒグマと目が合い、つながりを感じました。それは、言葉を超えた感覚で、この時は、カメラを持っていたことが、その感覚をより強くしました。
皆、ヒグマの写真を撮りましたが、完全にその瞬間にいました。自然や仲間とつながっていたのです。
水しぶきやクマが泳ぐ様子、お母さんグマのあとに、かわいい子グマがついていく様子。すべて鮮明に覚えています。
写真を見返すたびに、このとき、皆とつながった体験を思い出せます。写真があったから、この瞬間を共有できました。
写真を撮らなかったから体験が強化されたとき
一方、カメラを持たずに出かけたから、自分の体験や仕事をよりよいものになる時もあります。
最近、トンガ島にザトウクジラと泳ぎに行きました。
このとき、「カメラを持って行かなければ」、というプレッシャーや義務感を感じている自分に気づきました。ただ純粋に体験したいだけなのに。
写真を撮らずに泳いだ体験はとても素晴らしかったのです。
水中にはステーションワゴンほどの大きさの、好奇心旺盛なクジラの赤ちゃんがいました。
周囲はキラキラと光る水の粒。お母さんクジラは、下のほうで優雅に泳いでいました。
カメラを持っていき、クジラを撮ったときもあり、それはそれで素晴らしい体験でした。
でも、撮影機材がかさばったし、こんな箱のようなものを顔の前につけて撮影しましたが、この箱が自分と現実の間を邪魔している気がしました。
携帯電話を使って写真を撮るときも、そういうことはないでしょうか?
撮影が許可されていないからこそつながりを感じた
昨年、中央オーストラリアのウルルに行きました。ウルルは砂漠に突き出た大きな岩です。
ここは、この土地を所有する先住民族のアナング族にとって、とても神聖な場所です。
ウルルには、プロが写真を撮影できない場所があります。アナング族の聖典に相当する場所だからです。
だから、ほとんどの写真は、遠くから撮ったり、公園の特定の場所から撮ることになります。
ウルルで、もっとも美しい土地は、配慮して、写真撮影を認めない地域にあると言えます。
撮影を禁止されているからこそ、その土地やその場所の大切さ、そして、そこに住む人々のことをより学ぶことができます。
いずれにしろ、それが、私たちのすべきことではないでしょうか?
ウルルでの滞在は、すぐに、自分のためではなく、この場所とつながるためのものになりました。
皮肉にも、そして当然のことですが、その場所にいて、つながることが、より魅力的な写真を作り出します。
写真のシェアから生まれるもの
誰もが、ソーシャルメディアは、旅行や日常生活で撮った写真をシェアするのにいい場所だと言うでしょう。
私たちは、自分が見た世界の一部だけでなく、日々の体験もシェアしています。
意図をもってその写真を撮影しているなら、意図をもってシェアしていると思いたいです。
自分のストーリーやものの見方をネットでほかの人に見てもらうと、自分は1人ではないと気づくことができます。
写真をシェアしたから、サポートする関係やコミュニティを作ることができて、私も他の人のために同じことができました。
撮る前に考えてみよう
みなさんに写真を撮るなと言っているわけではありません。
何千人もの人が、同じ場所で同じ写真を何枚撮っていたとしても、その場所に自分も出かけて写真を撮ることをお勧めします。
この世界には、あらゆる声や見方が必要です。皆さんのも含めて。
ただ、いつも、携帯やカメラを外に出しておく必要はないと言いたいのです。
ほんの少しのあいだだけ、自分のために、カメラをしまってください。
さて、メサアーチに戻りましょう。
岩がオレンジ色に染まって、背景には青い美しい層があります。
次回、どこかきれいな場所に行ったとき、カメラや携帯を持ち出せないとしたら?
いっさい、写真撮影の許可が取れないとしたら?
制限されたと感じますか?
それとも、ほっとするでしょうか?
もし、カメラや携帯を取り出したい衝動にかられたり、私みたいに、もう取り出してしまっていたとしたら、何ができるでしょうか?
まず、止まって、ちょっと間をおいて、深呼吸するんです。
そして周囲を見ます。何が見えますか?
誰かとその瞬間を体験していますか?
その瞬間は一度しかないことを覚えておいてください。
写真は、美しい体験の一部になり得ます。
ただ、写真が、あなたと現実の間を遮るものにならないように。
意図をもって使いましょう。写真を撮ることに夢中になりすぎて、美しいかけがえのない思い出をなくさないでください。
//// 抄訳ここまで ////
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写真を撮る目的は何?
サリヴァンさんは、単にSNSにシェアするためだけに撮るのは、その体験を楽しめないと言っています。
そりゃそうですよね。それはほとんどノルマの消化ですから。
しかも、「こんな素晴らしい体験をしたから、ぜひほかの人にもこの感動を味わってほしい」と思って、写真をシェアすることって、日常的に写真をシェアしている人ほど、少ないと思います。
その写真はただの自慢や見せつけ、自己満足、ひどいときは承認欲求を満たすためだけのものに成り下がります。
そんな写真を撮るぐらいなら、何も撮らず、ふつうにコーヒーやランチを楽しんだり、子供の仕草に目を細めておいたりしたほうがずっといいです。
でも、いつも喫茶店やレストラン、どこか変わったところに行くたびに、写真を撮っていると、それが癖になって、自動的に写真を撮ってしまいます。
時々、「なぜ私はこの写真を撮るのか?」「なぜ撮った写真をSNSでシェアするのか?」「写真を撮ってシェアすることを本当に楽しんでいるか」と考えてみてください。
私はソーシャルメディアをやらないし、写真も撮りませんが、インスタグラムに「いい写真」をのせるためには、とにかく何枚も撮ることが必要だと聞きました。
たくさん撮ってベストショットを投稿するわけです。
人が撮らないような写真を撮るために、危険な場所に行って、怪我をしたり、命を落としたりする人もいます。
写真を撮るのは簡単ですが、「いい写真」や「よりシェアされる写真」を取るためには、けっこう努力や犠牲が必要なのです。
仕事ならいざしらず、普通の人はそんな努力をするより、体験をそのまま楽しんだほうがいいんじゃないでしょうか?
そうすれば、余計な写真もたまらないので、あとの管理も楽ですよ。
撮る必要のない写真まで撮っていませんか? 写真を撮りすぎる問題について。
今度、スマホや携帯で写真を取るときは、サリヴァンさんの言うように、止まって、間を置いて、深呼吸してみてください。
もっと写真を楽しめるようになると思います。