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ワーカホリックや、いつも仕事で忙しい人に見てもらいたいTEDトークを紹介します。
タイトルは、Does Working Hard Really Make You a Good Person?(熱心に働く人は、本当に善良な人間なのか?)
社会心理学者の Azim Shariff(アジム・シャリフ)さんのプレゼンです。
仕事熱心はいいことなの?:TEDの説明
Around the world, people who work hard are often seen as morally good — even if they produce little to no results. Social psychologist Azim Shariff analyzes the roots of this belief and suggests a shift towards a more meaningful way to think about effort, rather than admiring work for work’s sake.
世界中で、熱心に働く人は、倫理的によい人だと思われています。たとえ、その人達が、たいした結果を出していなかったとしても。
社会心理学者のアジム・シャリフは、この信念の根底にあるものを分析し、仕事のための仕事を称賛するのではなく、努力について、より有意義に考えることを提案します。
収録は2023年の2月、動画の長さは12分。英語字幕あり。動画のあとに抄訳を書きます。
☆トランスクリプトはこちら⇒Azim Shariff: Does working hard really make you a good person? | TED Talk
とても興味深いプレゼンです。
ソフトを使えばできてしまう仕事
先進的なソフトウエアのおかげで、あなたのやっている仕事が、無料でできてしまうと想像してください。
しかし、あなたの給与の支払いが保証された契約がまだ3年残っています。
そこで、雇用主はあなたに2つの選択肢を提示します。
1つは、契約どおり給料をもらうけれど、ソフトが仕事をしてくれるので家にいること。
もう1つは、ソフトを使えば自動的に仕事ができるのに、これまでどおり職場に行き、働き続けること。
どちらを選びますか?
たいていの人が、家にいて給料をもらうほうを選ぶでしょう。
しかし、働き続けることを選ぶ人も必ずいるんです。
そんな人たちをどう思いますか?
その人たちの性格について?
結果を出さなくてもよく働く人
実は、これは、リサーチの参加者に話した、ジェフという仮定のメディカル・トランスクライバーのことです。
参加者のうち半分に、ジェフは家にいるほうを選ぶと話し、もう半分には、ジェフは働き続けると言いました。
そして、皆に、ジェフをどう思うか聞いたのです。
ジェフが働きつづけると聞いた人は、彼はあまり能力はない、どいうか、少し馬鹿だと思いましたが、同時に、彼を温かくて、より道徳心のある人で、正しいことをする人、信用できる人だと感じました。
いい人だと思ったのです。
ジェフは、何の価値を付け加えていないのに、こつこつ働き続けることを選んだから、善良だと皆は考えたのです。
努力する人のほうがモラルが高いと感じる
どうして、より努力することが、より道徳的なのでしょうか?
私はブリティッシュ・コロンビア大学の心理学の教授で、専門は道徳学です。
宗教と道徳、無人自動車と道徳、最近は、仕事そのものの研究をしています。
人々は、その努力が、何を生み出すかにかかわらず、努力することに、より高い道徳性を見出すという研究がいくつもあります。
べつの研究では、2人の小型装置を作る人について聞きました。
2人は同じ時間を使って、同じ質の小型装置を同じ数だけ作ります。
しかし、一方は、そうすることに、もう1人よりもっと努力しています。
人々は、熱心に働く方を、「能力は低いが、モラルが高い」と評価しました。
この2人のうち、どちらを仕事のパートナーに選ぶかと聞かれると、努力している方を選ぶのです。
これは、「努力の道徳化」(effort moralization)と呼ばれます。
世界中で仕事熱心なのはよいことだとみなされる
この現象は、北米だけに限りません。地域によって、労働の規範は変わりますが、仕事熱心な人が多いとされる韓国でも、労働以外の強みをもつフランスでも、ほかの国でも同じです。
一生懸命働く人は、たとえ、何の付加価値をもたらしていなくても、より道徳的で、仕事のパートナーとしてよりふさわしいと考えられています。
これは、プロテスタントの労働倫理より、もっと幅広く見られることで、狩りをして暮らしているタンザニアのハヅァ族も、そう考えています。
彼らは、よい性格の要素を聞かれたとき、我々とは同じように考えない部分が多いのですが、2つの点では一致しています。
寛容さとハードワークです。
努力と道徳性を結びつけるのは、どこか特定の文化だけではなく、もっと深いところにあるのです。
努力しているとわかると、よりいい人に思える
努力の道徳化は個人レベルでは、意味があります。
意味のないタスクに努力を惜しまない人のほうが、他人を助けてくれるでしょう。
私の職場にポールという友人がいます。
いつもおしゃれななりをしています。とても高い石鹸を使ってもいます。
彼は、毎朝、ランニングもします。
この話を聞いたとき、ミスター・パーフェクト、いや、実は、ドクター・パーフェクトですが、そういう人なんだろうと思いました。
でも、ある朝、走っているポールを見かけたことがあるんです。
自信満々に颯爽と走っているのかと思いきや、ポールは、とても苦しそうによれよれと走っていました。
走ることは彼にとって簡単ではないのです。
実は毎朝、努力をしていたんですね。
こんな人が、町内に1人はいてほしいですよね。
彼は、私の研究のヒントになる人であり、同時に協力者です。
そして、いい人です。
仕事熱心な人は善良だという思い込み
私たちは、全員、人生におけるよき協力者を探していますが、同時に、自分自身もそうであると見せようとしています。
進化心理学者は、この現象を、「パートナーの選択」(partner choice)と呼んでいます。
人は、恋愛でベストのパートナーを選ぼうと努力するのと同様に、仕事のパートナーも、最適な人を見つけようとします。
困ったときに助けてくれ、なまけものでない、公平にやってくれる人に囲まれたいと思うのです。
その結果、寛容性や自己管理能力、勤勉であることなどの、よき仕事のパートナーの資質は、より道徳性があると見られるのです。
つまり人は、熱心に働く人達は善良だとシンプルに考えています。
結果を考慮しないのは社会的な損失
しかし、個人レベルで意味のあることでも、社会的なレベルになると、大きな問題が生じます。
その努力が何を生み出そうとも、努力することそのものがいいのだ、という直感的な考え方は、職場で、ゆがんだ動機を生み出します。
生産性よりも、その行動に価値を見出すと、その仕事が、何をもたらしているかということより、その人が、熱心に働いているかどうかに注意を向けてしまうのです。
その結果、大きな代償を支払うことになります。
先ほど紹介したジェフの話は、フィクションですが、愛することや余暇に時間を使えるのに使わず、「努力しているよ」と見せつける人は、たくさんいます。
そういう人は、仕事中毒(workaholism)であることを、勲章として身につけています。
自分はいい人だ、と周囲の人を安心させるために。
安心させる相手が、自分自身だけだったとしても。
ワーキズム
人類学者の David Graeber(デイヴィッド・グラバー)は、資本主義が、クソみたいな仕事(bullshit jobs)をたくさん維持していると考えています。
クソみたいな仕事とは、意味のない仕事、つまり、社会的な価値を何も生み出していない仕事です。
資本主義は、こうした非効率性を撤廃すべきですが、そうしていません。
そうできないのは、資本主義は別のシステムの下で動いているからです。
ジャーナリストのDerek Thompson(デレク・トンプソン)が、ワーキズム(workism 仕事主義)と呼んでいるシステムです。
ワーキズムでは、仕事はお金を得るためのものだけではなく、人のアイデンティティの源(みなもと)であり、自己実現に至らせるものです。
ワーキズムが文化になるのは、人々がそこに無理やり参加させられるからです。
「パートナーの選択」では、よき仕事のパートナーになることだけでなく、隣にいる人よりも、よいパートナーになることも重要です。
単に勤勉であるのではなく、より勤勉でなければなりません。
これがワーキズムの競争を生みます。
無意味な競争
2人のオフィスワーカーがいたとします。
どちらも、自分の勤勉さを示したいと願っており、朝、一番早く駐車場に車を停めたい(出社したい)と思っています。
だから、互いに、出社時間がどんどん早くなり、ほかの従業員は、どんどん怠け者に見えていきます。
足並みをそろえる文化なので、結果はどうあれ、より努力をしよとするのです。
そして、より熱心に仕事をすることが大事な文化が続きます。
より仕事をすることが、ありがたがられるからです。
その結果、仕事や生活にあるそのほかの側面は、それがどんなに素晴らしいことでも、あまり重要に思われません。
これは、ハードワークをするなという話ではありません。
ハードワークは、目的にかなっているなら、とても意味のあることです。
ハードワークは、文明を作り上げます。
しかし、自分の道徳性の評価を得るためだけに、何も生み出さない仕事に、どれだけの努力が注がれていることでしょうか?
自分が仕事熱心だと、他人に納得させるためだけに。
熱心だと見せかける学生
私の教え子の1人である大学院生が、私が、1日中、時をかまわず、メールを送ることに気づきました。
午前1時、2時、3時。
その結果、彼は、メールの返信時間を設定できるアプリを手に入れ、私に、午前1時や2時に返信しているよう見せかけました。
より熱心に仕事や勉強をしているように見せるため、こんなことをしたのです。
こんな作業は全くもって無意味です。
私は自分の研究所の文化を変えなければなりませんでした。生徒たちに「いかに仕事をしているか」を見せるのではなく、実際に生産するべきだと納得させなければならなかったのです。
しかし、これはそんなに簡単なことではありません。
努力と倫理性を結びつける思考は、とても根深いからです。
心理的な傾向に気づく
学生に心理的なバイアス(偏見)を教えるとき、バイアスには必ずしも抵抗できないと教えています。
それは、とても深いところにある思考のクセだからです。
しかし、バイアスに気づくことを学ぶことはできます。
重要な決断をするときに。
この思考回路を断つことをはできなくても、バイアスに気づけば、生活を乗っとられてしまうことを防げるのです。
コブラを減らしたかったのに
英国が統治していたインドで、ゆがんだ動機を示すエピソードがあります。
植民地であるデリでは、コブラがたくさんいて困っていたので、コブラの皮を持ってきた者には、報奨金を与える法律ができました。
しかし、この計画はうまくいきませんでした。
報奨金がほしいインド人たちが、コブラをたくさん繁殖させたあとに殺して、よりたくさんの皮を持ち込んだからです。
政府が、このやり方をやめたとき、コブラを繁殖させていた業者は、街なかにコブラを放ったので、コブラの問題は、以前よりひどくなりました。
この方法が間違っていたのは、政府が求めている「コブラを減らすこと」と、実際に求めたこと、つまり、「よりたくさんコブラが死んだことを見せよ」というものに大きな乖離(かいり)があったからです。
私たちも、仕事において、似たようなことをしているのではないでしょうか?
間違ったものを求めている文化を作り上げてしまったのです。
お互いに、より努力をすることを求めていると、たくさんの努力や、熱心な仕事ぶり、そしてコブラが生まれてしまいます。
しかし、お互いに、何か意味のあることをすることを求めれば、意味のあるものであふれる世界になります。
これ以上にモラルのあることがあるでしょうか?
//// 抄訳ここまで ////
単語の説明と補足
plug away こつこつ働く
heuristic ヒューリスティック、心理学用語。必ずしも正しい回答を得られるわけではないが、経験や先入観によって、直感的に考えること。経験則
デイヴィッド・ガーバーの著書です。
今、デレク・トンプソンの本(キンドル版)が安いです。
仕事に関するほかのプレゼン
なぜ職場で仕事ができないのか?(TED)邪魔な物を排除するとうまくいく
私たちの仕事に対する考え方は間違っている:バリー・シュワルツ(TED)
よりよいワークライフバランスを実現する3つのルール(TED)
何を生み出しているのか意識する
仕事のための仕事をすることや、仕事熱心だと見せかけることは、日本の昭和の時代のサラリーマン社会にもあったと思います。
やることがないのに残業したり。
このような残業は、会社の業績には何も貢献していませんが、本人は仕事熱心だと周囲に示すことができ、周りの人は、「仕事熱心な人は善良な人だ、信頼できる、仲良くしたい」と直感的に思うから、会社の和を保つという面ではよかったのかもしれません。
本人も、「仕事熱心な私はモラルの高い人」というセルフイメージを保てます。
しかし、仕事がないのに仕事をするのは、リソースの損失がはなはだしいですよね。
仕事が終わって、さっさと帰っていれば、家族と過ごしたり、趣味やコミュニティ活動に打ち込んだり、休息したりできるわけですから。
仕事のしすぎで過労死に追いやられるのも、「どんな場合にも、まじめに働くことが善である」という無意識のバイアスにとらわれているせいかもしれません。
もし、「私は仕事熱心です」と見せかけるためだけに、仕事をしているなら、一度、仕事の仕方を見直してください。
無駄な物(ガラクタ)を一生懸命、整理整頓し収納するのも、「私は熱心に作業しているからいい人だ」と思いたくて、やっている部分があるかもしれません。
仕事でも断捨離でも、自分が取り組んでいる作業が、実際に生み出しているものに意識を向ければ、無駄なことにエネルギーを注がなくてよくなります。