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断捨離をしていると捨てやすいもの、捨てにくいものが出てきます。私にとって、洋服は捨てやすいもの、本は捨てにくいものです。
「思い出の品」や「写真」「記念品」「人からいただいたプレゼント」は大多数の人にとって捨てにくいものです。
こうしたものには、感情がからみついているから、あっさり捨てられません。でも処分しないと、シンプルライフにはなりません。今回は「人からもらった贈り物」の捨て方をお伝えします。
捨てたいと思っている段階ですでにガラクタ候補
最初にことわっておきますが、もしあなたが「捨てたくない」なら、無理に捨てる必要はありません。「これもらったけど、趣味じゃないし、いらないから捨てたいけど、捨てると相手に悪いよね」と思っている場合だけ、捨ててください。
「捨てたい」と思っているということは、そのプレゼントは自分にとって重荷で邪魔になっているわけです。
こんまり流で言えば、ときめかないモノ。「邪魔だ」と思っているぐらいですから、今後もその品をいつくしんだり、活用することもありません。
そういうものは、誰か別の人の手に渡したほうが、物にとっても幸せです。これで捨てられませんか?
まだ捨てられない場合は先をお読みください。
そもそも贈り物とは何か?
日本人は贈り物をすることが好きです。これは日本人に限ったことではありません。人類全体に、『贈り物をする』習慣があります。
マルセル・モースというフランスの社会学者が「贈与論」(1925)という本を書いています。彼は未開社会における贈与の習慣を観察しました。その部族には、半強制的に贈り物をする慣習があったのです。
そこでは、贈り物にはマナという霊的な力が宿っていると考えられていました。マナは贈った人の魂の一部。魂なので、マナはもとにいたところ、つまり贈った人のところに戻ろうとします。
ですから、贈り物をもらったら、お返しをして、必ずこのマナを返さなければいけません。返さないで、自分のところにマナを放置すると、もらった人にとても悪いことが起きます。
そしてそのような事態を招いてしまった自分も社会的信用をなくしてしまうのです。
現代の贈り物にもマナのようなものがひそんでいます。
つまり、物をあげることは、単なる「物」が物理的に移動するのではなく、その人の感情をあげたり、もらったり、返したりすることなのです。
人からもらったものを捨てにくいのは、相手の感情を粗末にしてしまうような気がするからですね。
人からもらったプレゼントを捨てるコツ
1:物は捨てて、感情はもらっておく
物に感情がくっついているのなら、その「物」と「感情」を切り離して考えれば、うまく捨てられるのではないでしょうか?
プレゼントに付随している感情は「贈ってくれた相手の自分を思ってくれる気持ち」です。
これに応えるために、プレゼントはありがたくいただきます。「私、ミニマリストだから、プレゼントはいらない」と言ってはいけません。本当はモノをもらわないほうが断捨離になります。ですが、相手が時間をとって選んでくれた贈り物には感謝すべきです。
受け取ったら、お礼を言います。その場で「ありがとう」と言ったり、届いたものなら、お礼の電話をしたり、メールを打ったり、手紙を書いたり。
受け取ってお礼を言えば、相手のマナは返したようなものですが、自分が望むなら、お返しのプレゼントをします。
このように「贈り物」が体現している「感情」には敬意を払います。そのうえで、もらった物を気に入ったのなら手元に置いたり、使えばいいし、趣味にあわなかったら、よそに回せばいいのです。
「邪魔だ」と思えるプレゼントは、気持ちはありがたく受け取って、物は処分します。
2:「贈り物」についている感情の本質を見極める
一口にプレゼントといってもいろいろあります。すべての贈り物には必ずくれた人の感情や気持ち、意図がひそんでいますから、その感情がなんであるのか考えてみると捨てやすくなります。
企業が販促として配る贈り物は、その商品を購入してほしいという気持ちがひそんでいます。もちろん、人類の幸せに貢献するいい商品だから、1人でも多くの人に知ってもらいたい、と思っている場合もあります。とてもいい商品だから、ぜひ一度体験してほしいという気持ちです。
しかし、こうしたプレゼントは特にあなたのことを思って選ばれたものではないので、いらないなら受け取らず、その場でことわりましょう。
今は別れてしまった恋人のプレゼントについているのは、もう「終わった」感情ですから、捨ててしまって問題ありません。
誰かが義理でくれたと思われるプレゼントについているのは「義理」、つまりあなたののことを考えて贈ってくれたのはなく、世間や誰か別の人のことを考慮してくれたものですから、捨ててしまってかまいません。
3:商業主義に注意する
現在、ちまたに飛び交っている贈り物は、モースのいう「贈り物」と大きく違う点があります。
未開の社会にはなくて、現代のわれわれの社会にあるものとは?
それは商業主義です。
誕生日プレゼント、クリスマスプレゼント、バレンタインデー、子供の日、母の日。企業はありとあらゆるイベントと「プレゼントしあう習慣」を結びつけようとしています。
母の日は、その日が終わった後にまで「遅れてごめんねプレゼント」が用意されています。
贈り物を買ってもらうために、企業や小売店はハロウインのように、もともとは西洋の習慣であったイベントをどんどん輸入しています。ボーナスの出るころは、「自分で自分にプレゼントしろ」、とさえ言います。
本人はプレゼントをする気などなかったのに、こうした企業の宣伝にうまくのせられて、うっかり買ってしまうことも考えられます。
人は「贈りたい気持ち」より先に「買いたい気持ち」にさせられて、いらない「贈り物」を買ってしまうのです。
そうした贈り物があなたのところに届けられることもあります。そのような贈り物は、そこまで深く「捨てたい、でも捨てられない」と悩むものではありません。
衝動的に届けられたものですから、さくっと処分しましょう。
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いかがでしたか?
人からもらった物を捨てたいけど、捨てられない…。そんなジレンマに悩むときは、今、目の前にある「贈り物」が自分のところにたどりついた経緯や、伴っている感情を考えてみましょう。
「この贈り物はいかにして発生し、どんな感情を具現化しているのか?」
その贈り物の本質がわかれば、罪の意識を感じずに、意外とあっさり捨てられるものです。
本当にもらってうれしい贈り物は、何も考えずに喜んで消費してしまうものです。プレゼントを前にして、「これせっかくもらったけど、どうしようか」と考えこむ時点で、その贈り物は断捨離すべきものなのです。
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☆エピローグ:自分が贈り物を断捨離することができるせいか、人にあげたものが捨てられても、べつにいやな気はしません。もちろん、あげたその瞬間、目の前でゴミ箱に投げ込まれたら、「おや?」と思いますが。
最近は相手の負担にならないような、食べ物や花などの消え物をさしあげることが多いです。