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本は文化財で貴重だから、捨てないほうがいいのでは?
このお便りに対して、私はこう返信しました⇒本は貴重な文化財だから捨てるべきではない、という意見に私が思うこと。
この記事に対する感想特集、その8です。
今回は2通紹介しますね。
内容:
・消耗品と同じ感覚で手放しています。
・古く本にも価値があります。
役目が終わった本は手放す
件名:「本は文化財」の意見について
三毛猫です。
Hさんの「本は文化財」の意見で盛り上がっているので、私が感じたことをメッセージしてみようと思います。
もうこの話題はクローズに向かっていると思うので軽く流してください。
私は本を捨てること=文化を軽視していると思ったことはなかったです。
私も本は好きで結構持っていました。
でも100冊を超えることはなかったので多い部類ではないかも知れません。
でも、今は手放せるようになりました。消耗品と同じ感覚です。
知識を吸収し、役目が終わったと感じたら(手放すのに納得出来たら)廃品回収に出すなり売るなりして手放す。
今年の衣食住改革の成果でしょうか、本に執着しなくて済むようになったのです。
本といっても単なる紙ですから。
誰かがコメントしてらっしゃいましたけど洋服や食べ物と似たようなもので、情報にも「旬」があると思うのです。
本は自分の知識や教養を増やすための栄養分って感じですね。
自分の中に吸収して役目が終われば手放してOK。
もちろん人生の羅針盤となる大事な本は手元に残しておけばいいと思います。
でも、残した本も定期的に見直し、めったに手に取らないのであれば、何のために残しているのか考えてみるのも悪くないと思います。
自分の内面を見つめなおす作業に近いですよね。
私も今年の引越を機にかなり本を手放しましたが、身軽になってよかったですよ。
今、残っているのは10冊程度でしょうか。
読みたい本はだいたい図書館にあるので借りれば済みます。
自分の本棚が図書館だというイメージですね。
本を買うことで知識が増え豊かになった一面もありますが、自分のコンプレックスや何か心の中の足りない部分を補うために収集していたような気もします。(スキルアップ系の本だけは教科書代わりにせざるを得ないので買いましたが)
・・・という感じなので、本を捨てたら教養がなくなるなんて思わなかったです。
子どもにどのような影響があるかというのは何とも言えないです。
確かに家庭環境も影響するでしょうけど、その子がもともと持っている個性にもよりますよね。
本好きで知識があり勉強ができても、人に対して思いやりが持てず人間関係で苦労する人もいるでしょうし、本を読む習慣がなくても自分の意見をしっかり持って自立した生活を送っている人もいることでしょう。
ただ、本を読んでいる習慣が身についている人と会話していると、自分軸を持っている人なんだなと感じることが多いです。
Hさんもここまで反響があると思っていなかったのではないでしょうか。
コメントしづらくなっていないかちょっと心配です。
それにしてもいろんな人がいろんな考え方を持っているのだと改めて考えさせられております。
また記事の更新楽しみにしています。
三毛猫さん、こんにちは。お便りありがとうございます。
引っ越しを機会にたくさん本を手放したのですね。
軽く流してほしいそうですが、返信します。
私は読書は何らかの体験をする機会だと思います。
以前も、本を読むことは、旅をすることに似ていると書きました⇒本の捨て方。1年で320冊捨てました。
体験が終われば、「必ず、また読む」と思わないなら、捨てても問題ないでしょう。
中身を忘れてしまっても(というか、ふつうは忘れます)、体験したことは、何らかの形で自分の中に残るから、元の本が手元になくても大丈夫です。
もう一度読みたいと思ったら、買ったり、図書館で借りたりすればいいでしょう。
同じ場所に何度も旅するように。
読みたいときにその本がなかったら、別の本を読めばいいでしょう。そんな時が来ることを、今から心配する必要はないし、それほど心配なら、手元に残せばいいですね。
それでは三毛猫さん、これからもシンプルライフを楽しんでください。
次は、笛吹お遍路さんのお便りです。
古い本にも価値がある
件名:本を捨てない理由
とても興味深いです。
特に11日の学芸員の方の「文化財」の厳密な定義はさすが本職、と感じましたが、学術論文や研究者の会話じゃじゃあるまいし、そこまで考えてお便りしてる人いるんでしょうか。首をかしげつつも触発されてあれこれ考えてしまいました。
本を捨てない理由を「文化財」や「子供の情操教育」に転嫁するのは変です(本の処分、その7)
大昔ですが史学を専攻し、司書として働いていたことがあります。
いずれも本を「史料」として大切にするものです。
テレビや炊飯器でも年月が経てば文化財です。本だけが文化財の概念から外されるのはちょっと納得がいきません。
学芸員の方がこきおろしていらした差別用語にしても、その本が書かれ読まれた時代をあらわす大切な証拠になります。
版によって作者が変更を加えたり、図書館での扱いが変わったりしたらなおさらです。例えば「ちびくろサンボ」が一時期書店からも図書館開架書架からも消えたことがあります。
古い知識は役に立ちません。おっしゃる通りです。
だから図書館では次々に新しい本をいれるのです。ただ、その「役に立たない古い知識」が、その著された当時は常識だった/新知識としてもてはやされた/危険思想だったetc.、という知見は、必要な人には必要です。だから廃棄には慎重になります。
つい最近ですが、大正時代のマニキュアについて調べようとしたら、明治時代にはあった、次の記載はいきなり1970年代、結局挫折しました。
大正時代に発行されたお化粧関連の本や雑誌は私の住む地域の公共図書館にはありません。ポーラ化粧文化センターか、それこそ国会図書館にでも行かないとわからないでしょう。
教科書がわかりやすいでしょうか。私の考えでは教科書は時の施政者が正しいと「信じていること」を子供に教えるものです。
戦前の教科書、墨塗り教科書、戦後の教科書、全く違うはずです。悪気はないと思います。その時代の価値観に照らして正しいことを教えようとしているのだと信じたいです。
そこまでいかなくても私が小学生だった高度成長期、社会科の教科書にはもうもうと煙を吐く煙突と、がっつり護岸工事された小川が「めでたいこと」、という主旨のキャプションをつけて掲載されていました。
公害は始まったばかり、生態系や生物多様性なんか何十年も後の価値観です。
国語の教科書にはアルフォンス・ドーデの「最後の授業」が何年も掲載されていました。フランス語が彼らの母語ではないこと(読み書きできなくても、母語がしゃべれないということはあり得ない)、即ちアメル先生の授業は占領国による文化の押しつけ、他文化の圧殺であるという点については、少なくとも私が習った時には誰も何も言いませんでした。
子供が学ぶ教材に選ばれたということは、当時の大人たちがそんなこと全く気がついてもいなかったということではないでしょうか。
社会風俗史にとって、テレビや炊飯器同様、本、雑誌、新聞、はてはチラシやポスターに至るまで、史料ならざるはありません。
大宅文庫や陽明文庫も冷泉家時雨亭文庫も、元々は個人の蔵書です。
現在海外の美術館に恭しく展示されている浮世絵は陶器の輸出の際に梱包に使われた雑紙です。それらは文化財ではないでしょうか。
大切に保存伝承しようという価値観がなかったら、それらが本当にただの紙屑だというなら、税金を使って維持する図書館も博物館も文書館も、古書市場も骨董屋も、この世に存在しないでしょう。
ここで話題になっているのはもちろんそんな壮大かつ専門的な話ではないし、本に限らずありとあらゆるものに言えることですが、価値を置く人はそもそも悩まないでしょう。
どなたもおっしゃるように、それぞれの価値観です。
大事だと思えば大事に置いておけばいい。
50年経てば家計簿も子供の成績表も文書館史料です。ゴミだと思えば捨てればいい。
ただ少なくとも私は、他人が大切に思っているものを役に立つか立たないか偉そうに判定したりゴミ呼ばわりはしたくないです。何様ですか。
我が仏尊し、と申します。各々の仏さまを大切にし、他人が大事に思うものは尊重すればよいのではないでしょうか。
お遍路さん、こんにちは。お便りありがとうございます。
もう退院されたんですね。
物事に対する見解は時代とともに変わるし、その考え方を知ることは、価値あることですよね。
ふつうに作った(水素添加した)マーガリンは体に悪いものの代表ですが、1980年代後半あたりは、マーガリンはバターに比べてカロリーが低いから、逆にヘルシーだと思われていました。
だから、「太らないお菓子」が売りだった、マドモアゼルいくこさんのお菓子のレシピ本でも⇒マドモアゼルいくこの「秘密のケーキつくり」~断捨離せずに持ってるお菓子のレシピ
マーガリンをばんばん使っていました。
ところで、誰も、他人が大事に思っているものを、ゴミ呼ばわりはしていないと思います。
私はどちらかというと、ガラクタは自分で判定すればいい、というスタンスです。夫のガラクタ(に見えるもの)も、放置しています。
ただ、「捨てるも捨てないも、自分の好きなようにすればいいのだ」の一言で片付けると、このブログを書く意味がなくなってしまうので、毎日、あれこれごちゃごちゃ書いています。
「いろいろな意見があるんだな」と思って読んでいただければ幸いです。
それではお遍路さん、これからもお元気でお暮らしください。
この続きはこちら⇒「今」を大切にできる本棚にしたい:本の処分(その9)
これまでの紹介した感想を読みたい方はこちらからどうぞ⇒本は捨てるな、という意見を読んで(その1)
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本を捨てる話にたくさんの人がメールを送ってくださったのは、やはり本が、ちょっと特別だからでしょう。
家に本を置かない人も、何らかの形で文字を読むし、人とコミュニケーションするときは言葉をメインに使うし、本や文字情報が、人間社会を作り上げている部分は否めません。
だからといって、たくさんの本をもって、生活しにくくすることはないと思います。
それでは、あなたも、質問や感想などありましたら、お気軽にメールください。お待ちしています。