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他人の視線、言葉、批判、行動をいちいち気にするのをやめたい人の参考になるTEDの動画を紹介します。
タイトルは、How not to take things personally? (物ごとを個人的に受け取らないためにはどうしたらいいか?)
プレゼンターは、フレデリック・インボ(Frederik Imbo)さんです。
フレデリックは俳優であり、コミュニケーションスキルを教え、講演やコーチングをしています。
個人的に受け取らない
take things personally や、take it personally は、とてもよく使う表現で、文脈により訳は変わります。
(べつに自分を責められたわけではないのに)、個人攻撃されたとか、批判されたと感じる、という意味でよく使われます。
「気を悪くしないでね」「気にしないでね」という意味で、Don’t take it personally. と言うこともよくあります。
収録は2019年の2月。プレゼンの長さは17分36秒。ベルギーで行われたTEDXです。英語字幕あり。動画のあとに抄訳を書きます。
☆TEDの説明はこちら⇒TEDの記事のまとめ(1)ミニマリスト的生き方の参考に
私が審判を始めた理由
1年前、私はフットボールの審判をやろうと決めました。お金がほしいからではありません。審判は1試合で20ユーロ(2020/03/15のレートで2400円ぐらい)
しかもらえません。
審判をしようと思った理由は2つあります。
まず、健康でいるため、そして、物ごとを個人的に受け取らないことを学ぶためです。
物ごとを気にしない練習をするのに、審判をするのは最適です。
観客は、審判に、前向きなことや元気づけてくれる言葉なんて、まず、言いませんから。
審判はスケープゴートです。間違っているのはいつも私で、すべては私のせいです。
そんな環境で、個人的に受け取らないようになりたかったのです。
なぜなら、私は、ずっと個人的に受け止めすぎていたからです。
人の顔色を伺っていた私
たとえば、ある場所を探していて、ゆっくり運転しているとき、後ろに車がつくと、つけられているような気になります。
後続車がクラクションをならし、ライトを点滅すると、私は自分が責められているように感じてしまうのです。
そうすべきではないとわかっていても。
また、誰かがどたんばになって約束をキャンセルすると、「その人にとって、自分は大事じゃないんだ」、と思ってしまいます。
私はパブリックスピーカーです。人々が、私のトークに注意を向けて聞いてくれているときは、うれしいものです。
しかし、誰かが、スマホを見始めたりすると、気になります。
大丈夫です。みなさんは、スマホを見ても、隣の人と話してもいいですよ。個人的には受け取りませんから。
なぜなら、いまは、気にしすぎない方法を知っているからです。
個人的に受けとることはよくあること
自分ごととして考えてしまう人は、私だけではないでしょう。
友だちを映画に誘ってみたら、「ごめんなさい、仕事があるの」と断られたのに、SNSで、その人が、ほかの友だちをその晩、食事をしている写真を見たとき。
すごくがんばってプロジェクトを仕上げ、自分でもいいできだと思うのに、批判しか返ってこない。
だから家に返って、家族にこの話をしたら、相手は、テレビを見るためにあっちに行ってしまう。
こんなとき、みな、個人的に受け取ってしまうんじゃないでしょうか。
気にしすぎるのはエゴのせい
なぜ個人的に受け取ってしまうのか?
誰かが何かを言い、何かをすると、私たちは、傷つき、無視されたと感じ、不快になり、裏切られたと思います。
自分がそう感じるのは相手のせいだと思います。
相手がそういうことを言ったり、したりするから、自分はこんな気持ちになるのだ。それは、相手のせいだ、というように。
こんなふうに自分に思わせるのはエゴのせいです。
エゴがあるから、「ほかの人は、私たちに配慮すべきだ」と考えます。
エゴは、他人に批判されることを好みません。認めてもらいたいのです。「私は正しい」と。
正しいと認めてもらいたいと思っていると疲れます。
エゴに気持ちをのっとられると、1日中、戦うことになり、エネルギーを失います。
物ごとを個人的に受け取らないほうが、ずっと楽ですよね?
そうすれば、誰にも支配されないし、自由です。
他の人と平和に暮らせ、つながりを感じられます。
自分のエネルギーが、いいものに向かって注がれるからです。
自分が正しいと思いたいのか? それともハッピーになりたいか?
正しいと感じつつ、ハッピーになりたい、と思っている人がいるでしょう。
コインには表と裏があるように、個人的に受け取らない方法も2つあります。
方法1:それは自分の問題ではない
個人的に受け取っているとき、それは自分の問題だと感じています。
(講演をしているとき)誰かが、スマホを見ていると、私は、不快に感じます。
「この講演をするために、すごく努力し、時間もかけたんだよ。もっと、尊重してもらいたいね」
このとき、自分のことを考えています。
しかし、実際は、私は関係ないのです。相手の立場に立ってみましょう。
なぜ、その人は、スマホを見ているのか?
心待ちにしていた重要なメッセージを受け取ったのかもしれません。
私の講演のトピックに興味がないのかもしれません。
逆に、とても講演がおもしろいから、スマホでメモを取りたいと思ったのかもしれません。
自分に向けていた意識を、お互いに向ければ、個人的に受け止めなくなります。
ほかの人の意図を考えようとすれば、イライラする代わりに、理解する余裕が生まれます。
まだ寝たくない子どもをベッドに入れようとすると、子どもはかんしゃくをおこして、「パパなんて、大嫌い!」と言います。
このとき、自分を責められていると感じますか?
そうではないですよね。なぜなら、これは自分の問題ではなく、「子どもが何を欲しているか」という問題ですから。
子どもは、夜ふかししたいだけなのです。
後続車のドライバーがあおってライトを点滅したのは、急いでいるからで、自分は関係ないのです。
実際にそう考えるのはむずかしい
理論的には、このようにとてもシンプルですが、実際の生活では、そんなに簡単にいきません。
脳は毎日、5万個の考えごとをして、そのうちポジティブな思考は1万個だけです。
私たちが考えることの80%はネガティブなことなのです。
同僚が2人で話していて、ふとあなたのほうを見て、それから笑いだしたら、「私の新しい靴に気づいたのかな」とか、「自分の悪口を言っているんだ」と思います。
「ちょっと待て。私とは何の関係もないことで笑っているかもしれない」と考えるためには、努力や練習が必要です。
だから、私は、審判になって練習しようと思ったのです。
試合の前に、体だけでなく、気持ちもウォーミングアップします。
「フレデリック、何を言われても、個人的に受け取るんじゃないぞ。それは私には関係のないことだ。みな、正しいと思いたいだけなんだ。自分の応援するチームに勝ってほしいだけなんだ」と言い聞かせています。
ほかの人の意図に意識を向けるようにしてから、フィールドでずっとリラックスできるようになりました。
コーチ、選手、観客が、私の決定に同意しなくても動揺することが少なくなったのです。
ただ、いつも、この方法がうまくいくとは限りません。ときにはひどいことを言われますから。
方法2:自分の気持ちによりそう
そういうときは、コインの裏側の方法を使います。
「自分に関することだ」と考えるのです。
罵倒されたら、鏡を見て、自分に聞いてみます。
「私は、新人の審判だ、いまだに不安だ。一度もフットボールをしたことがないし。
それは自分にかかわることだ、自分が不安だから、傷つくんだ」。
「自分の中に、まだ受け入れることができていない部分があるのかもしれない」。
私の言いたいこと、わかりますか?
後続のドライバーは単に急いでいるだけだと、わかっていても、クラクションをならされ、ライトで照らされると個人的に受け取ってしまいます。
そんな時、「たぶん、私はゆっくり運転しすぎていたんだろう。それはわかっている。ただ、そういう自分のぶざまなところが、自分は嫌いなんだ。だから、個人的に受け取ってしまうんじゃないか?」と自分に問いかけてみるのです。
心当たりがあるから傷つく
皆さんに、「あなたはオレンジです」と言っても、自分のことだとは思わないですよね? 自分がオレンジだなんてこれっぽっちも信じていませんから。
しかし、誰かが、「フレデリック、おまえはわがままだ」と言えば、私は自分ごととして受け取ってしまいます。
自分にそういう部分があるとわかっているから。「いつも他人のニーズを尊重しているわけではない」と、知っているから。
人に批判されて傷つくのは、子どものときの体験によることが多いです。
子どものとき、「自分は充分だ」とは決して思わなかったのです。
10点満点中9点をとったら、親に、「なぜ満点じゃないの?」と言われたのかもしれません。
自分の心の奥にある何かにふれたときだけ、個人的に受け取ってしまいます。
そんなときは、自分の気持ちを理解しようとつとめます。
「ああ、これは痛い。ずっと認めてもらいと思っていたから、そうされないと悲しいんだ」。
こんなふうに。
さらに、相手に自分の気持ちを話してください。
「あのさ、いま、僕が話をしている最中なのに、きみはテレビをつけに行ってしまったよね。僕の話なんてどうでもいいみたいに。あまりいい感じはしないよ」。
相手を批判しないで、自分の気持ちを話します。
打ち明けて、弱い部分を正直に見せれば、相手は、あなたのことを理解し、あなたのニーズをより考えてくれるでしょう。
自分の価値は変わらない
個人的に受け取らない方法は
1)自分の問題ではないと思う。相手の意図に目をむける
もし、これがうまくいかないときは、
2)自分の問題だと考える。自分の気持ちをみきわめ、正直にそれを言う
これからこの2つの方法を試してください。
みなが、このようにしたら、人間関係がずっとよくなると思いませんか? そうすれば、世界はもっとよくなるし、それってすばらしいですよね?
[ここからお札を使ったデモンストレーション]
20ユーロ札を使って、個人的に受け取らないことを学びましょう。
このお札がほしい人、手をあげてください。
たくさんいますね。
[お札をくしゃくしゃにする]
まだ、このお札がほしい人?
[お札を口の中に入れて、くちゃくちゃとかむ]
まだこのお札がほしい人?
[お札を床の上に吐き出す]
まだこのお札がほしい人?
[お札を踏みにじる]
まだこのお札がほしい人? どうして、あなたは、まだこのお札がほしいんですか?
観客:「だって、それは20ユーロ札に変わりないから」
他人はあなたを攻撃するかもしれません。批判し、無視し、言葉でくしゃくしゃにし、つばを吐いて、あなたの上を土足で歩いていくかもしれません。
でも、覚えておいてください。他人が何を言っても、あなたの価値は変わらないのです。
//// 抄訳ここまで ////
単語の意味
scapegoat 他人の罪を負わされる者、身代わり、スケープゴート
ego エゴ 自我、自尊心、利己主義、うぬぼれ、自己中心。
自分が世界で一番えらいから、まっさきに尊重されるべきである、という考え方。自分の利益を最優先に考え、他人や社会の利害は気にしない態度。
have power over ~を支配する、~を思いのままにあやつる
tailgate あおり運転をする
throw off balance バランスを失う、不安定になる
come to terms with (不快なことや困難なことを)受け入れる、(人や組織と)妥協する、折り合いをつける
empathy 他人の気持ちを理解すること、感情移入、共感
気にしすぎない人になる、ほかのTED
不安な心(ヴァルネラビリティ)に秘められたパワー:ブレネー・ブラウン(TED)
いやな気分こそ大事にして、自分の感情とうまくつきあう(TED)
人はネガティブ思考を引きずるようにできている話と、そこから抜け出す方法(TED)
強い心を持つ3つの方法。考え方の悪習慣を手放せばメンタルを強くできる(TED)
2分で人生を変える方法「ボディランゲージが人を作る」(TED)
『必要なのは10分間の瞑想だけ』~物より心が大切です(TED)
他人の言葉にふりまわされない方法
自分とは違う意見を言われたとき、「それは、相手の問題だ」と考えるのは、私もやっていて過去記事にも書いています。
それはお互いが異なる意見を持っているだけで、自分の人格や全存在を否定されたわけではありません。
人の意見にふりまわされない方法として、もう2つ私が実践していることがあります。
・たっぷりあるマインドをもつ
・世界がよくなる道を選ぶ
この2つです。
たっぷりあるマインドは、「足りないマインド」の反対で、物ごとのいい面に光をあてることです。
こちらに詳しく書いています⇒なぜ私ばかりが(怒)、と思う人は『足りないマインド』を『たっぷりあるマインド』に変えればよい。
「世界がよくなる道を選ぶ」とは、最終的に皆が幸せになりそうな方向に行く(考え方をする)ことです。
このブログを始めたばかりのころ、私と同じように、断捨離がテーマのブログに書いている方からメールをいただいたことがあります。
その方は、「ネガティブコメントやメッセージが入って悩んでいたが、自分の伝え方が問題だったと思う」と書いていました。
こちらで紹介⇒断捨離は悪か?捨て方や片付け方は人それぞれ、マイペースがうまく行くコツ
このお便りに対して、私は、「正しい断捨離の仕方」や「物の捨て方」はない、と書き、「意見の違いを楽しむ心の余裕を持つといいと思う」とお返事しました。
私はこのブログではコメント欄をもうけていませんが、ほかのブログはコメントを受け付けています。
ブログ歴が長いので、これまで、「これって、人としてどうよ?」と思う失礼なコメントや、「人として完全に終わっている」と思う、ひどいメッセージやクレームを何通かもらいました。
そういうとき私はどうするかというと、ただのスパムなら即削除ですが、
多少なりとも建設的な部分があるもの(自分のブログや読者の発展に寄与すると思われるもの)は、内容を考慮して、記事を修正し、今後の執筆態度を改めようと努力しています。
ようするに、ゴミはさっさと捨てて、最終的に世界のためになりそうな事柄のみを尊重するわけです。
何がゴミか判断するとき、間違える可能性もありますが、「少しでも世界がよくなること」をゴールにすると、一見、どんなにネガティブなコメントでも、学ぶべき箇所が見つかります。
そのコメントやメッセージは私に関することではなく、世界貢献に関することや人類に関することなんだ、と思うのです。
このように、視点を一段階上にあげると、読んだ瞬間は、「なんですと!?」とむっとしても、「まあ、そういう考え方もあるか」とそのうち怒りはおさまります。
その一瞬、むっとしたり、ぐさっとくるのは変わりませんが、その後の考え方や行動は変わります。
人の言葉や行動に傷つき、ふりまわされることが多い人は、お試しください。
貴重なエネルギーを温存できます。
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現在、新型コロナウィルスのせいで、日本ではマスクが足りず、ドラッグストアの店員に、「いったいマスクはいつ入るんだ!」と怒号をあびせる客がいるようです。
このような客に会っても、個人的に受け取らないことが肝心です。
「お客様に申し訳なくて」というドラッグストアの店主のコメントを読みましたが、ちゃんと申し訳は立ちます。
自分にはコントロールできないことで、責任を感じる考え方のクセがあると、ストレスがたまり、そのうち病気になってしまいます。