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洋服を捨てたいけど、捨てられない理由を教えてください、と申しましたところ、「心が痛むから」というメールをくださった方がいました。
今回は、心の痛みについて考えてみましょう。
では、まずメールをシェアします。差出人はあんずさんです。
センチメンタルな感情
件名:捨てたいけど…。
筆子さんの、さっぱりとした、少し毒気も含んだ(笑)感覚が好きです。
わたしは、なかなか洋服(他のものも)が捨てられない困り人です。
洋服の場合、だいぶ着古したり、これは流石にもう着れないとまで行けば諦めもつくのですが、まだ綺麗な服、あまり着ていない服、思い出のある服は、なかなか手放せません。
昨日まで着ていた服が今日はゴミになっているということに、心が痛み、捨てなくてもいいんじゃない?と、負けてしまいます。
このセンチメンタルな感情を、どう扱えばいいのでしょう。
みなさんも、こんな痛みを感じながら、捨てているのでしょうか。
あんずさん、こんにちは。メールありがとうございます。
ほかの人もたぶん、心の痛みを感じていると思います。
「洋服はとても捨てるのがむずかしい」とか、「本当に、やっとの思いで捨てた」というメールをいただくことがあります。
それこそ、「清水の舞台から飛び降りる」ぐらいの覚悟で捨てている人がいます。
洋服は、身につけるものだから、その人のアイデンティティと強く結びついているのかもしれませんね。
洋服を着ることで自己表現できますし、他人に、「こんなふうに私を見てもらいたい」という意図を伝え、「私はここに所属している人間です」と、アピールすることもできます。
きのうメールを紹介した方は⇒捨てるなんてもったいない、持っていればそのうち何かに使える~服を捨てたいけど捨てられない理由とその対処法(その2)
「ファッションにこだわりがない」と書いていましたが、本当にこだわりがないなら、服は増えないと思います。
そのへんにある物を適当に着ればいいのですから。
なんらかのこだわりがあるから、捨てられないのでしょう。あるいは、洋服だけでなく、物一般に対して、執着が強い、ということもあるかもしれませんが。
では、心の痛みが原因で捨てないときの、解決法を紹介します。
1.何が痛いのか考える
「心が痛む」と思ったそこで終わりにせず、いったいどんなふうに心がいたむのか、もう少し考えてください。
もし、「もったいない」から心が痛むのなら、対処法をきのう書きました(記事は上でリンクしています)。
あんずさんのメールですが、いささか矛盾がある、と私は思います。
・きれいな服、あまり着ていない服、思い出のある服は手放せない
・昨日まで着ていた服が今日はゴミになっているということに、心が痛む
こう書かれていますが、あまり着ていない服は、「昨日まで着ていた服」とは言えないんじゃないですか?
「昨日までクローゼットや押入れに入っていただけの服」と書いたほうが実情に合っています。
長年クローゼットや押入れに入っているものは、すでに自分の家の中でゴミ(不用品)になっています。
見た目がきれいだからゴミ(ガラクタ)に見えないだけです。
ゴミは必ずしも、ゴミ箱に入っているとは言えません。汚部屋の場合、部屋全体が実質、ゴミ箱状態です。
きれいなケースの中で、美しく収納されているゴミもあります。
押入れの中で、きれいに整理されている不用品を捨てる:プチ断捨離(38)
さて、痛みがあるときの捨て方は大きく分けて2つあります。
A)痛みを振り切って捨てる
B)痛みを軽減させて捨てる
順番に説明します。
2.痛みを振り切って捨てる
たとえ心の中で痛みを感じたとしても、「でも、もう面倒見きれないから仕方ないよ」とあきらめて、えいやっと捨てます。
「不用な服を捨てて、クローゼットの中をさっぱりさせ、暮らしやすい環境にする」とか、「本当に着る服だけを持つ暮らしにする」というゴールがあるとき、痛みを避けてばかりいるのは、得策とは言えません。
「痛いから」といって、逃げてばかりだと、問題はいつまでたっても解決しないですよね?
それに、人間は、苦しみがあるからこそ成長します。
成長したいなら、苦しいこと、辛いこと、居心地悪いことから逃げないほうがいいです。
あえて居心地悪いことに向き合うことをおすすめした記事⇒どうしたら、いらない物を捨てる勇気が出るか?
3.痛みを軽減して捨てる
物を捨てるのが苦手な人は、何かを捨てるときに、本当に痛みを感じていて、脳は、肉体的な痛みを感じているのと似た反応をする、ということを、かなり前に書いています。
ということは、肉体的な痛みを軽減する方法をいくつかやってみれば、物を捨てるときの痛みも減らせる、ということになります。
慢性痛に対する精神的なアプローチを試してください。
といっても、難しいことではなく、日常気軽にできることばかりです。
1)リラクゼーション
深呼吸、瞑想などをして、リラックスする時間を持ちます。
リラックスする方法をまとめています⇒いつも気が張って疲れる人へ。緊張をほぐしてリラックスする方法。
アロマテラピーもいいかもしれません。
アロマについて⇒薬なし生活~薬はすべて断捨離しアロマテラピーで健康管理
2)痛みを受け入れる
痛みを排除しようとするのではなく、まるごと受け入れます。
以下のTEDの記事が参考になるでしょう。
いやな気分こそ大事にして、自分の感情とうまくつきあう(TED)
このプレゼンでは、8つの「いやな気分」を紹介しています。
悲しみ、恥、無力感、怒り、不安(ヴァルネラビリティ)、当惑、落胆、いらいら(フラストレーション)です。
そうした感情を起こす化学物質が、脳で分泌されて、血管で全身に運ばれるのは、時間にして60~90秒です。その後、その感情は去っていきます。
ということは、90秒がまんすればいいのです(いやな感情を、半すうすることが癖になっている人は、えんえんと続きます)。
自分の気持ちをそのまま受け入れる勇気のパワーとその素晴らしさ(TED)
3)意識を向ける先を変える
痛い部分ではなく、痛くない別の場所に意識を向けます。
たとえば、首筋がすごく痛いとき、右手がだんだん熱くなるのをイメージする、とか。
あんずさんの場合は、「ああ、この服ゴミになっちゃうんだ~」ということにばかり意識を向けず、「これを寄付すると、誰かが、ちゃんと着てくれて、笑顔になってくれる」とイメージするといいでしょう。
実際、不用品やお金は、世の中に循環させたほうが、全員の生活が向上します⇒物を捨てられないと悩んだら、3つの流れを意識してみる。
使っていないものまで、独り占めするのはよくありません。
4)痛みの玉を吐き出す
自分が感じている痛みを、赤い玉に見立てます。いま、それが体の中にたくさん入っていますが、息を吐き出すとき、赤い玉も一緒に出して、だんだん体内から痛みを減らします。
あるいは、息を吐き出すたびに、赤い玉の色が、おだやかな、青やグリーン、白にだんだん変わっていくとイメージしてもいいです。
どちらでもやりやすいほうをやってください。
このように、特定の感情をボール(玉)に見立てるのは、気持ちのコントロール法として、よく出てきます。
赤い色と言いましたが、べつに紫でも黒でもいいです。
「自分の痛みを表しているな」、と思う色を選んでください。
ドリアンみたいなトゲトゲのものをイメージしてもいいですが、喉から出すときひっかかって、文字通り痛いかもしれません。
玉に見立てれば、自分の特定の感情を客観視しやすくなります。
イメージングについて⇒イメージトレーニングを利用して断捨離に成功する方法(汚部屋改善)
以上のことをやって、気持ちを整えることを心がけると、痛みに押しつぶされたり、流されたり、コントロールされることが少なくなると思います。
思い出の服はクローゼットから出す
思い出のある服は、もはやそれは、着るものではなくて、思い出の品なので、たんすやクローゼットから出してください。
クローゼットには、いま、自分が着る服だけを入れておきます。
思い出の服は、思い出のある品物と同じように、扱うといいでしょう。
たとえば、
・思い出はこころの中にある、と考えて本体を捨てる
・思い出だけを抽出して、本体を捨てる
写真にとる、思い出を俳句や文章にする、人に語る。こんなことをすると思い出を形としてキープできます。
よく新聞で、有名人が、「私の修行時代」みたいな昔話を書いています。
この要領で、思い出のある服、1つひとつについて、どんな思い出があるのか、文章にしてはどうでしょうか?
クローゼットに入れっぱなしにしておくより、よっぽど思い出にひたれますよ。
私も、昔、お菓子作りがテーマのブログに、お菓子にまつわる思い出を書いていたことがありますが、楽しかったです。
・いつも身につけるものにリメイクする⇒もう着ないけど好きな古着をリメイクして大満足した話。
この続きはこちら⇒これを着るべきだ、という義務感が服を増やす:服を捨てない理由とその対策(その4)
初回はこちら⇒着ていない服を捨てたい。でも、捨てるのはむずかしい。そんなときはこう考えてみる(その1)
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心が痛むから捨てられないときの対処法を書きました。
きのうも書きましたが、痛みはそんなに長く続きません。捨てれば忘れます。
「痛いのがいや」と逃げていると、たんす、クローゼット、押入れは物だらけで、この先、ずっと人生に黒い影がさし、心がずっしり重い毎日が続きます。
捨てるは一瞬の痛み、捨てぬは一生の痛み。
私なら、一時的な痛みを選びます。