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年をとるのが怖い人、年齢をバリアに感じている人の考え方を変えるTEDトークを紹介します。
Let’s end agism (年齢差別を終わらせよう)。プレゼンターはエイジズムに反対する活動家の Ashton Applewhite(アシュトン・アップルホワイト)さんです。
邦題は『エイジズム(高齢者差別)に終止符を!』
エイジズムは年齢で人を差別することですが、とくに、高齢者を差別する意味で使われます。
エイジズムを終わらせよう:TEDの説明
It’s not the passage of time that makes it so hard to get older. It’s ageism, a prejudice that pits us against our future selves — and each other. Ashton Applewhite urges us to dismantle the dread and mobilize against the last socially acceptable prejudice. “Aging is not a problem to be fixed or a disease to be cured,” she says. “It is a natural, powerful, lifelong process that unites us all.”
年をとることが大変なのは、時が過ぎるからではありません。
エイジズムのせいです。
それは、私たちが、未来の自分に対してもつ偏見であり、互いを戦わせるものです。
アシュトン・アップルホワイトはこの恐怖をあばき、社会的に受け入れられるべきではないこの偏見と戦おうと言います。
「年をとることは、解決すべき問題ではないし、治すべき病気でもありません。それは自然で、力強い、生涯をかけたプロセスであり、私たち全員を結びつけるものなのです」。
こう彼女は言います。
収録は2017年の4月。動画の長さは11分半。日本語字幕あり。動画のあとに抄訳を書きます。
☆トランスクリプトはこちら⇒Ashton Applewhite: Let's end ageism | TED Talk
☆TEDの説明はこちら⇒TEDの記事のまとめ(1)ミニマリスト的生き方の参考に
とてもよい内容ですし、プレゼンも秀逸なので、ぜひ実際のトークをごらんください。ユーモアもあるし、レトリックの参考にもなります。
私も年をとりたくなかった
ここにいる誰もに共通していること。それは年をとることです。たいていの人が、年をとることを恐れています。
かつての私もそうでした。
私がもっとも心配していたこととは?
暗い施設の廊下でよだれをたらしていること。
ですが、その後、老人ホームで生涯を終えるアメリカ人はたったの4%だと知りました。しかもその割合は減りつつあります。
ほかに私が心配していたことは?
認知症になることです。
これもほとんどの人は、そうならないとわかりました。認知症になる割合も減ってきているのです。
心配すべき本当の病気は、記憶力の低下に対する不安性です。
年をとった人たちは、うつうつとする、なぜなら彼らは年をとっていて、まもなく死ぬから、とも思っていました。
ところが、実は、長生きすればするほど、人は死を恐れないとわかりました。人がもっとも幸せなのは、人生の最初と最後です。この現象は「幸せのU字カーブ」と呼ばれます。
これは世界中のたくさんの研究が実証していることで、仏教徒や億万長者である必要はありません。脳の老化がこのカーブに影響を与えます。
年齢差別の弊害
これらのことを知ってから、年をとることをそんなに悪く思わなくなりました。そして、なぜ、もっとたくさんの人が、こういうことを知らないのだろうともどかしい気持ちになりました。
その理由はエイジズムです。年齢に対する差別と偏見です。
誰かが、私たちが何かをするには、もう年を取りすぎる、と考えること。私たちがどんな人で、何ができるかは考慮に入れないで。
時には、「何かをするには若すぎる」という偏見もあります。
「~イズム」という言葉はみな、社会的に作られた概念です。人種差別(racism) 、性差別、(
sexism)、同性愛嫌悪 ( homophobia)。すべて、私たちが作ったものです。すなわち、それは、変えることもできるのです。
こうした偏見は、人間同士を戦わせます。現状を維持するために。
アメリカの自動車工場の労働者が、メキシコの労働者と競争するようなものです。お互いに協力して、賃金をあげようとせず。
エイジズムは自分に対する差別
人種や性別によって、リソースを分配するのはよくないことだと皆わかっています。それなら、なぜ、高齢者よりも、若い人のニーズを重要視してもいいと言うのでしょうか?
偏見はすべて他者に対しておこります。人種、宗教、国籍などが、自分たちとは違う人々に対して。
エイジズムの奇妙なところは、その「他者」が自分自身であるということです。
年齢差別は、自己否定を助長します。年寄りにはなりたくないと思うのです。
若くみせようとしたり、アンチエイジング商品に手をのばしたり、自身の体が思うように動かないと感じたりするのは、現実を否定する気持ちがあるからです。
なぜ私たちは、年を重ねながら得てきた、自己の成長や適応能力をたたえることをやめてしまうのでしょう?
なぜ、「上手に年をとる」ことが、より若い自分に見せることや、若かった自分と同じように動こうともがくことになるのでしょうか?
年をとっていると言われるのが恥ずかしいのは、自分でそう思っているからです。自分の未来を呪いながら生きるのは健全なことではありません。
自分の年齢を否定して生きる、ハムスターの輪から出るのが早ければ早いほど、自分のためになります。
固定観念を持つのは、いつも間違っていますが、年齢については特にそうです。長く生きれば生きるほど、人は、それぞれ違ってきますからね。
ところが、私たちは、老人ホームにいる人全員を、「年寄り」とひとくくりにします。これからまだ40年、生きることができるのに。20歳から60歳の人を、みな同じと考えたりはしませんよね?
無意識にしている年齢差別
パーティに出たら、みなさんは、自分と同じぐらいの年齢の人のところに行きますか? ミレニアル世代について一緒に文句を言ったり。
年齢にふさわしくないからと、髪型や、交際、外出をあきらめたことがありますか?
大人にとって、そんなことはありえません。こうした行動はすべて年齢差別主義者(ageist、エイジスト)のものです。
誰でもこういうことはします。自分でそこに気づかない限り、この偏見に立ち向かうことはできません。
生まれつきのエイジストなんていません。しかし、まだ小さいうちから、この偏見を持ち始めます。人種や性別に対する偏見が生まれるのと同じころに。
というのも、高齢者に対する偏見は、メディアや大衆文化にあふれていますから。
「しわは醜い」「年寄りはみじめだ」「年をとることは悲しいことだ」。
ハリウッド映画を見ればわかります。最近の作品賞にノミネートされた作品を調べたところ、セリフや、名前のある役のうち、たった12%が、60歳以上でした。しかも、その多くは、「健康ではない人間」として描かれていました。
年をとっている人は、もっともエイジストと言えるかもしれません。
なぜなら、人生の長い時間、高齢者に対する偏見のこもったメッセージを受け取って、それを内在化させてきましたからね。しかも、そういう考えに対抗することは決してありませんでした。
私もそうだったのです。だから、「老いの瞬間(senior moment)」と言うのをやめました。高校生のとき、車の鍵をなくしても、「若さの瞬間(junior moment)」なんて言いませんでしたからね。
膝が痛いのも、「64歳になったせいだ」と考えるのをやめました。もう片方の膝は痛くないけど、同じくらい古いのですから。
年をとることを否定的に見る文化
人はみな、年を取ったら起こることを心配しています。お金がなくなる、病気になる、ひとりぼっちになる、と。こうした恐怖は妥当なことだし、現実的でもあります。
しかし、年をとる体験が、よくなるのも、悪くなるのも、自分の周囲の文化によります。
女性が生きるのが大変なのは、女性器を持っているからではなく、性差別のせいです。
男性を愛することが、ゲイの男性の人生をつらくさせるのではありません、ホモフォビア(同性愛嫌悪)があるからです。
同じように、時の流れが、年をとることを大変なものにさせるのではないのです。それはエイジズムのせいです。
ラベルが読みにくい、手すりがなくてとまどう、びんのふたを開けることができない。こんなとき、私たちは自分を責めます。うまく年をとっていない自分が悪いと。
本当は、エイジズムがあるから、そうしたごく自然な変化(老化)を恥ずかしいものだと思い、偏見があるせいで、その考えを受け入れてしまうのです。
老化はごく自然なこと
「満足」のあるところでは、金もうけはできません。しかし、「恥や恐れ」のあるところには市場が生まれます。そして、資本主義はいつも、新しい市場を探しています。
「しわは醜い」と言ったのは誰でしょうか? 何十億ドルも稼いでいるスキンケア業界です。
「閉経時期の不調、男性ホルモンの低下、軽い認知のおとろえは、治療を要する」と言ったのは誰でしょうか?
1兆ドルの収益をあげている製薬業界です。
このような仕組みを明確にすればするほど、別の方法を見つけやすくなります。もっと前向きで正しい筋書きです。
年をとることは、修正すべき問題でもなければ、治療すべき病気でもありません。それは自然でパワフルな、生涯に渡るプロセスであり、私たち皆を結びつけるものです。
文化を変えるのは大変です。ですが、文化は流動的です。私が生きているあいだに、女性の地位が向上し、同性愛者の人権運動も数十年で大きく前進しました。
性別(ジェンダー)に目を向ければ、昔は、男性と女性の2つしかないと考えられていました。いまはもっと幅があります。
年をとっている–若い、という二極化もそろそろやめる時が来ています。
「年をとっている」と「若い」を区別する明確なラインはないし、年をとったら、あとは下り坂である、と考えるのも変です。
偏見が自分や世界に害をもたらす
この偏見に立ち向かうのを先延ばしにすればするほど、自分自身や、世界での自分の位置に害があります。
職場は、年齢による差別にあふれています。シリコンバレーのエンジニアは、重要な面接の前に、ボトックスを注射したり、植毛したりします。
彼らは腕のたつ30代の白人です。そうじゃない人がどうなるか、想像してください。
エイジズムは、個人レベルでも経済レベルでも、深刻な事態を引き起こしています。年をとった労働者に対する偏見でまともなものはひとつもありません。
その会社に適応力や創造性があるのは、従業員が若いからではありません。従業員が若いのに、適応力や創造性があると言うべきですね。
多様性のある会社は、働きやすい場所であるだけでなく、実際、業績もあがります。人種や性別だけでなく、年齢も、多様性の要素です。
年をとることに前向きであるべき
年をとることに対するその人の考え方が、その人の気持ちや体の機能に細胞レベルで影響を与えるという研究結果が、どんどん出てきています。
年をとった人に大声で話しかけたり、「スイーティー」「お嬢さん(young lady)」と呼びかけたり、こういうのをエルダースピークといいますが、こういうことをすると、相手は、よけい老け込み、歩き方も話し方も衰えます。
年をとることに対して、前向きな気持ちを持っている人は、歩くのも早いし、記憶力のテストの結果もよく、病気になっても早く治り、長生きします。
脳内が老化していても、最後まで頭がしっかりしていた人もいます。
こうした人々の共通点は、目的意識(sense of purpose)を持っていることです。
晩年に目的意識をもつことをもっとも妨げてしまうものは、「年をとったら、表舞台から降りなさい」という周囲の声です。
だから、WHOは、世界的な反エイジズムの指標として、寿命だけでなく、健康寿命を提案しています。
女性は2つの差別を受けている
女性は年齢差別と性差別のふたつの差別を受けています。だから、年をとる体験には、ダブルスタンダードがあります。
年をとると男性の価値はあがり、女性は下がる、という考え方です。
女性が若さを競うとき、このダブルスタンダードを自分で助長してしまいます。
年をとった自分は、若いころの自分に比べて、劣ったバージョンであると考えている人はいますか?
この差別のせいで、私たちは健康を害し、幸福度や収入も落ちるのです。時間がたつほどひどくなります。
しかも、人種や階級もからむため、世界で一番貧しいのは、有色人種の年老いた女性なのです。
世界中にある高齢者差別
この地図を見てください。2050年までには、5人に1人、およそ20億人が60歳以上です。
長寿は人類の進化の証(あかし)であり、高齢者は前例のない市場です。資本主義と都市化のせいで、世界のあらゆるところに、高齢者差別が及んでいます。
グローバル・エイジウォッチ指数でみると、高齢者が暮らしやすいスイスから、逆にもっとも暮らしにくいアフガニスタンまで。
とはいえ、世界の半分以上の国の人がこのリスト(指数のデータ)にのっていません。
何百万人ものデータを集めようとは思わないからです。相手はもう若くないから。
世界の60歳を越えた人々のうち3分の2の人々が、医療を受けにくいと言っています。
およそ4分の3の人々が、食べ物、水、電気、まともな住居といった基本的なサービスを得るだけの収入がない、と言っています。
私たちはこんな世界を子どもたちに残したいと思っているのでしょうか? 彼らは、100歳まで生きるかもしれないのに。
今こそ高齢者差別に終止符を打とう
誰もが、例外なく年を取ります。高齢者差別に終止符を打たなければ、それは私たちを迫害してしまうのです。
人種差別など、すでに、なんとかしなければならない差別がたくさんあるのに、なぜ、もう一つあらたな差別を付け加えなければならないのでしょう?
この世界を、もっと安心して年をとれる場所にすれば、障害があっても、同性愛者でも、金持ちでなくても、白人でなくても、住みよい場所になります。
どんな年齢の人も、自分にとって大事なもののために立ち上がれば、その目的の達成に近づくだけでなく、その過程で年齢差別をなくすことができるのです。
長寿はこれからも続きます。エイジズムを終わらせる運動が起きています。私は、その運動に参加していますし、みなさんも参加してほしいと願っています。
//// 抄訳ここまで ////
単語の意味など
Elderspeak エルダースピーク
年をとった人に対して、まるで赤ん坊や小さな子どもに対するかのように話しかけること。
ピッチの高い大声で、とてもゆっくりと話したり、「ハニー」「スイーティ」「スイートハート」など、やたらと、愛情を示す言葉(心がこもっているかどうかはべつにして)で話しかけたり、
構文も単語も簡単なのを用いて、話しかけたりすること。
日本語で言えば、「おやおや、お嬢ちゃん、おなかがすきましたでちゅかー?」「さあさあ、おやつの時間だから、あっちでお手手をあらいましょうね、いい子にしましょうね」みたいな感じでしょうか。ちょっと違うかもしれません。
相手は、年寄りだから、耳が遠いはず、認知も衰えているから、大人の使う言葉ではわからないはず、という偏見がこういう話し方を生みます。
相手が認知症であっても、こういう話し方をすると、相手の気持ちを傷つけるだけです。
whammy 打撃
double standard ダブルスタンダード 基準が2つあること。相手や状況によって、適用する基準が変わります。
たとえば、先日、保育園の園長に関する相談がありましたが⇒自分が職場でどう思われているのかとても気になる、という相談に回答しました。
同じことをしても、お気に入りの保護者なら許し、ほかの保護者には、「だめです」というのはダブルスタンダードです。
男性がやるならいいけれど、女性がやってはだめ、というのはこの世界によくある典型的なダブルスタンダードです。
queer 同性愛の
アシュトン・アップルホワイトさんの著書、This Chair Rocks: A Manifesto Against Ageism (この椅子は揺さぶる:エイジズム反対宣言) Kindle版
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老後に関するほかのプレゼン
60歳以降は可能性に満ちている「人生の第3幕」ジェーン・フォンダ(TED)
年をとるほど幸せになる理由とは?:ローラ・カーステンセン(TED)
自分を不幸にするのは自分の思い込み
プレゼンにでてきたU字カーブ(U curve of hapiness theory)ですが、人の年齢と幸福度(充足度)を表すものです。
だいたい、どこの国の人でも、20代~30代で、さがっていき、底を打つのが40代、しかし、50代、60代あたりからまたあがっていくとのこと。
40代は子育てが大変だし、お金もかかるし、ストレスも多いのでしょう。職場でも中間管理職で、上と下にはさまれて苦労が多いかもしれません。
50代をすぎると、子どもの手も離れるし、住宅ローンも払いおわるし、楽になっていくのでしょうね。
もちろん、個人によります。
日本ではU字にはならず、L字だ、という声もあります。また、男性はU字だけど、女性はLだとも言われます。
定年後の男性は、悠々自適で、人生を楽しむけれど、女性は、夫がいつも家にいてうっとうしいし、相変わらず介護や家事に追われて楽にならないのです。
そうなってしまうのも、性差別があるからでしょうね。
性差別も年齢差別も根強いものですが、自分が受け入れてしまっているところも多分にあります。
「女性はこうあるべき」というプレッシャーがあったとしても、自分がその考え方を採用しなければ、状況は変わります。
日本女性に対しては年齢差別も大きいです。
女性はかわいくて、若いほうがいい、という考え方が、相変わらず優勢ですから。この考え方は、女性自身が知らず知らずのうちに受け入れています。
だから、先日の相談メールにあったように⇒自分の進むべき道がわからないときの考え方。
私は29歳だから、これは結婚する最後のチャンスだ、と思ってしまうのです。
その結果、本人は多いに苦しんでいます。
「私はもう年だから」と言うとき、その人は、自分で未来の自分を否定しています。
さまざまな問題の根底にあるのは自己否定です。
否定の度合いが少なければ、余分な物を買うことにお金を使うこともなく、見栄を貼ることに血道をあげることもありません。
その結果、物の管理に気力や時間を奪われることもなく、他人が自分をどう思うか、いちいち心配することもありません。
ストレスの多い人は、素直に偏見を受け入れてしまい、それがあたりまえだと思い込んでいるところはないか、一度振振り返ってみるべきでしょう。
自分の考え方ひとつで楽になれます。
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私の感覚では60歳(還暦)はまだ若いのですが、すでに「余生」などと言う人がいますね。
「30代で老い支度」という言葉もとても違和感があります。
まあ、その人がどう考えようとその人の勝手ですが、もっとこう、闘う姿勢を見せられないものでしょうかね?