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もう捨てたいのに踏み切れない。そんなとき必要なのは捨てるもののリストではなく、自分で判断できる軸かもしれません。
このブログでは、これまで何度か、捨てても問題がなかったものを紹介してきました。
ふり返ってみると、捨てても大丈夫だったものには4つの共通点があります。
今回は、その共通点を紹介しますね。断捨離に行き詰まったら、それぞれの視点で見直してみてください。
1. そもそも数が多すぎる
捨てても問題ないものの特徴。ひとつめは、そもそも、数が多すぎることです。
持っている数と実際に使う数はたいてい大きくずれています。
多すぎる分は、結局使われないままずっと家の中にあります。
私の場合、タオルがそうでした。
まだ夫や娘と暮らしていた3人家族時代のあるとき、たくさんあったタオルを整理したことがあります。
娘にはバスタオルを2枚支給。フェイスタオルは家族全員で2枚を共用する(夫はお気に入りのタオルを使い続けていたので、そこは触らずに)。
私自身は、バスタオルをまったく使わなくなっていたので、自分用は持ちませんでした。
それで毎日ちゃんと回っていました。
ダウンジャケットも見直したことがあります。
以前は4着持っていたのを、すごく寒い日用と、そこそこ寒い日用の2着に絞りましたが、不便を感じたことは一度もありません。
たくさん持っていても、実際に使うのは限られたものだけ。
実際に使う量を、一度数えてみるといいでしょう。
1週間に何枚タオルを使うか、1シーズンにどのジャケットを何回着るか。
こうすると、ちょうどいい数がわかってきます。
あらかじめたくさん用意しておかなくても、生活はふつうに回ります。
2. 「いつか」は一生来ない
使うときを待っているものも、手元になくても大丈夫なことが多いです。
いつか使うということは、今は使わないということですから。
あなたの家には、捨てるのはもったいないと感じるものがたくさんあるかもしれません。
腐るものじゃないし、消耗品だから、いつか使う。
ただ、いつか使う日はたいてい来ません。
私も以前たくさん文房具を持っていて、なんとなくいつか使うだろうと思っていました。
レターセット、ノート、ボールペン、付箋、クリップ。
どこかの会社の備品室のようなありさまでした。
でも、なかなか使う日が来ませんでした。
そのうち、引き出しに入れておいて何の意味があるのだろうと思うようになりました。
特に意味はないですよね? ただ場所を取っているだけです。
結局当面使う分だけを残し、残りはすべて寄付センターに持っていきました。
そのほうが本当に必要な人の手に渡ります。
いつか使うと思っていた文房具を手放したあと、ひとつずつ確実に使い切る生活にシフトしました。
ボールペン1本でも使い切ると、お金を出して買ったものをちゃんと使ったという満足感があります。
いつか使うかもしれないものに執着してしまう人ほど、この気持ちは大きいと思います。
この私がそうでした。
大量に文房具を断捨離したあと、筆記具は手持ちのものを使い切る方針へ
3. 高かったからといって使うわけではない
値段が高かったけれど全然使っていないものは手放して大丈夫です。
というのも、買ったときたくさんお金を払ったから、これは価値があるだろうと勘違いしているだけですから。
高かった毛皮のコートやブランドもののバッグが捨てられないとき、そのアイテムが必要だからではありません。
過去に支払ったお金にこだわっているだけなんです。
本をせっせと断捨離していたとき、全集をなかなか手放せませんでした。
筒井康隆と森茉莉の全集はよく覚えていますが、ほかにもあったような気がします。
森茉莉の本は全部読みましたが、装丁が美しいので残していました。
筒井康隆のほうは24巻ぐらいあったし、文字も2段組だったので読むのが追いつかず、長い間書棚の飾りになっていました。
値段は当時の定価で5万円~8万円ほど。私には大金だったので、持っていたんです。
同じ趣味を持つ人と、老後の楽しみだねと言っていたものです。
今、私は老後と言える年齢だと思いますが、とてもあんなにたくさんの本を引き受ける気力もスペースもありません。
若いうちに手放してよかったです。
読者の方から高かった専門書や百科事典を捨てられないという相談をもらったことがあります。
気持ちはわかります。しかし、日常的に読まないならもう処分したほうがいいです。
本は読むためにあります。
未読本が多いと、読みたいけど、なかなか読めないという気持ちがストレスになるからです。
高かったから断捨離できない? 埋没費用はどのみち回収できません
4. 思い出品はたくさんいらない
捨てても平気だったもの。最後は思い出の品です。
思い出の品はいかにも大事なものだとみんな思っているでしょう。
ところが、記憶は自分の中にあるので、そこまでたくさんのものはいりません。むしろ、ものより五感のほうが、思い出を強くよみがえらせてくれます。
私は思い出の品と呼べるものをほとんど持っていませんが、五感のほうが思い出を引き起こす力が強いと思います。
たとえば、YouTubeで昔の音楽を聴くと、当時のことが芋づる式によみがえります。
香りも思い出の引き金になります。
クリスマスの頃、ジョギングしていたら、近所の家から焼き立てのジンジャーブレッドクッキーの匂いが漂ってきたことがあります。
しょうがとシナモンがメインで、ナツメグやクローブの少しスパイシーな刺激が混ざった、温かくて甘い香りです。
このとき、娘と一緒に作った日のことがまるで映画のようによみがえりました。
カラフルなアイシングで模様をつけていた、娘のプクプクした手や、着ていたピンクのワンピース、あの日の空気感まですべてです。
とても情報量が多いのですが、匂いと記憶の結びつきは強いので、こんなふうに一気に思い出せます。
さらに、記憶はあとから美化されることもあります。
アルバムに貼ってある写真は、情報として記憶を呼び起こします。しかし、五感は体験として思い出させるから、ずっと強力だと思います。自分の感性さえあれば、ものはそんなになくても大丈夫です。
むしろものを持ちすぎてしまうと、不要品の管理に疲れる毎日になってしまうので、感性が衰えてしまいます。
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捨てて困らなかったものの共通点を紹介しました。
ずっと前から捨てたいと思っているけれど、なかなか手放せないものがあったら、以下の質問をしてみてください。
・これは、適正量を超えていないか?
・自分の消費スピードで、本当に使い切れるか?
・高かったこと以外に、いま持つ理由があるか?
・それがなくなっても、思い出は残るのではないか?
いったんものを所有してしまうと、使っていなくても、非常に捨てにくいです。それは私もよくわかります。しかし、不要品がたくさんあると暮らしにくいのは事実です。
場所を取られるし、探しものが増えるし、掃除のたびにどかす必要があります。
使わないでいると、もったいない気持ちや罪悪感がつきまといます。
ものを持つ限り、こうした手間や心の負担はずっとついて回ります。
これからもその仕事をし続けたいか?
ここを考えてみてください。














































