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いらない物をドサっと捨ててから気づいた、昔の自分の思考や生活パターンを紹介しています。
今回は、本の話です。
かつて、私はたくさん本を持っていました。
持っていただけではありません。その大半は積ん読でした。
なぜ、こんなことになってしまったのでしょうか?
本をたくさん買った理由
私が本をたくさん買ったのはこんな理由からです。
本を買うのが好き
単純に、以前の私は本を買うのが好きでした。
誰しも、買うのが好きな物があると思います。タオル、化粧品、Tシャツ、ジーンズ、アクセサリー、文房具など。
私の夫は、明らかに、枕や室内履きを買うのが好きですし、ふだん、ゴミ袋、サランラップ、ジップロック袋のような日用雑貨がセールになっていると、よく買ってきます。
夫は枕ですが、昔の私は本で、若い頃は、学校や勤め帰りに本屋によって立ち読みするのが習慣になっていました。
現在は、本屋の数が減っていると思いますが、昔は、たくさんあったのです(私は本は借りずに買うほう)。
自分の質があがりそうな幻想
本を買って読むと、いまの自分より、ワンランク上の人間になるという幻想がありました。
本には、いろいろ大切なことや、大事なことが書いてあるから、それを読むのは自分のためになると思っていたのです。
知識欲があった、とも言えます。
典型的な野望ガラクタです⇒なかなか捨てられない「なりたい自分になるために買った物」を断捨離する方法
買物で気分転換
本に限らず、こまごまとした物を買って、ストレス解消し、お手軽にハッピーな気分になっていました。
これについては、ほかの買物と一緒です。
買物が楽しい理由⇒買い物で気分があがるのはドーパミンのせい。この仕組みを知って無駄遣いを防ぐ。
大半が積ん読になった理由
本に関する私の最大の問題は、買った本の多くが、積ん読になったことです。
積ん読消化プロジェクトを始めて気づいた大量の未消化コンテンツ。
たくさん買っても、目を通せば、支払った対価に対して、何がしかの価値を得ていたでしょうが、私は、買ったはいいけど、そのまま読まずに放置した本がたくさんありました。
現在はそんなに積ん読本はありませんが、それでも、本箱の中の何冊かは、まだ読んでいない本です。
積ん読が増えた理由は4つあります。
読むことより買うことに意識が向いていた
私が本を買う目的は、買ってドーパミンを分泌してハッピーになることであり、読むことではなかったと思います。
買って家に持ち帰れば、勝手に本の中身が頭にインストールされて、今より少しは上等の人間になる、と考えていました。
そんなふうに言語化はできてはいませんでしたが、その後の行動を考えるとそうなります。
本を買うのは、パソコンにソフトをダウンロードした状態です。そのソフトをインストールして、使うところまでやらないとダウンロードした意味がありません。
時間の見積もりをあやまっていた
本を読むには、時間が必要です。本の内容やボリュームにもよりますが、1冊2、時間~5時間はかかりますよね。
私は20代半ばぐらいから、テレビを見るのはやめたし、昔はインターネットがなかったので、読む時間はそこそこありました。
実際、毎日、本を読んでいました。通勤通学に利用している電車の中ではいつも本を読んでいたし、美容院でも、持参の本を読んでいました。
しかし、家にある本の冊数が多すぎて、とても追いつかなかったのです。
このブログで、「日々の時間の使い方をチェックして記録するといいですよ」と書いていますが、若い頃の私はそんなことはしませんでした。
独身で、会社と通勤通学の時間以外は、自分の自由にできる時間だし、「どうしてもこれだけはやっておきたい」というものがなかったからだと思います。
物をたくさん捨てて、ミニマリストになった今は、「どうしてもやりたいこと(つまり自分にとって大事な活動)」がわかるようになったので、日々の時間の使い方をチェックして、to-doリストも書いて、やりたいことができる態勢を整えています。
昔は、「おもしろそうだな、読みたいな」と思った本を買ってはいたものの、「どうしてもそれを読みたい」という切羽詰まった気持ちはなかったと思います。
だから読まなかったのでしょう。
先にも書きましたが、読むことではなく買うことが目的でしたからね。
買えば、「なんとなくいつかは読むことができるんじゃないかしら」といった、非現実的な未来予測をしていたので、どんどん積ん読がたまりました。
最初から最後まで読みたい
本を買ったら、最初から最後まできっちり読むものだと思っていて、実際そうしていたので、読むのによけい時間がかかっていました。
小説は、はじめから最後まで読まないと話がわかりませんが、実用書は、必要なところだけ、ピンポイントで読めればそれでいいですよね。
ですが、昔の私は、全部目を通して、お金を出した分の元を取りたい、という思考があったようです。
1500円の実用書を買ったら、全部きっちり読んで、そこに書かれていることをすべて頭に入れて、生活や人生に活かすべきだ、という完璧主義的思考をしていました。
いまは、1つか2つ、「なるほど」とか、「あ、これ使えそう」と思える情報があれば、1500円出した価値があったと考えています。
ブログでも、いろいろなカテゴリーがあって、自分の興味のない話題や、いまの自分と関係ないところは読みませんし、それで何の問題もありません。
全部読まなくてもいい、と考えるようになったので、目次を見て、全部読みたいと思ったら、全部読むし、そうでなくても、気になるところを読んで、「なるほど」と思ったら、その本は、手放せるようになりました。
ためる一方
今の私は、本にしろ、他のものにしろ、節目節目に見直して、「もう使わないな、今の自分とは関係ないな」と思ったら、わりとさくさく手放しています。
しかし、かつての私は、本を買ったら、読み終えようが、未読だろうが、ずっと本箱に入れたままでした。
本箱の中身を、回転させる意識は全くありませんでした。
あとからあとから本が入る一方で、出る方は皆無だったので、中高生のとき使っていた本箱だけでは入り切らなくなり、母が、近所の家具屋さんで、大きな本箱を買って、茶の間に置きました。
私が10代の後半か20代前半の頃のことだったと思います。
その本箱の一部が写った写真をのせています⇒実家の自分の部屋の断捨離。いつ、どんな物を捨てたか?
この本箱は、けっこう高さがあり、一番奥はふつうの本箱ですが、右端と左端は二列になっていて、前面はスライドする本箱なので、(言っている意味、わかりますかね?)、たくさん本が入ります。
しかもスライドする本箱部分は、奥行きが深かったので、2列に重ねて入れてました。
あとになって、本を断捨離し、自分の本の大半がなくなったら、本箱はガラガラになりました。母の編み物の本なども入っていますが、母は、めったに本は買わないので、こんな大きな本箱はいりません。
さらに、前から使っていた本箱もあり、そこにも本が入っていました。
これを書きながら、思い出しましたが、日曜の午後になると、よく本箱の整理をして、あーでもない、こーでもないと、大量の本がおさまる並べ方を試していました。
整理するとき、雑誌など、多少は捨てたと思いますが、基本は全部残して、「いつか読もう」と思っていたから、「いったい、私は何を考えていたのだろう」と、遠い目になってしまいます。
☆このシリーズを最初から読む⇒物をたくさん捨ててわかった自分の思考と生活パターン~買い物編
本に関するほかの記事
料理本を断捨離(全捨て)した。いくらレシピがあっても料理上手にはなれない
愛読書? 持っているのがくせになっている本だと思う:ミニマリストへの道(107)
まとめもあります⇒筆子流・本と雑誌の捨て方を書いた記事のまとめ
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今でも、まだ2段の本箱に、それなりに本が入っています。
こちらに画像あり⇒みんなに伝えたい、捨てる生活が運んでくれた思わぬ効果。
最近は、半年に1回は見直しています。
この記事を書く前に、もう読まない本を15冊、辞書1冊、塗り終わった塗り絵本2冊を捨てました。
本と辞書は寄付するので、廊下の寄付品置き場に置いてあります。
残したのは、好きで何度も読む本や眺める本(以前、紹介したキティの塗り絵本とか⇒質問とその回答特集(親にもらった物の処分方法、英語の勉強法、塗り絵)。、さらに、2021年に読むつもりの本です。
以前、本箱チャレンジをしたことがありますが⇒本や雑誌を捨てられないあなたに、本箱チャレンジのススメ。
来年もまた、本を買うのを控えめにしようと考えています。
今年は紙の本は1冊買っただけですが、電子書籍を数冊買い、まだ読んでいないものがあるので、それらを読みます。
2013年の10月から、アメリカのaudibleを利用していましたが、聞いてない本がたまってきたので、今年の春、いったんやめて、今、聞いてない本を順番に聞いているところです。
ある程度聞いたら、またAudibleを利用しようと考えていますが、異様に長いオーディオブックがあるので、数年後のことになりそうです。