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2年前(2014年)の今頃、大量の雑貨を捨てました。その体験からつくづくわかったことは、「いつか使うかも」の「いつか」は来ない、ということです。
捨てて後悔したものは1つもありません。記事の後半で写真を見せますが、わりとしょうもないものばかりでしたから。
私が、今、使っていないものを迷いなく捨てられるのは、このような「捨てプロジェクト」を何度もやってみて、もしかしたら使うかも、ととっておいても使わない、ということが身にしみてわかったからです。
実は、45年以上持っていたものをたくさん捨てました。
50年近く出番がなかったのですから、やはり「いつか」は来ないという判定に充分ではないでしょうか。
私にこの事実を教えてくれたのは、こんな物でした。
手芸をしないのに手芸の材料を持っていた女
私、全く手芸系ではなく、55年を超える生涯の間、「手芸をちゃんとしたなあ」と思うのは小学校と中学校の家庭科の時間ぐらいです。
小学生の頃は、母親の婦人雑誌にのっているパターンを見て、見よう見まねでかぎ針編みをしたり、タオルでぬいぐるみを作ったこともありました。考えてみると、これは子供の好奇心ゆえのことでした。
大人になってからは、手芸はやっていません。
ずっと「編み物ができるようになったらいいな」と思っており、野望ガラクタである、通販で買った編み物セットを長らく持っていましたが、これも結局処分しました。
野望ガラクタとは?⇒なかなか捨てられない「なりたい自分になるために買った物」を断捨離する方法
一冬だけ、娘に触発されて編み物にこっていたことがあります⇒赤貧主婦のお金をかけない楽しみ(後半)~ミニマリストへの道(47)
私のやる裁縫なんて、娘のバレエ用のスカートがほつれたときのまつり縫いと、ボタン付けぐらいでした。それもここ数年はやっていません。
それなのに、母が送ってくれた古いお針箱やゴムひも、小学校のときに学校で使った裁縫箱に入っていた裁縫道具をいつまでも持っていました。
ビーズもたくさんありました。
ほとんどが古いビーズばかりです。確か、小学校3年生の時だったと思いますが、誕生日に、友だちがガラスの小瓶にビーズを入れてプレゼントしてくれました。もとはルル(風邪薬)が入っていたような小さな瓶です。
瓶の外側にポスターカラーでメッセージが書いてありました。その瓶はずっと実家に置いてあったのですが、ようやく10年ほど前に捨てました。
しかし中のビーズは、「もしかしたら、子供がクラフトに使うかもしれない」と思って、カナダに持ち帰ったのです。
けれど、子供が使うことはなく、結局、階下の引き出しに入れたままになっていました。
ビーズ類は一度整理して、種類ごとに小さな容器やビニール袋にちまちまと入れてました。
「こうすると、使うとき便利かな」と思っていたのです。しかし、実際は使わなかったのですから、便利もヘチマもなかったのです。
きれいに整理されたビーズを捨てるとき、「やっぱり、『収納』するより『捨て』なければいけない」という確信を持ちました。
この頃は、毎日のように断捨離し、不用品を捨てるたびに、この確信を深めていったものです。
『収納』するより『捨て』なさい⇒断捨離生活のモットーは『収納』するより『捨て』なさい:ミニマリストへの道(12)
無駄に持っていた大量のリボン
リボンもたくさん持っていました。
上の写真には写っていませんが、大昔エイボンレディになったばかりの時にエイボンで買った、ラッピング用のリボンをながながと持っていました。
これがそうです。
エイボンというのは化粧品会社の名前です。今は知りませんが、昔はカタログから買うようになっていました。
二十歳前後のころ、エイボンの口紅の無料サンプルを雑誌から申し込みました。それがきっかけで、私の住んでいた地区担当のゾーンマネージャーさんに誘われるままにエイボンレディになってしまったのです。
エイボンレディとは、人にカタログを見せて化粧品を売る人のことです。
今は肌断食を経て、まったく化粧をしない私。若いころも、ほとんど化粧をしていませんでした。じゃあ、なぜ口紅のサンプルを申し込んだのかというと、「無料だから、もらわなければ損だ」と思ったのです。
エイボンレディになってしまったのは、ノーと言えなかったからです。
エイボンレディになりたてのとき、「人にプレゼントするのにリボンがあるといいよね」と思って、ゴールド、シルバー、ピンクのリボンを買いました。
このリボン、業務用のみたいで、ものすごくたっぷりありました。
それ以来誰かにプレゼントをするたびに、エイボンのリボンを使っていました。しかし、そもそもそんなにプレゼントをする機会はないため、どんなに必死になって使っても、なかなか使いきれませんでした。
30年のあいだに、ようやく一巻き使いきりましたが、まだ2つ残っていたのをずっと持っていたのです。
このとき捨てることができて本当に肩の荷がおりました。
大きな写真に写っているリボンは、髪をしばって結んだり、首に巻いたりするリボンです。
25年ほど前に、こういうリボンがすごく流行りました。
オリーブ少女だった私は、すでにいい年をしていましたが、リボン専門店で、たくさん買い集めました。フェリシモで買ったものもあります。
オリーブ少女が何かわからない方で、知りたい方はこちらをごらんください⇒2015年、断捨離してよかったもの(古いもの編)~捨てるからこそよみがえる思い出 2.「のんちゃんジャーナル」2冊、のところです。
おしゃれ用のリボンをたくさん買い集めたものの、例によってほとんど使っていませんでした。
実はこのリボンも長らく実家にあったのです。先のビーズと同じで、子供が使うかもしれないと思って、こちらに持ってきました。しかし、誰も使いませんでした。
そしてやはりビーズと同じように、きれいに収納しようとして、アルミホイルの芯に巻いてみたり、1本ずつ巻いて、テープで止めたりという無意味な整理をしていました。
45年以上前の古い色紙(いろがみ)もようやく断捨離
小さい色紙も捨てました。
これも相当古いものです。こんなふうにさまざまな絵の描いてある色紙(千代紙?)が、私が小さい頃、爆発的に流行ったのです。記憶が定かではないのですが、小学校低学年の頃に流行ったと思います。
だとしたら、ほぼ50年前です。
10センチ四方ぐらいのサイズの小さい色紙です。
友だちと交換しつつ、コレクションを増やしていきました。コレクションするだけで、使うことはありませんでした。
これもビーズやリボンと一緒で、長らく実家に置いてあったのですが…あとは上に書いたのと同じ文章が続きます。
色紙を捨てる前にパラパラ見ていたら、鮎原こずえが出てきたので、記念に写真を撮っておきました。
鮎原こずえというのは、『アタックNo.1』(アタックナンバーワン)という漫画の主人公です。この漫画、1968年1月から1970年12月まで、『週間マーガレット』という少女漫画の雑誌に連載されていました。
やはり50年近く前のもの、と言えます。
☆「ミニマリストへの道」を最初から読む方はこちらへ⇒何度も失敗したけど、今も前を見て進んでいます~「ミニマリストへの道」のまとめ(1)
☆この続きはこちら⇒今の雑貨はほぼ嗜好品。なくても生きていける:ミニマリストへの道(67)
この日捨てたお針箱などは寄付センターに持ち込みました。
これでおわかりいただけたでしょう。
「いつか使うかも」の「いつか」は来ません。
私のように、使いもしない古いものをいつまでも持っている愚か者は、そうそういないとは思います。
ですが、万が一、10年以上も前の物で、全然使っていないのを後生大事に持っているのなら、早急に手放すことをおすすめします。
古いものを手放して、本当に気分がスッキリしました。
この頃、雑貨をどれだけ捨てたかわからないほど捨てました。200個ぐらいはゆうに捨てたと思います。
「200個なんてたいしたことない」と思うかもしれませんが、すでにこのとき、「自分はシンプルライフだ」とか「私、ミニマリストだもんね」と思っていたのです。
その実、たいしてミニマルではなかったのです。