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子供が小さいときに作った物など、捨てたい物はたくさんあるけれど、どうしても執着を感じてしまいます。執着のある物を捨てる方法はありますか?というご質問をいただきました。
きょうはこの質問にお答えします。
執着は持ち主の都合
物に執着しているのは、持ち主の都合なので、持ち主が考え方を変えれば、執着は起きません。
物は物であり、心は持っていません。物に心や命のようなものを吹き込んだり、投影しているのはそれを持っている人です。
まあ、中には、人にたたるような物もあるようですが、これはまれなケースです。
家の中にある不用品のほとんどは、「ふつうの物」ですから、自分の考え方1つで、簡単に執着は外せます。
執着のある物の捨て方を4つ紹介しますので、一番しっくりくる方法を採用してください。
1.執着してない物から捨てる
簡単なものから捨てて、捨てる経験値をあげる方法です。
「捨てる経験値」なんて書くと難しげですが、要するに、捨てることに慣れていきます。
不用品を捨てることは、習うより慣れろ、という面が強いと思います。
捨てやすい物からどんどん捨てていくと、「おお、捨てるとスッキリする」「捨てると楽になる」ということが自分でわかるので、少しずつ、捨てにくいものも捨てられるようになっていくのです。
「捨てる?それとも捨てない?」という意思決定は、やっているうちに上手になっていきます。
筋トレのようなものです。
私は、たくさんの物を捨てているうちに、「結局捨てられない物は何もない」という真理に到達しました。
まだ物はたくさん持っていますが、生きるのに必要だし、あると毎日の生活が楽しくなるから、という理由で手元に置いています。
写真や子供の作品など、いわゆる思い出の品はそんなに数はいらないし、小さな靴箱1つに入る分で充分ではないか、という考えに至りました。
そんな私ですが、以前は、着ていない服をたくさん持っていたし、自分が勉強したノートや古い参考書を長々と持ちつづけていたものです。
捨てているうちに、「余計な物はないほうがいい」とわかりました。
「物が少ないほうが楽だよ」と頭でわかっている人はたくさんいます。それなのに不用品を捨てないのは、自分で、心底納得していないからです。
自分で納得するためには、捨てる行動を起こすことが必要です。
2.1つずつ対峙する
「思い出の物が捨てられない」「クローゼットが着ない服でいっぱいだけど、捨てるなんてもったいない」「押入れにあるごちゃごちゃの箱、なんとかしたい」。
こんなふうに思いつつも、いつまでたっても捨てられない人は、捨てる対象がぼんやりしすぎているので行動を起こせないのだと思います。
時間を作り、1つひとつの品物を取り出して、じっくり眺めてみてください。
思い出の品はたいてい箱の中に入っているでしょうから、中身を全部取り出してチェックするわけです。
写真だったら、1枚1枚見なければなりません(もちろん捨てられる人はまとめて捨ててもOKです)。
実際に品物を見つめて、それぞれの物が「自分の人生の中にある意義」を問いただしてください。これはけっこうたいへんな作業です。
思い出の物が多ければ多いほど時間がかかります。
たいてい、取捨選択をやっているうちに、「ああ、もう、めんどくさい、こんなもの、みんないらないわ」となるでしょう。
いちいち執着を感じてしまう人は、しつこく、どこまでも1つひとつの物を見て、それが自分の家にある意味を考えるべきなのです。
面倒で時間のかかる作業ですが、1つずつ評価を下していけば、納得して捨てられます。
「持っている意味」のあるものだけを残そうとすると、そんなにたくさんは残りません。
それぞれの品物と対峙するときは、それを見て自分がどんな気持ちになるのか考えてください。
思い出の品は、たいてい「わ~、懐かしい」となるでしょう。それはポジティブな感情だと思います。
けれども、古いものってみんな懐かしいのです。
ここで考えなければいけないのは、「懐かしい」と思わせてくれるものが、50個も100個も必要かどうか、です。
「懐かしい」だけでは、残すものとしては不十分ではないでしょうか?
懐かしいだけでなく、自分の中にポジティブな思いを呼び起こすものを手元に置いたほうがいいです。
いくら思い出があるからといって、100個も200個も物は残せないのです。
スペースが限られているし、管理に手間がかかるし、何より邪魔になっているのですから。
☆執着の正体とは?⇒物に執着してなかなか捨てられないあなたに。執着心を捨てる方法はこれです
3.自分のことばかり考えるのをやめる
使わない物や、思い出はあるが、特に有用でもない物をたくさん家の中にためこんでいる人は、ある意味、自分勝手な人です。
「自分の物をどうしようと勝手だろう」という意見が出るかもしれませんが、執着をはずすための考え方の1つとしてお聞きください。
「捨てるのはいやだ、面倒だ、もったいない、いつか使う時が来る可能性だってある」という理由で、大量の不良品を家の中にためこむことは、他人に迷惑な所業です。
物はいつかゴミになるので、誰かが処分しなければなりません。
ためこんでいる人が高齢だったら、亡くなったあと、親族が処分することになります。
遺品整理です⇒生前整理のススメ~すべてを遺品整理に回すより、少しでも生前整理をしておくべき理由とは?
何十年も使わなかった物を処分するために、誰かが時間とそれなりのお金を使わなければなりません。
「死後、迷惑をかけないために」という理由で物を減らすのは、おすすめしませんが、今、自分が手放せば、誰かの役に立つかもしれない、という可能性は考えるべきです。
一人ひとりが、自分用の何かを持つようになったから、この世界は物であふれるようになりました。
確かに自分用のものを持っていると便利です。
けれども、使っていないんだったら、手放したほうがいいんじゃないでしょうか?
家の中にずっと放置しても、喜ぶのはヒメマルカツオブシムシのような布地を食べる虫や、ダニやカビ菌だけだと思います。
使っていない物を目にしたら、「これってもしかしたらもっと別の世界で活躍できるんじゃないの?」と考えてみてください。
家では、みにくいアヒルの子のように、「いっそどこか遠い所へ行ってくれるといいのに。でも自分で捨てるのはもったいないし」と思っている物でも、外に出してみると、真っ白に光り輝く白鳥となり、誰かの生活をよくするかもしれないのです。
4.物はそう簡単にはなくならない、ずっと自分と共にある
以前も記事に書いたのですが、物は捨てたからと言って、この世から消滅するわけではありません。
燃えるゴミは焼却灰と二酸化炭素になります。灰は埋められます。
こちらの記事参照⇒真の意味で物を減らす3つの方法。地球のガラクタも減らさなければ片手落ち。
今、問題になっているのは、人工的に作られた石油製品(プラスチックなど)が多いことです。こうしたものは、燃えないゴミであり、埋め立てても、ちょっとやそっとではなくなりません。
だんだん劣化することはありますが、いつまでもそこにあります。半永久的にある、とも言えます。
人は物を捨てて、それが自分の目の前からなくなると、「失くしてしまった」と思うものです。ところが、地球上にけっこういつまでもあるのです。
そう思えば、執着を外すことができるのではないでしょうか?
失くしてはいないのですから。単に家の中から外に移動しただけです。置き場所が変わったのです。
家の中にあったときだって、ふだんは目もくれていなかったのです。遠いゴミ捨て場に埋め立てられていても、同じではないでしょうか?
自分を地球ファミリーの一員だと思ってください。どんなに断捨離しても、何も失くしてはいないのです。
特に100均などで、プラスチック製品を買うことが多い人は、地球規模で言えば、捨てても捨てても、物を持ち続けることになります。
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こんなふうに考えてみると、今は溜め込み気質の人も、練習次第で、いらない物はさっさと捨てられる人になるでしょう。
以前の私は何か物が家に入ってきたら「とりあえず取っておく」という習慣を持っていました。
それが、知らないうちに「用のないものは捨てる」という習慣に置き換わったのです。
用済みの物が出たら、とりあえずどこかにしまっていたのが、すぐにゴミに出したり、寄付するようになりました。
ゴミ(のようなもの)を発見⇒手放す、ということを何度もやったせいだと思います。あきらめずに、地道に取り組んでください。