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私の12月の30日間チャレンジは、積ん読消化プロジェクトです。
毎日、少しずつ、手をつけていない本(紙本も電子書籍も)を読んでいます。
ついでに、消化していない(使っていない)ほかのコンテンツも洗い出してみたら、大量に出てきました。
物はかなり減らして、まんべんなく使う生活になりましたが、コンテンツはまだまだだ、と今更ながら思いましたね。
今回は、この積ん読消化プロジェクトについてお話します。
積ん読消化プロジェクトとは?
積ん読とは、買ったけれど読まずにそのへんに放置されている本のことです。こうした本が増えていくと、積み重ねられていくので、積ん読と呼ばれるのでしょう。
最近は、英語メディアでも、tsundoku という言葉を見ることがあります。なかなかうまい言い方ですね。
10代~20代の私は、積ん読女王で、読んでいない本が家の中にのさばっていました。
この状態をなんとかしたいと思い、本の数を減らしたり、1冊読んでから、買うようにしたり、ときには、全く本を買わないようにしたりして、私の積ん読の規模は一応縮小されてはきました。
本を買わないチャレンジ⇒本や雑誌を捨てられないあなたに、本箱チャレンジのススメ。
雑誌はもうずいぶん前に、買わなくなりました。雑誌をためこみすぎて、捨てた経験があるからです⇒「持たない暮し」をめざすとき絶対してはいけないこととは?~ミニマリストへの道(21)
けれども、部屋にほこりがたまるように、時間がたつと、知らないうちに、また少しずつ積ん読が増えていきます。
今月は、本だけでなく、まだ手をつけていないコンテンツも見直したくて、未消化コンテンツを全部書き出してみました。
こんなにあった、未消化コンテンツ
未消化コンテンツとは、買っただけで放置されているコンテンツ、いつかは消費したいと思っているコンテンツです(あくまで私の定義です)。
私としては、できるだけ早く、見たり、聞いたり、読んだり、学習したいと思うものが未消化コンテンツです。
買ったときは、「あ、これ読みたいな(見たいな/聞きたいな/読みたいな/学びたいな)と思っていたものの、時間に限りがあるため、消費が後回しにされてしまったものたちです。
先日、そんなコンテンツをざっと書き出してみました。
読みたいけどまだ読んでいないもの
日本語の紙の本、日本語のキンドル本、英語の紙の本、英語のキンドル本、フランス語の紙の本、フランス語のキンドル本
それぞれのカテゴリーに少なくとも2冊はあります。もっと多いカテゴリーもあります。
聞きたいけどまだ聞いていないもの
オーディオブック(英語、フランス語)
オーディオブックは、聞くのに時間がかかるため、かなりたまっています。
本は読んだほうが早いのですが、スロージョギング中や、ミニトランポリン中にオーディオブックを聞くのが好きで、アメリカのAudibleの会員になっています。
オーディオブックのいいところは、手がふさがっていても、耳があいていれば、聞くことができる点である、とよく言われます。
ですが、私は、ながらで何かをするのがもともと苦手なため、よほどの単純作業じゃないと、オーディオブックをバックに流して、べつの作業をする、ということができません。
ポッドキャストで、軽めの話題のインタビューみたいな、内容がゆるいというか、情報量が少ないものを塗り絵をしながら聞くこともありますが、小説なんかだと、耳読書と塗り絵を両立することができず、ひじょうに疲れます。
これは日本語の本でも同じです。
家事でいえば、洗濯物を干すときと、皿をふいて片付けるときなら、耳読書もできます。
しかし、洗濯物はそんなに量がないし、洗濯機の横の小物干しのピンチに止めるだけだから、すぐに終わります。お皿ふきもすぐに終わります(お皿を洗っているときは、水の流れる音で、オーディオがかき消されるので不向きです)。
前の家に住んでいるときは、床を雑巾がけするときにも聞いていましたが、いまの家はほとんどカーペット敷きのため、雑巾がけもすぐに終わってしまうので、耳読書にはむきません。
1日のうち、オーディオブックに充てるのは通常30分ぐらいです。1時間ジョギングしていますが、その半分はポッドキャストを聞いています。
フランス語の教材
まだ手をつけていない教材や中途で止まっている教材が恐ろしいほどあります。
昔は、紙の参考書や問題集だけだったのですが、いまは、インターネットのサイトにアクセスして、聞いたり、勉強したりするものが増えています。いわゆるマルチメディアです。
この、「サイトにアクセスして勉強する教材(テキスト+音声+動画)」をこなす時間がちょっぴりしか捻出できていません。
フランス語の学習に関しては、「こういうことやると、楽しく、勉強できるかも?」と自分で思いついた勉強法がいくつかあり、わざわざ教材買う必要なかった、と思うこともあります。
まだ見ていないDVD
DVDはめったに買いませんが、数年前、勉強のために買ってみたフランス語の映画でまだ見終わっていないのが3枚あります。
ビジネスの教材
数年前に仕事を学ぶために買った教材の中で、あまりしっかり読み込んでいないのが1つあります。
ビジネスの教材も、昔はPDFで配布されることが多かったのですが、いまは、サイトにアクセスして見ながら学ぶ、という方式が増えています。
動画や音声もあって、これが消費に時間がかかります。
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ざっと大きなカテゴリーを書き出したところで、「うえ~ん、すごくあるじゃん」とあきれ、細かい項目を埋めるところまではいっていません。
私はテレビを見ないので、「録画してあとで見る番組」はないし、ブックマークはやめたので、「あとで読む記事」もありません。新聞や雑誌も買わないのでありません。デジタルで購読しているメディアもありません。
SNSもやらないので、チェックするべきタイムラインもありません。
それでもこんなに未消化コンテンツがあり、飽和状態です。
積ん読のメリットを唱える人もいるけれど
最近、積ん読は悪くない、読んでいないからといって本を捨てることはない、積ん読解消なんてもってのほか、という声も聞きます。
その理由は、
●買って手元に置いておけば、それだけその本を読む可能性があがる、買わなければ、読めない
●まだ読んでいない本を眺めると、知的好奇心が刺激される(インスピレーションが得られる)
●知らない分野の本を並べておくと、自分はまだまだ何も知らないことを思い知り、もっと学ぼうという気になれる
などです。
「学ぶ人」になるために、自分が全然知らない分野の本をたくさん買って並べておけ、という人もいます。
ナシム・ニコラス・タレブという学者の意見です。「ブラック・スワン」という本に書かれているそうです。難しげなので、私は読んでいませんが、一応、翻訳本にリンクしておきます。
本は読むためだけの物ではない、というわけです。
YouTubeで外国の映画プロデューサーや脚本家のインタビューを見ていると、うしろに本が並んでいることがあります。
本箱というより、壁面に本を収納する場所がもうけられているのです。本が大量にあっても、絵になるすばらしい部屋や家に住んでおられます。
この人たちとて、全部読んでいるわけではなく、装丁が気に入ったとか、たまに拾い読みするのが好きとか、目次だけちょっとパラパラ見た、という本も持っていることでしょう。
私はジェイン・オースティンの小説が好きですが、「丹念に蔵書を集め、ライブラリー(自宅のです)を充実させている貴族は、見上げたものだ」という会話が出てきます。
オースティンの父親は牧師でしたが、本好きだったため、オースティンが子供のころ、自宅にはたくさんの本があり、彼女はそういう本を読みまくって育ちました。
家に本がたくさんあったほうが、教養あふれる豊かな人間が輩出される、その人の人生が充実する、という価値観は、いまも、人々の心の中に根付いているでしょう。
人間はどんな物にも思い入れを抱くことができます。本棚に並ぶ本に、思いを注ぎ込み、それがアイデンティティの一部になっている人もたくさんいると思います。
ですが、私はそのような思い入れは、断捨離する過程で捨てました。いま、積ん読本を見ても、知的インスピレーションなど受けず、ただ、「ああ、これ、まだ読んでないや(捨てる? 捨てない?」と思います。
それに、知的刺激をくれるのは、紙本の積ん読だけでしょう。キンドルやAmazonのクラウドに入っている書名を見ても、それは、並べなおしたり、削除したりするデータの1つに見えるだけではないでしょうか?
積ん読消化プロジェクト、今後の方針
積ん読本のみならず、未消化コンテンツがたくさんあることがわかったので、2019年は、「買わなイヤー」を年間目標にかかげつつ、サブプロジェクトとして、未消化コンテンツを少しずつ消化していくことにしました。
具体的には、手持ちの本や教材を1冊ずつ、順番に読んでいくだけです。
いまのところ、捨てる予定はありませんが、あまりに量がありすぎると思ったら、捨てるかもしもしれません。
あなたの家には、未消化コンテンツや手付かずのものがたくさんありますか?
そういうものを見て、安心感を覚えますか? それとも、気持ちが重くなるでしょうか?