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「足りないマインド」と「たっぷりあるマインド」に関して、質問をいただきました。
「たっぷりある」と思って、自分のもっているものを社会に提供しようとすると、かえって損するのではないか? という内容です。
この質問に回答しますね。
まず、メールをシェアします。ゆみさんからいただきました。
損をするような気がします
件名:ご出版されている「それって、必要?」のご質問
私は、東京都在住の30代女性兼業主婦です。
筆子様が出版されている「それって必要?」を読ませていただきました。
そのなかで、ご質問がございます。
ただ、ご返信は、してもしていただかなくても、どちらでも構いません。
(筆子様のご負担にならないようにお願いいたします)
~「質問」~
本のP159ページ、「足りない病気」にかかっていませんか?
についてです。
私は、お恥ずかしいことに「足りないからもらおう、少しでも安く買おう」という、自分本位の考え方をしてしまっております。
足りないという、飢餓感を持っているのと、「損」をすることが怖いのだと思います。
(経済環境が不安定で、かつ両親が不仲な家で育ったため、母からずっと「お金がない」「老後の不安」をきかされて育ったこともあり、自分のためにお金を使うことに罪悪感を持ってしまっているのかもしれません)
社会に貢献する発想もない、心が貧しい状態なのですが、「足りている」「充分」と思うと、心身、経済ともに豊かになれるのでしょうか。
私は、ボランティア活動には興味がないし、試しにやったこともありますが、また、積極的にやりたいとは思えません。
バイトや仕事もお給料分しか働きたくないという精神ケチな性格です。(ただ、給料分は全力で頑張って働きます)
また、旅行や遊び生活に対しても、クーポンや割り引きを使うこと前提にして生活しています。(ただし、これらは自分に対してで、冠婚葬祭、人へのプレゼント等は例外)
ただで働くこと、能力を使うことに対して、大変「損」をしていると思ってしまいます。
過去、人のため会社のためと仕事やプライベートでも時間外労働等をしても、特に感謝もされず、過労で体を壊したり、くたびれ、時間とお金がだけがなくなっただけでした。
本のように、自分を社会に生かそうという発想を考えると、搾取されて(ただ働き、いい様に利用されるだけ)終わってしまうのではと不安になってしまいますが、そうはならないのでしょうか。
メールを最後まで読んでくださってありがとうございました。
ゆみさん、はじめまして。メールありがとうございます。
本を読んでいただき、うれしいです。
「それって、必要?」をご存知ない方はこちらへ⇒筆子の新刊「それって、必要?」7月20日発売のお知らせ。著者による内容紹介です。
本にも書きましたが、「たっぷりある」「もう充分である」という考え方をすると、こころが豊かになります。 こころが豊かになれば体調もよくなりますよね。
そして、経済的にも豊かになります。
さらに、自分を社会に活かそうと考えて行動すると、幸福度があがります。
「足りないマインド」は、自分にないもの、できないことに意識を向ける考え方です。
こういう考え方をしていると、可能性のほうに全く目が向きません。
それは、ゆみさんのメールを読めばわかります。
確かに、足りないマインドを発揮したほうがいいときもあります。
「どれだけ、お金を使っても大丈夫、きっとどこかから回ってくるから」と安心しきって、貯金をしないでいると、今年みたいに、新型コロナウイルスの影響で、人員整理されて、給料が止まって困ることだってあるでしょう。
しかし、たいていの場合、「たっぷりあるマインドセット」を採用して生きていたほうが自分のためになります。
足りないマインドとたっぷりあるマインドのもたらすものを4つのポイントにわけて、説明しますね。
1.限界と可能性
足りないマインドの持ち主は、「お金が足りない」「時間が足りない」「愛情が足りない」「機会が足りない」「能力が足りない」と、限界に意識が向きます。
すでに限界に達していて、もうどうすることもできない、と考えるわけです。そこにはなんの伸びしろもありません。
一方、「たっぷりある」と考えると、「自分にはこんなにリソースがあるのだから、あんなことも、こんなこともできるよね」と可能性に目が向きます。
足りないと思っている人のところには、お金は入ってこないけれど、たっぷりあると思っている人のところには、もっとお金が入ってくる、と私が考えるのはこの理由からです。
たっぷりあるマインドの人のほうが、可能性があるのです。
2.受け身な生き方と主体的な生き方
損得勘定をベースに生きている人は、外的な状況に、振り回されます。
自分が欲しいから何かを買うのではなく、それがセールになっているから買ったりしますよね?
ゆみさんも、クーポンや割引を使えないサービスは使いたくないと考えています。
本当はAという商品(サービス)を購入して消費したいけど、Aは割引されていないから、BやCで手を打つわけです。
これは自分で決めているようで、実際は、「売り手側に買うものを決めてもらった」と考えることができます。
売り手側のプロモーションにのって決めているわけですから。
「リソースはたっぷりある」と考える人は、自分が欲しいものに素直に手を伸ばします。
それは多少割高かもしれません。けれども、本当に欲しいのだから、買ったあとの満足感は大きいでしょう。
買い物を例にあげましたが、ほかのことでも、「自分は足りないんだ、だめなんだ、とにかく損をしないように」と思いながら生きるのは、自分が好きなものに向かって、がーっと走ることができない生き方だと思います。
ゆみさんも、お金をつかうことにブレーキをかけています。
3.現状維持と変化
足りないマインドの人は、いまと少しでも違うことをすると、ただでさえ足りないものがますます足りなくなる、と恐れています。
そのため現状維持を好みます。
基本的に、何もかもが充分ではない、と感じているので、押入れの中にたくさんあるタオルや、収納ケースの中にたっぷりあるTシャツやセーターを捨てません。
「使っていない物がたくさん入っている押入れ」という現状をキープします。
たっぷりあるマインドの人は、「タオルも服もたっぷりある、使ってない分ぐらいは手放そう」と考えて、不用品を捨てます。
すると、押入れにスペースができるから、物の出し入れが楽になります。
タオルと服以外の物も捨てる気になって、不用品をたくさん捨てます。ますます家事が楽になります。
家事が楽になってあいた時間を、趣味や勉強に使って、日々がちょっぴり充実するかもしれません。
時間があいた分、ちょっと手のこんだ料理をすることができて、夕食での家族の反応が変わるかもしれません。
こんなふうに、使っていないタオルや、着ていない服を捨てるだけで、生活がどんどん変わります。
こうした変化を最初から拒絶している足りないマインドの持ち主は、本当にもったいないことをしています。
4.よろこびと恨み
同じことをしても、足りないマインドの持ち主と、たっぷりあるマインドの持ち主では、違う感情を持ちます。
誰かのために仕事や世話をしたとしましょう。
ゆみさんの言う「ただ働き」です。
たっぷりあるマインドの人は、「人の役にたててよかった」と素直に喜びを感じます。
しかし、足りないマインドの人は、「ただ働きして損した、ありがとうすら言ってもらえない」と恨みがましい気持ちになります。
過去、人のため会社のためと仕事やプライベートでも時間外労働等をしても、特に感謝もされず、過労で体を壊したり、くたびれ、時間とお金がだけがなくなっただけでした。
具体的にどういうことがあったのかはわかりませんが、時間外労働は感謝されるためにするわけではありません。
ゆみさんが、時間外労働をしたのは、純粋に、人のため、会社のためですか?
それなら、べつに「ありがとう」と言ってもらう必要はありませんよね。
人が時間外労働をするのは、勤務時間内に仕事が終わらないから、という理由と、仕事を終わらせないと、その会社をくびになるかもしれないと思うからです。
つまり、自分の首をつなぐために、時間外労働をしているのであって、それは会社のためではなく、自分のためです。
そもそも、会社で働いて、給料をもらい、そのお金で、必要なものやサービスを買って生活している時点で、ほかの人の世話になりまくっています。
会社を作って、従業員に給与を払える仕組みを整えたのは他の人、ゆみさんが日々使っている物を開発、製造、輸送、販売してくれたのも他の人。
人間はほかの人間と協力しあわなかったら、ただの1日も生きられません。
この記事読んでください⇒私の朝のコーヒーを可能にしてくれたすべての人に感謝する旅(TED)
「取るものだけ取って、自分はビタ一文も出しません」という態度で生きるには無理がありすぎる構造になっています。
「たくさんもらっているから、自分もお返しする」という態度で生きるほうが、自然だと思いませんか?
番外:搾取について
最後に「自分を社会に役立てようとすると、搾取される」という考えが間違っていることを説明します。
ゆみさんは、私は給料分しか働かないが、給料分はちゃんと働いている、と書いています。
自分が給料分、働いているか働いていないかなんてどうやってわかるんです?
ゆみさん1人が「私は給料分は働いている」と思っているだけで、実際はもともとたいして能力がなくて、給料分ほど働いていない、という可能性だってあります。
ほかの人がカバーしてくれているから、なんとか首がつながっているだけかもしれません。
どんなお仕事をされているかわかりませんが、一般的な会社に勤める会社員の代わりはいくらでもいます。
アメリカの大統領だって暗殺されれば、ほどなく、副大統領が大統領に就任して、日々はそれなりに過ぎていきます。
まあ、日本では、過労死するような職場環境があるので、一概には言えませんが、ゆみさんも、過労死しそうなぐらい、長期に渡って、ブラックな働き方を強要されてきたのでしょうか?
それなら、「搾取」という言葉を使うのもわかります。
「時間とお金だけがなくなった」という状況、もう少し冷静に客観的に考えてください。
自分は悪くなくて、ほかの人が一方的に悪い状態だったのでしょうか?
経営者が労働を強要して、給料を支払わないという状況が本当にあったのでしょうか?
お金を損した、というけれど、それはいくらぐらいの話ですか?
労働基準法にふれるぐらいの暴挙があったのなら、人事や外部の団体に言うべきでしたが、そうしましたか? しなかったとしたら、なぜですか?
ゆみさんの「皆のためになりたい」という気持ちのせいで、時間とお金がなくなり、体をこわしたのですか?
時間とお金を失ったけれど、何か別のものは手に入れませんでしたか?
足りないマインドの人は、損することに敏感なので、「なくなった、なくなった」と大騒ぎするけれど、何かがなくなるとき、かわりに必ず何かべつのものが入ってきます。あるいは、そこにあることに気づきます。
たっぷりあるマインドの人は、入ってきたものに目を向けることができるので、被害者や悲劇のヒロインにならなくてもすみます。
本来、人間は人の役にたちたいと思っています。先にも書いたように、人は協力しあわないと生きていけないからです。
人間の本能が一番優先することは、自分の生存(サバイバル)です。そのために、他人との協力は不可欠です。
人の役にたちたくない、社会のためになることなんてしたくない、と思って、そうしようとするのは、自分の本能が最優先している「生存すること」の逆の道に向かうことです。
ブレーキを踏みながらアクセルを踏んでいる状態、つまり停滞している状態ですから、幸せでもないでしょう。
足りないマインドについて
足りないマインドについて書いた過去記事です。
よかったら読んでください。
こんな考え方が貧乏を引き寄せる。お金がたまらない恐怖のマインドとは?
なぜ私ばかりが(怒)、と思う人は『足りないマインド』を『たっぷりあるマインド』に変えればよい。
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読者の質問に回答しました。
「搾取」という言葉、本来は、階級制度の中で使われるもので、権力者(地主や資本家)が、労働者や農民に、労働を強要し、労働者が生み出した利益を横取りすることです。
日本に生まれ育った人が、日本で搾取されるのは、そうそうあることではないと思いますが、どうでしょうか?
外国人労働者など、マイノリティグループに属する人だったら、そういう事態はあるかもしれませんが。
それでは、あなたも質問や感想などありましたら、お気軽にメールください。お待ちしています。