結婚式の写真のネガを捨てたら、心底せいせいした。

ミニマルな日常

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シンプルで身軽な暮らしを心がけている読者2人のお便りを紹介します。

内容:

・写真のネガを捨てた話

・筆子ジャーナルを参考にしてやってみたこと(日々の掃除、洋服ノート作り、古いバッグの修理)

まずJackieさんのお便りです。

結婚式のネガを捨てたら心底スッキリした

件名:結婚式のネガをやっと捨てられて思うこと

筆子さんのお導きで、ここ数年で暮らしがどんどん身軽になってきたJackieです。

もの、心、体重など、いろいろな形での片づけが進めば進むほど、ますます、片づけには終わりはないな、と、新たな扉が開くような驚きを感じています。

これだけあれこれを片づけてきてもなお、いまだにずっと捨てられなかったものがありました。

ずっと捨てられなかったネガ

結婚式のネガです。

こう書くと笑っちゃうくらいの、些末(さまつ)なものですし、分量的にも、ほんの一握り。

ほかの大量のネガはとっくに全捨てしているくせに、これだけは、いままでに何度も処分しようと、ゴミ箱に入れてみては、やっぱり取り出してしまい、というのを3回くらい繰り返していました。

「使っていないものは、なくなっても困らない」、「捨てたら、もう迷わなくていい」、「後悔をしても、べつにいい」というような理由を総動員しても、なぜか、どうしても捨てきれないままでした。

でも先日、「捨てようかと迷うものは、本心では捨てたいもの」というフレーズをどこかで読み、考えが一歩進んだ気がしました。

捨てる理由がたくさんあった

自分の中の「捨てたい気持ち」に寄り添ってみたら、いままでは思いつかなかった「捨てる理由」が、いろいろ浮かんできました。

結婚式直後に親戚知人に焼き増しして以来、20年近く、一度も使っていないし、今後も使う予定はない。

人にもらった当日の写真はそもそもネガがないのだし、自分のカメラで撮った写真だけネガが要ることもない。

ネガのある写真が特別よく撮れているわけでもない。

一番よく撮れている写真は当日入ったプロのもので、それはちゃんとCDがある。

ネガを捨てたら、焼き増しの都合のためにすべての写真を順番に取っておく必要もないから、写真そのものも、いいものだけ残して、あとは捨てられる。

そもそも、夫も娘も、結婚式の日のスナップ写真など、興味もないし見返すこともない。

こだわっていたのは自分だけ。

ネガを捨てないことで、結婚式を大切に思っているというアリバイをキープしたかっただけかも。

そんな思いを物にこめるのではなく、物から切り離して、物は捨てていいのでは。

というか、そんな思い自体を捨てて、むしろ銀婚式とか金婚式へ邁進する心持ちになるべきでは・・・などなど。

筆子ジャーナルを読み続けてきて、もう身についているように思っていた、たくさんの考え方が、これにだけはいままで適用できていなかったことに、気づかされました。

「考え方」は、具体的な物に実際にあてはめられてこそ、生きてくる。

だから、「何に、どう、あてはめるか」こそが、考えるポイントなのだな、と感じます。

そして、いままでは自分の中の、自分でも把握できていない心理が、それをブロックしていて、できていなかったのだな、と気づきました。

ネガを捨てたらとってもせいせいした

そうして、ついに捨てた時は、心の底から、せいせいしました。

予想していなかったくらい、自由になった気持ちです。

いまでは、ものを捨てたい、と思ったら、「捨てる理由」を考え出さなくてもいいのでは、とすら思います。

「捨てる理由」がないと捨ててはいけない、というのも、ひとつの思い込みかも。

逆に、「残すべき理由」がさほどないなら、もう残さなくていいかも。

自分をとことん納得させるために費やす時間のほうがもったいないし、理詰めでする必要もないかも――そういう気持ちにまでなりました。

「心がいやなことは、しなくていい」という読者のお子さんのことばに沿えば、「心がしたいことなら、すればいい」とでも言いましょうか。

心が決まりさえすれば、理由などは後付けでいくらでも出てくるし、理屈より気持ちを優先させてもいいよね、結果的にこんなにスッキリするなら、と思った経験でした。

その後、そういう心持ちで本棚に向かったら、「これも、もう必要ないな」と思えるようになった本が何冊も出てきました。

筆子さんのおっしゃる、「ものがなければ、いやでもスッキリしてしまう」部屋を、今後もめざしていきたいです。これからも、どうぞよろしくお願いいたします。

Jackieさん、こんにちは。いつもお便りありがとうございます。

苦労の果てにネガを捨てることができてよかったですね。

今は、写真から写真のプリントができるから、ネガはなくても大丈夫ですよ。

カメラマンのように仕事でネガを使うのでなければ、ネガは真っ先に捨てられるものの1つではないでしょうか?

これまで体験したできごとが、写真という形で残っていなくても、自分の心(記憶)の中に残っているので、写真はそんなに何枚もいりません。

数が多いと、かえって見ませんよね。

おっしゃるように、「これ捨てようかな?」という気になるものは、もう自分の中で、「いらないもの」になっています。

本当に大事なものは、そもそも、捨てようと思いませんから。

この点について、以前、こちらの記事に書いています⇒資格を取ったときに使ったテキストがなかなか捨てられないときの解決法。

ただ、いらないとわかっていても、人間って、一度手に入れたものに、すごく執着しちゃうんです。

だから、捨てにくいものは、実用品ならとことん使いたおし、飾りものなら、嫌というほど飾って、見て、参照するといいです。

すると、「もう充分使った」「やりきった」という気持ちになるので、捨てやすいと思います。

それでは、Jackieさん、これからも、スッキリ生活を続けてください。

心がいやなことは、しなくていいんだよ、というお子さんの言葉を紹介したお便りはこちら⇒去年思い切って私が捨てたもの、そして手に入れたもの。

写真の断捨離⇒古い写真を整理するとき、残す写真を選ぶ基準。箱にまとめて入れてます。

写真を撮りすぎないほうがいい話⇒撮る必要のない写真まで撮っていませんか? 写真を撮りすぎる問題について。

掃除・洋服ノート・古いバッグの修理

次は、かすみ草さんのお便りです。

筆子様、

2回目のお便りです。

昨日のブログに私のメールとお返事が載っていました。

ありがとうございます。

その後も少しずつブログを参考に続けていることがあり、ご報告です。

〈お風呂場編〉

なかなか落ちなかったお風呂場の床の皮脂汚れ、毎日お風呂の度にブラシでお掃除をしていたら、いつの間にか消えて白くなっていたんです。

汚れを一気に落としてしまおうと力が入りすぎると疲れるし、頑張った割にきれいにならなくて不完全燃焼に終わる事が多かったのですが、日々コツコツだな~なんて当たり前のことですが実感しています。

床以外の部分も含め、全体をきれいにしたくて、今月初めにはプロにお掃除を依頼してピカピカになりました。(掃除方法やアドバイスもいただきました)

〈洋服と鞄編〉

洋服ノートも作成しました。

スマホでクローゼットにある全ての衣類、鞄、そしてアクセサリーを写真に撮り、アルバム保存しています。

今日、買おうか迷った服を買わずに済みました。

服を買うと決めた場合でも、色やデザインで迷った時にスマホに保存してあると、どちらがいいかその場で決められるので無駄がないですね。

あと、持ち手が古くなり処分しようか迷っていた革の鞄を先日修理に出してみました。

昨日引き取りに行ったのですが、丁寧にコバ塗りしてもらい、以前の姿に戻った鞄をみてうれしくなりました。

ごみを出さずに済んだのもよかったです。

不必要な物は思い切って処分、そしてまだ使えそうな物は修理やリサイクルすると言う考え方をすると環境にも優しいし、物を大事にする心も芽生えますね。

筆子さんのブログ、読者からのお便り、そしてTEDトークから学ぶ事は多いです。

まだまだ、伝えたい事はあるのですが長くなるので又次回にしますね。

これからもブログ楽しみにしています。

*筆子註釈:コバ塗りは、ニスを塗って仕上げること。

かすみ草さん、お便りありがとうございます。

お風呂がきれいになってよかったです。

掃除も断捨離も一気にスッキリさせたいところですが、少しずつやったほうが負担が少ないですね。

洋服ノートも作ったのですね⇒服の買い過ぎ防止に効果がある「洋服ノート」の作り方。

1回作っておくと、手持ちの物を把握できるので、死蔵品を作りにくくなるし、買い物にも役立ちますね。

ノートを作ってみると、意外と自分がいろいろなものを持っていることに気づきます。

古いバッグが修理でよみがえったのもうれしいですね。

それでは、かすみ草さん、これからも、シンプルライフを楽しんでください。

前回いただいたかすみ草さんのお便りはこちらで紹介⇒自分で管理できる分まで物を減らしたらこうなった。

******

告知(2回め):エッセオンラインに新しい記事が掲載されています。興味がある方は読んでください。

⇒老後に向けて暮らしを小さく。50代からやるべき3つのこと | ESSEonline(エッセ オンライン)

私は大人になってから「式」と名のつくものには、ろくに出ていないので、写真もありません。

成人式、卒業式、謝恩会のたぐいはすべて行ってないし、カナダの短大の卒業式には行った記憶がありますが(青いガウンを着た)、写真は取ってないし(カメラを持っていなかった)、結婚式もしてないし、他人の結婚式に出たことはありますが、写真は1枚も残っていません。

ですが、それがすごく不幸なことだったとは、全く思いません。

先日、「私が作ったキルトのベッドカバーを、私が生きた証として、ずっと持ち続けてほしい」と願う義理のお義母さんがいる方のお便りを紹介しましたが⇒義理母の手作りのプレゼントを受け取りたくないけど、断って悲しませたくない。どうしたらいいの?

私はどちらかというと、何も残さず消えていきたいほうです。

しかし、何も残さないのも、それはそれでむずかしいです。まず、死体が残りますよね。

飛行機事故で、機体ごと海に落ちるとか、戦争に行ったまま戻ってこない、という死に方をすれば、死体はありません。

しかし、死体が出ない死に方をすると、家族や友人は、死んだとは思えないから、ふつうに死んだときよりも、強烈に、人の心の中で生き続けます。

いずれにしても「生きた証を残したい!」としゃかりきにならなくても、何らかのものは残ってしまうわけです。

残したくなくても残るのだから、「捨てたいな」と思ったものをどんどん捨てても、まだかなりのものが残りますよ。

それでは、あなたも、感想、質問、近況、その他伝えたいことがありましたら、お気軽にメールください。お待ちしています。

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カナダ在住の60代。ミニマリストです。

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