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本の断捨離に関する質問に回答します。
本は大事なものだから捨てないほうがいいという意見が多いのに、捨てることにメリットがあるんですか?
こんな質問です。
まず、メールをシェアしますね。Hさんからいただきました。小見出しは私が入れました。
本は捨てるべきではないのでは?
件名:本を捨てることについて
私は51歳の女性です。
筆子さんのブログ、興味深く読ませていただいております。
今回、「本を捨てること」について筆子さんのお考えをお聞きしたく、メールいたしました。
本をたくさん持っています
私は、自分自身の大きな本棚2個に本があふれるほど入っていて、さらに同居している親の本棚にも私の本をいくつか置いてある状態なので、減らしてスッキリとしたくて、まめに捨てたりメルカリに出したりしています。
しかし、ネットを見ると「本を捨てる」ことに対して批判的な人が少なくありません。
他の物(服など)を捨てることには肯定的な人でも、本を捨てることには否定的だったりします。
本を捨てないほうがいい理由
その理由は、まとめると「本は貴重な文化財であり、知識・教養・文化の源である」から、「本を捨てることは文化を軽視すること、知識・教養のない文化レベルの低い人間になること」ということです。
本の中には、結構すぐに絶版になってしまう本も多いです。絶版になると、リサイクル市場でやたら高額になることも少なくありません。
また、絶版にはならなくても、現在では使用禁止になっている差別用語が他の用語に置き換わったり、翻訳本だと訳者が変わって作品の雰囲気も変わってしまったりして、「出版当初のものとは違う」こともよくあります。
だから、一度手放してしまうと、また読みたいと思った時に同じものは2度と手に入らない可能性も高いようです。
また、断捨離やミニマリストの方は「1年使わなかったものは2度と使わない」とよく言うけれど、本は、10年後、20年後に読みたくなる、と言っている人もいます。
そういう人たちは、また読みたくなった時にはすでに絶版になっていて後悔しているそうです。
また、子供への悪影響を心配している人もいました。
子供は、本棚に入っている本を勝手に読んで、それで知識を得ていくことが少なくありません。本のない家だと、本を手に取って読むという習慣が育たず、読書好きになれない、ということです。
本を捨てるべきではないのか?
こういう声を読むと、「本を捨てて家をすっきりさせよう」と思っても「本を捨ててはいけないのか」と考え、心が揺れてしまいます。
そこで、筆子さんのお考えをお聞きしたく思いました。
上記で書いた「本を捨てると知識・教養・文化レベルの低い人間になる」「本は絶版になったり、言葉遣いや訳者が変わったりするから、「読みたくなったらまた買えばいい」というわけにはいかない」「家に本がないと子供は読書好きにならない」という意見について、筆子さんはどうお考えになりますか?
また、そのような意見は確かにその通りであるとしても、本を捨てることにはそれを上回るメリットがあるとお考えですか?
もしそうであれば、そうお考えになる理由も教えていただきたいです。
どうぞよろしくお願いいたします。
Hさん、はじめまして。お便りありがとうございます。
不用な本は捨てたほうがいいに決まってる
本を捨てることにメリットがあるか? ありますよ、大ありです。
実は私も本が好きで、若いころたくさん本を持っていました。
そのあたりのことは過去記事を読んでもらえばわかります。
たとえお金をもらっても、そんな暮らしに戻りたいとは思いません。
本が多いと邪魔だし、視覚的ノイズになるし、ほこりや虫をよせつけるし、管理の手間が発生するし(並べ替えたり、探したり)、引っ越しのときは、めちゃくちゃ重くて、泣きそうになります。
しかも、まだ読んでない本があると、「ああ、あれ買ったのに、まだ読んでないじゃん…」と、罪悪感を感じます。
それに、たくさんあると、どの本がどこにあるかわからなくなりますよね?
Hさんの言うように、20年後に、特定の本を読みたくなることがあったとしても、さっと手に取れませんよ。
Hさんは、本がたくさんあると、生活しにくいことはよくわかっていて、少し減らしたいと思っており、実際メルカリなどで売っています。
しかし、本を捨てたくないという気持ちもあります。なぜなら、人間はどんなものでも、いったん所有したものを失うのを嫌うからです。
これは本能的な反応です⇒物を捨てられないのは恐怖のせい~損失回避と、授かり効果の心理をさぐる
捨てたくないから、ネットで本を捨てなくてもいい理由を探して、捨てなくてもいいようにしてるんじゃないでしょうか?
しかし、「失いたくない」という本能的な反応は、文化の進化についてきていない、昔ながらの脳の反応であり、現実を客観的に判断したら、不用な本は少し手放して、すっきりした本箱にしたほうが、読書タイムがもっと充実します。
大事な本まで捨てなくてもいい
多くの人が、「筆子は何もかも捨てろと言っている」と思っていますが、私はそんなことを書いたことは一度もありません。
不用な物を捨てて、大事な物は残し給え、と書いています。
なぜ、不用品を捨てるのか?
大事な物を本当に大切にできる生活にするためです。
ところが、物を捨てるのが苦手な人は、「ガラクタは捨てたほうがいいかもよ」と言われると、まるで攻撃されたように感じてしまい、「全部捨てなきゃいけないの?」と、防御態勢に入ります。
全部捨てなくていいんです。
私も以下の本は、まだ手元にあります。
『ガラクタ捨てれば自分が見える』で衝撃のスペースクリアリングに出会う~ミニマリストへの道(20)
暮しの手帖社の『すてきなあなたに』を断捨離せずに持っているわけ
「『奥さまは魔女』よ永遠に」は楽しすぎるから捨てられない~断捨離せずに持ってる本2冊め
Hさんにとって、本当に本棚2つに詰まっている本が大事なら、手元に残してください。
Hさんの生活の質をあげ、理想の未来を手にするのに、貢献してくれる本ならば。
それと、私、「1年使わなかったら、2度と使わないなんて言い切ってませんけど?」 そんなふうに感じるのも防御態勢に入っているからではないでしょうか?
本を捨てることイコール本を読まないことではない
確かに、本は文化と結びついています。本を読めば言葉を覚え、思考力がつき、知らない世界を知ることができるから、他人に対する想像力も養われます。教養もつくでしょう。
でも、それは、適切な本を適切なタイミングで読んだときに起きることです。
家の中に、読まない本をいっぱい置いていたって、自分も、その家の文化度もあがりません。汚屋敷度があがるだけです。
Hさんの家には本がいっぱいあり、私の家にはあまりありません(実際はまだけっこうあります)。では、Hさんは、私より知識のある教養人なんでしょうか?
本を全く読まない私の娘は、文明人として、劣るんでしょうか?
そもそも、知識や教養の多寡なんて、わかりやすい形で測ることはできません。
「持ってる本を捨てちゃったら、私、野蛮人になってしまう」なんて取り越し苦労もいいところです。
仮に家に本が1冊もなかったとしても、図書館に行けばあるわけですから、図書館で読めばいいんです。
2度と手に入らない本について
本は絶版になるから、読みたくなったとき、手に入らないという心配も不用です。
まず、捨ててしまうと、高く確率で、その本を持っていたことを忘れます。
仮に、20年後に、訳者の違う翻訳本を読んで、昔持っていた訳者の本を思い出し、読みたくなったとしたら、きっと図書館にあります。
マイナーな本で、どこにもなく、読みたいと思っても手に入らないときは、べつに読まなくていいんです。
他に読む本はいくらでもあるから。
読みたい、食べたい、さわりたいと思った物を、読むことも食べることもさわることもできない。そんなの人生にはよくあることです。
会いたい人にだって会えません。
エリザベス2世が、もうこの世にはいないから、今年のクリスマスに女王のメッセージを聞けないのが、私はとても残念です。
でも、仕方ないですよね? だから私は、チャールズ3世のメッセージを聞きますよ。
すべての希望を叶えられる人なんていませんし、そんなことができたら、人生の面白みが半減します。すべては一期一会だからこそ、今、この瞬間に価値があるんじゃないですか?
実際問題として、自分も、生活環境もどんどん変わるので、何かが2度と手に入らないことをそんなに恐れる必要はありません。
他人の捨てない理由は自分の捨てない理由じゃない
ネットで見かける、不特定多数の人が言う「本を捨てないほうがいい理由」は、Hさんにとっての、本を捨てない理由にはなりえません。
それは、あくまで誰か知らない人が言っている一般論です。
どれほど他人が、「本は捨てないほうがいい」と言ったって、HさんにはHさんの捨てたほうがいい切実な理由があるんじゃないですか?
地震が多い国に住んでいて、ぐらっと来たら、本棚が倒れ、私は本の下敷きになってしまう、本棚から本があふれていて、入れるのに苦心している、1冊抜き出すと、他の本までどどって出てくる、帰宅して、書棚を見るたびにイライラするなど。
20年後、読みたくなったときに、読めないかもしれない、旧仮名遣いの本が手に入らないかもしれない、なんて心配より、私は地震の心配をし、現在の暮らしやすさを優先します。
家に本がないと子供は読書好きにならない話ですが、確かに、身近に本があったほうが、本に手が伸びやすいでしょう。
こちらに、積ん読本のメリットを書いています⇒積ん読消化プロジェクトを始めて気づいた大量の未消化コンテンツ。
この記事にも書きましたが、手近にその本がなければ、その本を読む可能性は、そばにある場合より下がります。
下がりますが、ふつうに小学校や中学校に通っていたら、学校の図書館や学級文庫にある本を読みますし、友達から借りても読みます。電子書籍もあるし、私の子供時代のように、家に世界全集や百科事典を備えておく必要はありません。
今、若い人の読書離れが進んでいるのは、親が全く本を買わないからでもなく、家にある本を全部捨てたからでもありません。
スマホやパソコンで、本を読むよりもっと簡単に楽しめるコンテンツ(ゲームやビデオ)に、自由にいくらでもアクセスできるからです。
動画やアニメばかりで育つと、活字を読むのは苦痛に感じます。前も書きましたが、活字を読んで情報をプロセスするのは、動画を見るより、脳に負荷がかかるし、時間もかかります。
活字を読むのがつら感じる話⇒カナダで桜が咲く時期はいつですか?~質問の回答。
アニメに慣れると、漫画ですら、読むのがおっくうになるでしょう。
幼いときから、子供にスマホを与える一方で、「読書好きになってほしいから」と、本を本棚に詰めておいても、無駄だと思います。
というより、そもそも、Hさんのお宅に、読書好きになってほしい小学生がいるんですか?
本当に子どもたちに読書好きになってほしいなら、自分の家の書架を近所の子供たちに解放したほうがいいのでは? 大人向けの本ばかりかもしれませんが。
以上が私の回答です。
ネットで見た一般論が自分が本を捨てない理由にならないように、私の意見が、Hさんの本を捨てる理由に自動的になることもありません。
自分がどんな生活をしたいのか、考えて、ご自身で選択してください。
本の断捨離、まとめ記事⇒筆子流・本と雑誌の捨て方を書いた記事のまとめ
「積ん読」という言葉で検索すると、本を捨てる話を見つけることができます。
筆子のエコな取り組み
エッセオンラインに新しい記事がアップされました。
今回は、私がやっているエコ活動の紹介です。
ぜひ読んでください⇒50代からの「暮らしのムダ」をなくす5つの工夫。使い倒しこそ最高の節約 | ESSEonline(エッセ オンライン)
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本好きな人は、本に思い入れが強いものです。
本には大事なことが書いてある、本は人間性や知識の源と感じてしまうのでしょう。
源氏物語のように、1000年以上前に書かれた本もあるので、歴史の重みもあります。
しかし、本を持っているだけでは知識、思考力、教養は身につきません。もしそうなら、学校に行く必要も、クラブ活動をする必要もなく、政府は、教育費に使っている予算(先生への給料含む)を、本を買うのにあてて、子供のいる家庭に配ればいいので、ずっと安くつきます。
それに、読んだだけでは、本に書いてあることを役立たせることができません。
読んだことを実生活に役立たせたいのなら、不用な本の世話に明け暮れるより、管理できる量だけ持ったほうがいいと思います。