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年齢のせいで何かをあきらめようとしている人に見てもらいたいTEDトークを紹介します。
タイトルは、Age is More than Just a Number, It’s a Journey(年齢はただの数字ではない。それは旅路です)。
コメディアンのMaitreyi Karanth(マイトレイ・カラント)さんの講演です。
年齢は旅路:TEDの説明
Maitreyi sold her maths tutoring business and signed up for acting classes at the age of 40. Now an actor, producer and stand-up comedian, she asks us to question whether true passion has an expiry date.
40歳のとき、マイトレイは数学の家庭教師のビジネスを売払い、演技の勉強を始めました。
現在、役者、プロデューサー、スタンダップコメディアンである彼女は、真の情熱に、有効期限があるのかどうか問いかけます。
収録は2021年の12月、動画の長さは12分14秒。字幕はありません。動画のあとに抄訳を書きますね。
マイトレイさんは、女優なので話がうまいですね。
40歳になった日
40歳になった年、私は泣きました。
胸が垂れ下がったからでも、お尻が大きくなったからでも、夫が老けて見えるからでもありません。
自分が父の年齢を越えたからです。
父は1970年代のインドで、パブリックスピーカー、作家、フェミニストとして、スターになりつつありました。
極貧の中で育った父は、ようやく人生の居場所を見つけるところでした。
でも、ある日、幼い娘の前で心臓が止まってしまったのです。
まだ若かった父の死
その日は、ディワリ(ヒンドゥー教の新年を祝う祭り、正月)の初日で、学校の劇の主役をする予定だった私は、鏡の前で練習をしていました。
母は台所で父のためにコーヒーを淹れていて、祖母は、病気で病院にいました。
その日、家にはたくさんの親戚が集まっていました。
突然、父の寝室から大きな音が聞こえてきたのです。
大きないびきのような音でした。父は、息ができずあえいでいたのです。目を閉じていた父は、動くこともできません。
親戚の人たちが、私に医者である隣家に行くように頼んだので、私は必死で走りました。
でも、戻ったときはもう手遅れで、母が「戻って来て」と泣き叫びながら、父の足をさすっていました。
父は40歳でした。
困難な生活が始まる
父の死んだあとの生活は、様変わりし、とても大変でした。
幼い頃から盲目だった母は32歳。弟は7歳。お金はまったくなく、父の友人や知り合いは、すぐに私たちを見捨てました。
もはや私たちは彼らにとって、成功への足がかりではなくなったから。
9歳の私にとって、これはとてもつらいことでした。
私たちは、貸家を見つけることができませんでした。
皆、未亡人は家賃が払えないかもしれない、自分たちの足手まといになるかもしれないと思ったのです。
ようやく、とても親切な夫婦が、小さな家を貸してくれました。
母は以前父が働いていた銀行の、別の障がい者の人がいる部署で働かせてもらうことになりました。
初日、母を職場に連れていきましたが、全く知らない環境に放り込まれた母はとても震えていました。
そのため、その日、母は職場から帰されました。
自分の道を見つけた母
でも、母は、日毎により強くなり、自信をつけていきました。
私は学校の休み時間になると母の様子を見に、オフィスに行きましたが、母の同僚が、8~9人、母のまわりに座って、笑いながら母の話を楽しんでいました。
母には、いわゆるソフトパワーがあったんです。
毎日、より力強くなっていく母を見ることは、私を元気づけてくれました。
母は、自分を見つけつつありましたが、父のいない私の10代の頃の人生は、苦労の連続でした。
私には父の才能を受け継ぎましたが、男性の後ろ盾がないと、何もできない時代でした。
だから、私はふつうのティーンエージャーの生活を勝ち取るために戦うのではなく、自分が大好きなこと、つまり、ステージに立つために戦いました。
首相になりたかった私
インドの首相になりたくて、あらゆる機会にスピーチをしました。
当時の首相である、インディラ・ガンディー夫人のように見えるために、目は悪くないのに、メガネをかけました。
人前に出る仕事がしたかったんです。
あるとき、私の舞台を見たある有名監督が、自宅までやってきて、次の映画に私を出演させたいと、母に言いました。
でも、すでにとても生活が苦しかった私たちにとって、それは夢みたいな話。結局、断りました。
幸せな結婚生活
私は学業を続け、数学で学位を取り、MBAも取って、よい娘がするように、素敵な男性と結婚して外国に引っ越し、大学院で教育学を学び、数学の家庭教師ビジネスを始めました。
私はすべてを手に入れました。
なまけものだけれど愛すべき主人、気難しい義理母、ITエンジニアを目指している息子。
まさにインド人の夢を実現し、これ以上望むものはないところまで行ったのです。
でも、40歳になったとき、これから過ごす、1年、1年は、父が生きられなかった恵みのような生活だと気づきました。
どうやって、この恵み使っていこうか、と考えました。
そのとき、半ば忘れていた少女のときの夢が胸をよぎったのです。
そして、思いました。
ちょっと、私はまだ生きているじゃない、と。
40歳で演技の勉強を始めた
そして、家庭教師のビジネスをやめ、演技のプログラムに入りました。
私は新しい始まりを手に入れたのです。
私の人生は白いカンバスで、そこに、自分の考えや、魂、今の自分を描いていこうと思いました。
それは心を満たす体験でした。
演技のクラスは、私にとって、コンフォートゾーンから大きく出たところにありました。
私は、クラスでたった1人の女性で、40歳の人間も私だけでした。
だから、どの映画でも、私の肌の色と、私の年齢の女性が必要な役を作るはめになったため、結局私は、制作に回りました。
私はTVシリーズと短編映画を作り、スタンダップコメディと出会いました。
昔の夢を実現させた
初めてのオープンマイク(店のマイクを、飛び入りの客に持たせること。一般人が舞台にあがれる機会)をした時、ある著名なインドのコメディアンが私を見て、「明日もやってみないか」と誘ってくれました。
このときの私は、10代の頃とは違って、パワーも勇気も、「はい」と答える自由もありました。
それから5年たち、私は、香港で初めて、コメディクラブでのワンウーマンショーを、2夜連続でソールドアウトにしました。
若いころ、私の演技の夢が破れたとき、母はとても悲しみましたが、そのとき母に言ったんです。
「心配しないで。いつか、映画に出演するから。たとえそれが、主人公のお母さん役でもね」
そして、今、49歳になった私は、主人公の母親役として、今年、初めて映画に出演しました。
自分自身の道を行く
年齢は、単なる数字ではなくこれまで生きてきた旅路です。
40代以降の女性は、大きな力と潜在能力をもっています。
想像してください。
これまでの経験、心の旅、身につけたスキル、置き去りにした夢を。
自分の力を知り大事にするべきなのです。
人は40代を中年と呼ぶのに、私たちは、まるで人生の終わりが来たかのようにふるまいます。
いったい何の終わりだというのでしょう?
夢見ること?
愛すること?
何か新しいことをすること?
今は、好きなことを追求するために、仕事をやめる必要すらありません。
日常生活の中に、情熱をもっていることを組み込んでください。
それは、スキューバダイビングのようにシンプルなことかもしれないし、ポールダンスのように、ちょっとむずかしいことかもしれません。
年齢が制限になると考えるべきではありません。
始めるのは今
家庭教師のビジネスをやめたとき、銀行口座の残高はチェックしませんでした。
でも、自分自身の有効期限をチェックしたんです。
それは、「今すぐに(anytime now)」でした。
というのも「自分の今」は、かつては、「自分の未来」だったんです。
そして、またたくまに、それは、過去になります。
だから、人が用意した道を進むのではなく、自分の人生に積極的に参加して、自分の道を行くべきです。
その道を探すことすら、素晴らしいことです。
まず山を登れば、峰が見えますよね。
きょう皆さんの前に立つ私の横には、父がいます。一緒に夢を叶えています。
1つは私の体の中に、もう1つは、父の精神の中にあります。
//// 抄訳ここまで ////
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このブログの読者の大半は、私と同じぐらいか、50代ぐらいだと思いますが、たまに、まだ30代や40代なのに、もう人生が終わったみたいなことをメールに書いてくる人がいるんです。
40歳ってすごく若いですから、何もあきらめる必要はありません。
私がカナダに来たのは、37歳になる直前でしたが、今思うとすごく若かったです。
マイトレイさんが、「今の自分は、すぐに過去になる」というのは、本当にそのとおりです。
だから、やりたいことは、先延ばしせず、今すぐやってください。
わたしは、物を買って消費することや、おまけをもらうこと(得をしたと感じること)、ためこんだガラクタを整理しようと無駄な努力をしたことに、自分の時間とエネルギーを注いだため、本当にやりたいことを始めるまで、すごく時間がかかりました。
30歳のころに「筆子ジャーナル」みたいなブログを読んでいたら、人生が大きく変わっていたと思います。
物の消費とガラクタの管理に貴重な人生の時間を使うのはもうやめて、自分の道へ一歩足を踏み出してください。
結局、いろいろな物を買ってしまうのは、本当の夢の実現に向かって行動していないストレスがあるからだと思います。
自分の道を行くためには、コンフォートゾーンから出なければなりませんが、コンフォートゾーンの中にいても、決して満足できません。
ちょっと勇気を出さないと、充実感は得られないのです。