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スヌーピーやムーミンなどのかわいいキャラクターグッズが好きでした。しかし、今は所有したいとは思わなくなりました。
どんな経緯でこんな境地に達したのか、今回はキャラクターグッズとの決別の話です。
まずなぜそんなにたくさんキャラクターグッズを持っていたのか、そこから説明しましょう。
ファンシーグッズの黎明期にぶち当たった私
はじめて出会ったキャラクターグッズは?
現在世に出ているもので、私が子供の頃にはなかった、というものはたくさんありますが、ファンシー雑貨もその1つです。
私が覚えているもっとも古いかわいい雑貨は、水森亜土の下敷きです。あとは、ディズニーの商品。
幼稚園には赤い小さなアルマイトのお弁当箱を持参していましたが、フタの上にはディズニーのアニメの「白雪姫」の小人が1人ついていました。
小学校2年のときは、父にもらったディズニーのバンビがついている鉛筆を大事にしていました。商事会社勤務の父は、名古屋の円頓寺(えんどうじ)にある文房具屋さんと取引があったので、その店で買ってくれたのだと思います。
ほかに家にあったキャラクターグッズっぽいものは、幼稚園から小学校2,3年まで使っていた、黄色い家庭用の子供のプール。なんと、ビートルズの4人がついておりました。
そんなふうでしたから、私の持ち物はいたってシンプルで、母のアップリケや刺繍が「女子っぽさ」を演出しているぐらいでした。
スヌーピーとミッフィー
そのうち、スヌーピーというアメリカ生まれのマンガにのっている犬のことを知りました。小学校高学年の頃です。
ツル・コミック社という出版社から出ていた「月刊SNOOPY」という雜誌を愛読するようになりました。
またオランダ生まれのウサギ、ミッフィーにも絵本で出会いました。ミッフィーは最初は、「うさこちゃん」という名前でした。
ちなみに、ミッフィー(Miffy)は英語の名前で、オランダ語ではNijntje Pluis(ナインチェ・プラウス)という、ちょっと忍者を思わせる名前です。もしミッフィーがナインチェだったら、日本でこれほど人気は出ていなかったかもしれません。
ハローキティの登場
1975年3月、ハローキティーが市場に出ました。この猫、誕生は1974年だそうです。当時私は高校に進学する頃。友だちのキティのステッカーを見て、初めてこの猫のことを知りました。
スヌーピーが好きだった私は、正直、青い服を着たこの猫がかわいいとは思えませんでした。ところが、どんどんキティがそこら中にあふれ、接触回数の法則か、親和性の法則のせいで、だんだんこの猫をかわいいと思うようになったのです。
街にキャラクターグッズが氾濫する
その後、1970年代後半から、80年代にかけて、ファンシーキャラクターグッズの市場がどんどん拡大して行きました。
私が、短大を卒業してOLになった時期と同じです。キティを出していたサンリオがほかにもさまざまなキャラクターグッズを発売し、街にはファンシー雑貨専門店が次第に増えて行きました。
キャクターのついた雑貨は、ついていないものより、ちょっと割高ですが、1つ1つはそこまで高いものではないので、買いやすいものです。
名鉄メルサ(だと思いますがうろ覚え)の最上階にあったキディランドでよく買っていました。ここは、キャラクターグッズがぎっしり詰まっているお店です。売り場面積もたいへん広く、お宝がつまったアリババの洞窟のようでもありました。
仕事帰りにこういう店に行き、1時間ぐらいは平気で、グッズを見ていました。そしてどうしても必要というわけでもないのに、1つ、また1つと買って家に持ち帰っていたのです。
店で買うだけではあきたらず、Mr.ドーナツでドーナツを食べて集めたスタンプで、キャクターのついたお弁当箱を無駄にためこんでいました。
今のキャラ弁を入れるのにふさわしいようなかわいいランチボックスです。
必要以上にドーナツを食べ、からだには贅肉を、部屋にはがらくたを増やしていたわけです。
さらに、フェリシモでもさまざまなキャラクターグッズの会に入って購入。スヌーピーの雑貨の会や、ミッフィーのタオルの会などに入っていました。
ファンシー雑貨のすべてが死蔵品に
キャラクターがついている雑貨や文房具はそれ1つだけ見てると可愛いのですが、複数寄せ集めると、強力な視覚的ノイズになります。
1つ1つの色や柄の主張が強すぎるからです。そのため、もともとシンプル志向だった私は(私の服は昔からモノトーンやアースカラーばかり)たくさん買い集めたものの、実際に使うことはまれでした。
そもそも、ごくふつうのOLでしたから、ペンやランチボックスやランチナプキンをたくさん持っていてもとても使い切れません。
しかもキャラクターがちゃらちゃらついてると、使いにくいことのほうが多かったのです。
買い集めたキャクター雑貨のほとんどは部屋の中で死蔵品として眠っていました。
今は「かわいい物」は卒業しました
たくさん買い集めたキャラクターグッズはすべて初めて断捨離した日に一気に処分しました。
あまりに数がたくさんあったので、こんまり先生がすすめているように、1つ1つのものにお礼を言う心の余裕はありませんでした。もちろんその後、私は反省しました。
すべてまとめて、がさっと箱に入れてリサイクルショップ行きです。
そして無駄に使ったお金のことを考えました。あれだけ買う分を地道に貯金していたら、今頃、けっこうな貯蓄があっただろう、と。
明らかな浪費ですが、「買ったときは楽しかったから、もしかしたら娯楽費かな」、なんて考えながら。
楽しかったといっても気晴らしに買っていただけですから、積極的に楽しんだわけでもなく。
その後キャラクターグッズの買い物に慎重になったのは言うまでもありません。
今は、「買わない生活」を心がけているので、キャラクターグッズが生活に入り込む余地はなくなりました。
物を買わない方法⇒買わない暮しをするために、節約系ミニマリスト主婦が心がけている10のこと
必要な物の買い替え品か、どうしても必要な物か、自分の暮しに何か大きな変化をもたらしそうな物しか買いません。
シンプルライフやミニマルライフを心がけると、できるだけ物は増やしたくないと思うようになります。
また、日々断捨離をしていると、「捨てることの大変さ」が、身にしみてわかるので、やはり安易に物を買う気にはなれません。
たまにキャラクターグッズを販売している店に入ると、なんだか物がわーっと押し寄せてきそうで、めまいすら覚えます。
きっとふだん視覚的にノイズの少ない環境で暮しているからでしょう。ウインドウショッピングもしませんから。
最近私が、食料品以外の買い物に行くのは、娘に頼まれて、つきあって出かける時だけです。買わない習慣がすっかり身についているので、店に入っても、陳列されている物と、自分の気持ちは完全に切り離されています。英語でいうところのdetachment(デタッチメント)です。
自分とは関係のない世界にいる物、という感じ。
1つ1つを見れば、「かわいいな」とは思いますが、それを自分の物にしたいとは思わなくなりました。
かわいいものは、かわいいままに、店にあってくれればいい、そんな気持ちでいるのです。