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断捨離をしている人やミニマリストのクローゼットを見ると、あまりにからっぽなので、自分は服が多すぎるのか、と悩んでいる読者のメールに答えます。
・この少ない衣類の数には、下着はカウントされているのか?
という具体的な質問も書かれていました。
まず、メールをシェアしますね。Kさんからいただきました。
私の衣類は多いのかしら?
件名:ミニマリストの衣類について
三重県のKです。
最近なんだか気になることがあってお便りいたします。
ミニマリストの方や断捨離をされている方の衣類の数についてなのですが、ブログなど拝見していますと、20~30着とか、がらーんとしたクローゼットの写真などアップされていて、とても感銘を受けるのですが、
これには下着などはカウントされていないのでしょうか?
自分が寒がりで、冬用の暖かい肌着やタイツなどこれだけで6点になってしまいます。
週に5日はテニスをしていますので、テニスウェアは必需品でそれなりに持っていますが、ひところに比べると半分に減りました。
普段着はジーンズやTシャツ、パーカなど数点ですんでいますが、喪服、コートなどいれるとまだまだ私の衣類は多いのかしらと悩みます。
もしかしたらあの写真はやらせで、他の場所に隠しているのでは? なんて不埒なことを考えたりしてしまいます。
引き出しひとつに1冊の本を収納なんて、とても私にはできそうにありません。
[この先は違う内容なので、省略します]
Kさん、こんにちは。メールありがとうございます。
私の場合、下着は数に入れていません。
この記事であげているのは下着ではない、いわゆる普通の服です⇒ミニマリストの服全14着公開~非おしゃれ系50代主婦の場合(写真あり)
3年前に書いた記事なので、多少内容が変わっていますが、基本的に、通年で綿のトップス+Tシャツ+パーカ、冬はこれにダウンジャケットが加わります。
下着は、ショーツ5枚と、ジニエブラ1つ、冬場、スパッツの下にはく、シルクのズボン下みたいなのが2本あります。あとは5本指ソックスで、稼働しているのが5足です。
去年、里帰りから戻るとき、義理の妹がたくさん5本指ソックスをくれたので、おろしていないのが数足あります。
Kさんの見た写真の主が下着をカウントしているかどうか、なんてことは気にする必要はないですし、その人と比べて、自分が服が多いのか少ないのか、と悩む必要もありません。
きのうも書きましたが、ミニマルライフは、自分らしさを発揮する暮らしであり、服の数やらを他人と比較しなくてすむ暮らしなのです。
きのうの記事⇒持たない暮らしを10年やって気づいたミニマルライフのよいところ。
この点について、以下に詳しく書きます。
数にこだわる必要なし
自分にとって適正な服の数は、自分にしかわからないし、自分で決めるものです。ほかの人のクローゼットと比べて、自分のクローゼットが混み合っていると思っても、全然気にする必要はありません。
テニスをしている人が、テニスウエアを持っていて、その分だけ数が増えるのはあたりまえです。
私の場合、ジョギングしているときも、スクワットしているときも、こうしてブログの記事を書いているときも、ずっと同じ格好なので、わりに数が少ないだけです。
会社に勤めていないから、スーツなどのあらたまった服も持っていません。
もし仮に、私が銀座のホステスだったら、いまとは全然違うワードローブになっているはずです。
着物や帯、ドレッシーなワンピース、おしゃれなパンツスーツ、それぞれにあったアクセサリー、靴、バッグを揃えているでしょう。
では、銀座のホステスはミニマルライフを送ることができないのか、といったら、そんなことはありません。
ミニマルライフは、少ない物を持つ暮らしですが、あくまで自分基準です。
自分で考えるというところが肝です。
服だけにこだわる必要なし
服を100着、50着、30着にすれば、自動的にミニマリストになるのか、というとそうではありません。ミニマルライフはそんなに単純なことではないと思います。
私の経験では、シンプルに暮らすのはそんなに簡単ではありません。
私は、あまり物を持っていないほうだと思いますが、家の中は雑然としています。
持ち物の多い人と同居しているため、キッチンもリビングルームも、その人の持ち込んだ、(私の目からみると)ゴミのような物が、堆積している箇所があります。
最近、玄関も、物が増えつつあり、見るたびに、「あ~、これ、風水的にめっちゃNGなんですけど」と思います。
しかし、そういう人と同じ家に住んでいるという現実も私の人生の一部です。
そういう部分も含めて、ミニマリストとして生きようとすると、いろいろ考えることや疲れることがあります。
クローゼットの中がからっぽだというその人も、そこだけ見ると、何もないかもしれませんが、人生のほかの部分では、「もっとどうにかしたい」と思っている部分があるのではないでしょうか?
それに、いくら家の中に何も物がなかったとしても、一歩外に出れば、物質主義のせいで、たくさんの物やゴミがいっぱいある社会の中を行くことになります。
自分の家をスッキリ空間にできているのは、そういう社会のおかげでもあります。
プラごみを減らすことや環境にいい暮らしを意識すると、すぐに、「何をどうしようと、自分が生きれば生きるほど環境に負荷がかかる」という現実にぶつかります。
物の数だけ減らせば、すべての問題は片付く、自動的にハッピーになる、とはとても言えません。
競争する必要なし
断捨離やミニマルライフは、より充実した人生を実現するための生活様式であり、ツールのようなものです。
このツールを使って、暮らしをシンプルにする理由は人さまざまです。
ですが、多くの人の究極の目的は、自分が大事にしたいものを大事にして生活しながら、周囲の人ともできるだけ笑顔で暮らすことではないでしょうか?
数を減らすことや、見た目のスッキリ度をあげることが目的ではないのです(それが目的の人もいるかもしれませんが)。
だから、服を30着持っている人が偉くて、70着持っている私はだめ、という世界ではありません。
競争する必要なんかないわけです。
オリンピックやマラソン大会は、記録をとって勝ち負けを決めることになっているので、かかった時間が短ければ短いほどいい、とか、得点が高ければ高いほうがいい、と言えますが、ミニマルライフは違います。
自分が満足できることが重要だし、その満足感だって、日々、あーでもない、こーでもない、と揺れます。
このブログでは、プロジェクト333や1000個捨てチャレンジなど、数を数えることが必要な活動を紹介しています。こういうのは、企画(プロジェクト)です。
プロジェクト333⇒ミニマリストらしいファッションの選び方。プロジェクト333のすすめ。
1000個捨てチャレンジ⇒持たない暮らしに近づく1000個捨てチャレンジの楽しみ方
こうした企画は、ミニマルに暮らすために、まずは所持品を減らしたいと思った人が、やってみると効果があると思うから紹介しています。
数を数えだすと、数にこだわりすぎてしまい、数だけ、辻つまがあっていればいい、と考えてしまいがちです。
「なぜ、自分はこのプロジェクトをしているのか」という本来の目的を時々見直すと、道からそれていても、うまく軌道修正できます。
すべての情報には発信者の意図がある
Kさんの見た、その写真が「やらせ」とか「うそ」だとは言いませんが、どんな写真にも、発信者の意図があり、演出があると考えておいたほうがいいです。
若者の言葉で、「話を盛る」という言い方があります。
「盛る」とは誇張したり、大げさに話したりすることです。
SNSでは、たとえ本人は意識していなくても、「こう見られたい」「こうあってほしい」という方向に多少なりとも盛ると思います。
そもそも都合の悪いことは発信しません。
その写真はあくまでも、その人が、ある瞬間を、「こう見られてほしい的願望」を込めて切り取った写真である、と考えて見れば、もっと冷静に見ることができるでしょう。
ミニマリストというと、「持ち物がすごく少なくて、からっぽの部屋に住む人」というイメージがあるかもしれません。
これはマスコミが意図的に植え付けたイメージではないでしょうか?
テレビや雑誌でミニマリストを特集するとき、部屋の中に物がない様子を写真や映像におさめることができれば、とてもンパクトがあり、より話題作りができます。
それは極端であればあるほど効果的です。
なぜ話題作りをしたいのかというと、視聴率や販売数をあげたいからです。
個人でこういう写真をアップしている場合は、よりたくさんの「いいね!」や、アクセス、または賞賛の声を求めている可能性があります。
「すごい!」と思ってもらいたいわけです。
私は、必ずしもそれが悪いとは言いません。テレビは視聴率が取れないとスポンサーがつかなくて、番組を制作できないし、雑誌も売れないと廃刊です。
人間、誰だって、ほかの人に「すごいね」と言われればうれしいし、私だって、ブログをできるだけたくさんの人に読んでもらいたいと思っています。
どんな文脈で、その写真が登場しているのか考えて見ると、「あ~、私には無理無理。ミニマリストなんてもうやめだ」「ミニマルライフは殺伐すぎてついていけない」「この人、嘘つきなんじゃないの?」という発想にはならず、もやもやすることも減ると思います。
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「私の服は多すぎるのかなあ」と悩んでいる人の質問に回答しました。
ミニマルライフにしたいと思っているときは、結果よりも、プロセスに意識を向けたほうが楽しく進むことができます。
生きている限り、暮らしのデザインはずっと続きますから。