ページに広告が含まれる場合があります。
ガラクタの種類ごとに、捨てられるようになる思考を紹介しています。
今回は、野望ガラクタ編です。
「こんな自分になりたいな~。これを買えば、きっとそんな自分になれるよね」と思って買ったものや、用意したもので、ほとんど使っていないものが野望ガラクタ。
野望ガラクタは、発見するのはむずかしいし、見つけることができても、なかなか捨てる気になれません。
だからこそ、これを捨てられるようになると、部屋はとってもスッキリします。
野望ガラクタとは?
先にも書いたように、野望ガラクタは、「こんな自分になれたらいいな」と思って所有してしまったもの。
「今の自分と理想の自分のあいだのギャップを埋めてくれる可能性を感じて所有したもの/所有し続けているもの」とも言えます。
しかし、あくまでそれは、今の自分とは違うバージョンの自分が使うものですから、今の自分はいつまでたっても使わず、部屋の中でほこりをかぶっています。
それは物理的なものかもしれないし、スケジュール帳やノートにびっしり書いてある、予定やタスクかもしれません。
野望ガラクタの例:筆子の編み針セット
昔、私は、千趣会(今のベルメゾン)で編み針セット(編み棒や編み物に使う小物がセットになっていたもの)を買ったことがあります。
このとき、私は、編み物の「あ」の字もやっていませんでした。
子供の頃、かぎ針編みはやったことがあるし、家庭科の時間にやらされたこともありますが、大人になってから、自ら積極的に編み物をしたことはなく、かぎ針編みですら、やり方を忘れていました。
ひまでひまでしょうがない時があったとしても(そんな時はありませんが)、何かを編むなんて、まず考えられないほど、編み物は私と遠い遠いところにありました。
だからこそ、「ミス・マープルみたいに、すいすいといろいろなものを編めたらいいなあ」という願望(野望)があり、編み針が入ったセットを買ったのです。
しかし、本来の私は、編み物はしたくないので、いつまでも使わず、放置していました。
わざわざ、実家から、カナダに持ってきたのに。
手にとることはなく、ずっと階下の物入れにしまっていました。
「そんなに編み物ができる人になりたいなら、今すぐ編めよ!」ですよね?
しかし、私は編まないのに、ただ、編み針やらを持っていれば、いつか編み物ができる自分になると勘違いしていたのです。
結局、この編物セットは25年ぐらいたってから、断捨離しました⇒私が捨てやすかったもの、捨てにくかったもの~30年近い断捨離を振り返る
なぜすぐに捨てなかったのか?
その頃は、まだミニマリストになりきれていなかったせいもありますが、それを捨てると、「編み物ができる自分になる可能性」も捨ててしまうような気がして、それがいかにも残念に感じて捨てなかったのです。
野望ガラクタの例はこの記事に書いています⇒なかなか捨てられない「なりたい自分になるために買った物」を断捨離する方法
現実的になれ
野望ガラクタを捨てるコツ、その1は現実的になること。
向上心や夢をもつことはいいことですが、「こんな自分になりたい」という希望があるとき、そんな自分が使うだろう物を所有したところで、いきなり、そんな自分にはなりません。
持っているだけではだめなのです。
使わなければ。
スポーツグッズなら実際にそれを使ってスポーツをし、洋服ならば、実際にそれを着てお出かけをし、食材なら、それを使って何かを作って、はじめて、「なりたい自分」に近づきます。
しかし、今の自分と、理想とする自分とのギャップがあまりに大きいと、なかなか使うことができません。
だって、それは、自分ではない、ほとんど他人が使うものなのですから。
「他の人が使うもの」を自宅に入れてしまったら、ガラクタになるのは当然です。
野望ガラクタらしきものを発見したら、それを使う人と、今の自分との間にあるものを考えてください。
そのギャップ、大きすぎやしませんか?
「いやあ、そんなに大きなギャップじゃないよ。ちょっとがんばれば、使えるかも」と思うなら、今すぐ使ってみてください。
もしかしたら、しっくり来て、明日も明後日も使うかもしれません。
ですが、かなり無理しないと使えないし、使っているあいだも、ものすごく背伸びをしている感じがあるなら、もうあきらめて捨ててください。
野望ガラクタを持っていると、それを使っていないことに罪悪感を感じて、肝心の現在の生活が、損なわれてしまいます。
物をそろえすぎると前に進むことができない
買い物が容易な現代は、ことあるごとに、ショッピングをして物を増やすライフスタイルが主流です。うっかりしていると、どんどん野望ガラクタが増えます。
すると、買っただけで安心かつ満足し、まったく使わないのです。
若い頃の私はそうでした。
編み針セットを持っていれば、編み物ができる自分になったような気になり、それを捨ててしまうと、編み物ができない自分になる。そんな錯覚をいだいていました。
しかし、もし、何かを強くやりたいと願うのであれば、人間は、道具なんてそんなになくても、限られたリソースを駆使して、すぐに始めるものです。
リソースとは? ⇒ 私たちが持っているいろいろなリソース~たっぷりあるから、そんなに買わなくても大丈夫。
だって、やりたいのですから。
ブラジルのサッカー選手のペレは、幼いころ、とても貧しかったから、サッカーのボールを買えず、ぼろきれや古新聞を使って、ボール状のものをつくり練習していました。
勝海舟は、蘭学の辞書が高価で買えなかったから、安く借り受け、1年で2コピー、書き写したといいます。
辞書って、1冊じゃないですよ。ワンセット、全部で58巻あります。
スマホに辞書を入れ、インターネットの辞書も使うことができる現代人には想像できない行動です。
ペレや勝海舟は、いわゆる偉人なので、一般人とは違うでしょうが、そこに強い意思さえあれば、物が揃ってなくても、目的に向かって邁進できるのです。
逆に、物がありすぎると、自分を前にすすませるハングリー精神がだめになるのではないでしょうか?
「これがあれば、こんなふうになるはず」と軽く思って、自分自身や生活を向上させるために買ったものがありすぎると、かえって、前に進めなくなります。
食べものでもそうですよね?
カロリーを取りすぎると、体調が悪くなり、へたすると生活習慣病になります。
「ちょっと足りないかな?」ぐらいにしておいたほうが、人間は本来のパワーを発揮できます。
たっぷりあるマインドの採用
野望ガラクタができてしまう根本的な原因は、『足りないマインド』にあります。
「今の自分では不十分だから、これを買って、こんな自分になろう」と思う。だから、あれこれ買って変わろうとします。
この気持ち、よく言えば向上心ですが、完璧主義が自分のためにならないように、すでにあるものに目を向けない向上心も、かえって自分のためになりません。
すでに自分の中にある資質、家の中にある物を一度、じっくり見てください。
本当に、それだけでは足りないのでしょうか?
「基本的には大丈夫だけど、今度はここをこんなふうに成長させていこう」と手持ちのものをベースに、ゆっくり取り組めば、野望ガラクタを作りすぎずに生活できます。
たっぷりあるマインドとは? ⇒ お金がなくても豊かに楽しく暮らすたった1つの秘訣。
☆この続きはこちら⇒値段の安さにつられて買ったものはさっさと捨てる:ガラクタのタイプ別、捨てられるようになる考え方(5)
☆このシリーズを最初から読む⇒ガラクタのタイプ別、ものを捨てられるようになる考え方(その1)。
野望ガラクタについて
半期に1度の野望ガラクタ捨て祭りのススメ。今日こそ現実と折り合いをつけよう。
すごく高かったけど野望ガラクタをさっぱり捨てて次へ行きます!
******
今回は、野望ガラクタを捨てるコツをお伝えしました。
野望ガラクタは、積極的に捨てたい物たちとは、違うところにあるので、ちょっと考えないと発見できません。
しかも捨てるのはむずかしい。
思い出の品より、野望ガラクタのほうが捨てにくいかもしれません。
思い出の品は、もう終わったものだから、あきらめがつくでしょうが、野望ガラクタを手放すのは、「未来の自分の潜在的な可能性」をあきらめるような気がします。
ですが、「未来の自分」に執着しすぎると、過去の自分にとらわれているときと同じように、今の生活を大事にできません。
野望ガラクタは、部屋の中だけでなく、心の中でもどーんと場所をとっています。
これを捨ててしまえば、心の中はずっとクリアになるでしょう。
大丈夫、自分さえ残っていれば、新しい可能性はいくらでもでてきます。ましてや、心がクリアな時は。