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「ミニマリストになるには」とか「ミニマリストになるコツ」というサーチワードでこのブログにアクセスしてくださる方がいます。そこで、今回はミニマリストになる方法を書きます。
まずミニマリストは何か確認しておきましょう。
ミニマリストとは?
たとえば医者や弁護士になるには一般に国家資格というものを取る必要がありますが、ミニマリストの場合は、特に資格はないですし、そもそも「ミニマリスト」という言葉の定義もひじょうにあいまいです。
一応ミニマリストは「最小限主義者」と言えます。最小限の所持品を持っている人、ということですね。
筆子は、個人的に、ミニマリストは必要最低限の所持品をもち、自分の人生を最大限に生きようとしている人たちだと思っています。
ちまたではミニマリストの定義について論争が繰り広げられていたり、ミニマルライフとシンプルライフの違いを考察している人もいます。ですが、そうした論争や考察で何か結論がでても、その仲間内でだけ通じる定義にとどまります。
私のシンプルライフの定義を知りたい方はこちらへ⇒ミニマリスト、断捨離、シンプルライフの違いとは?
にほんブログ村のランキングからミニマリストと称している人達のブログにアクセスすると、そこには実にさまざまなライフスタイルがつづられており、人によって「最小限」はずいぶん違うものだ、ということがわかります。
ミニマリストになる2つの方法
ミニマリストになるのは、難しくもなんともありません。
2つの方法があります。
1.所持品をどんどん減らしてミニマムにし、できるだけ少ないものでやりくりして暮らす。
2.自分で自分のことをミニマリストと言う。
どちらか1つ、あるいは両方ともやればミニマリストになれるんじゃないでしょうか?
1は結果的に物がミニマルになり、人からミニマリストに見える状態を獲得するやり方で、2は自分をミニマリストにするやり方です。
物を減らすのは少し時間がかかりますが、減らすことを加速するためにも、2のミニマリスト宣言を先にしておくことをおすすめします。
ミニマリスト宣言は簡単です。
私のようにブログを作って、「ミニマリストです」と書いてもいいし、日記帳に「今朝6時15分に、わたしはミニマリストになった」と記してもいいし、表札の名前の横に「ミニマリスト」と書き添えてもいいでしょう。
人に言っても、自分の心の中に秘めておいてもかまいません。要は本人の意識の問題です。
私はブログではミニマリストと書いてますが、家族には「私はミニマリストです」とは言ったことはありません。そもそも夫も娘もシンプルライフとかミニマリズムとかそういうものが世間にあることは知らないようで、説明するのが面倒だからです。
別に家族にカミングアウト(?)しなくてもミニマリストには充分なれます。
所持品を減らすには
1の所持品を減らす方法ですが、これは物を捨てるだけです。
ただ、捨てたいのに捨てられない人が多いのは、書店に断捨離やお片づけの本が山積みになっていることからもよくわかります。
ですが、結局は覚悟の問題です。
最初に「なぜ私は所持品をミニマムにしたいのか」「所持品を減らしてどうなりたいのか」しっかりイメージするか、ノートに書いておき、人によっては、数値目標なども設定して、毎日少しずつ捨てていけば早晩ミニマリストになります。
「いきなりミニマムにするのはちょっとね」という方は「なぜ私はなるべく物を持たないようにしたいのか」という設問の答えを書いてもいいと思います。
必ずしも物が最小限になった人がミニマリストなのではなく、その状態目指して暮らしている人も、ミニマリストと呼べるので、2,3日断捨離すればミニマリストになっている場合もあるでしょう。
最初の所持品の量にもよりますが、1度にあるいは毎日少しずついらない物を捨てていきます。
物の捨て方はいろいろあり、たとえば、私はこんなふうにやったらけっこう捨てられました。
⇒断捨離を始めてみたいあなたへ~私が最も効果を実感した5つの断捨離テクニック
捨てる一方で物を買っていると、所持品はミニマムにならないので、買わないことも心がけてください。
⇒5つの思考で「買わない」を習慣化~お金をためる生活にシフトする
ミニマリスト宣言をしてミニマリストになる方法
自分はミニマリストなんだと信じる
自分で自分はミニマリストなんだと思えば、ミニマリストです。
「そんな自分勝手に思い込むだけでミニマリストになれちゃうの?」といぶかるかもしれませんが、大丈夫です。
最初に「ミニマリストは所持品が少ない」という点と、「自分はミニマリストなのだ」という点だけはしっかり確認しておいてください。つまり「私は所持品が少ないミニマリストとして生きるのだ」という信念を持つのです。
信念と書くと、ものすごく強固な考えに聞こえますが最初は「そういうふうに考えている」程度でいいです。時間がたつにつれて強い信念になっていきます。
認知的不協和を利用してミニマリストに
「自分は毎日物を減らしているミニマリストなのだ」という信念を持てば、認知的不協和(cognitive dissonance)という理論が働き、あなたはミニマリストとして生きていくしかなくなります。
認知的不協和とは心理学の理論で、人が2つの矛盾した信念、態度、行動をとろうとするとき、たいへんなストレスを感じるので、どちらか一方を否定するという理論です。
人は、それまでの行動内容と矛盾する「新しい事実」を突きつけられると、とても不快になるので、それまでの信念か、新しい事実のどちらかを否定して、矛盾しないようにします。
この理論を唱えたフェスティンガーによれば、人は、ふだんの態度、行動、信念をいつも調和させたいという気持ちがあるのです。もし自分の行動や信念と違う事実を知ったとき(つまり認知したとき)、なんとかして調和させたいと願う力は相当強いそうです。
信念と反対する事実をつきつけられたとき、信念のほうを変えることができなければ(あまりにも信念が強ければ)、客観的にみると「それはへりくつでしかない」というむちゃくちゃな理由を作って、新しい事実を否定します。
認知的不協和理論を説明するとき、よく例にだされるのが喫煙です。
タバコを好きで吸っている人が、「タバコを吸うと肺がんになる可能性が高い」という事実を知ると、いや~な感じになります。
ここでタバコをやめられれば(自分の行動を捨てれば)簡単なのですが、たいていニコチン中毒になっているのでやめられません。そこで、「肺がんになるという事実」を否定して矛盾を解消しようとします。
「タバコを吸っている人がみんな肺がんになるわけではない、長生きの人もいる。げんに爺ちゃんはヘビースモーカーだったが90歳まで生きた」とか「肺がんより、交通事故のほうが死亡率が高い」とか、そんな理屈を持ちだして、タバコを吸い続けようとします。
喫煙という行動を続けるために、いろいろ屁理屈を言って新しい事実を否定し、自分の行動を正当化するわけです。
ミニマリストになるために、認知的不協和を利用するには、「物を減らすと、自分というリソースを限りなく使うことができ、人生が豊かになるからそれはいいことだ。私はミニマリストとして生きていく」という信念を先に作っておくだけでいいのです。
そうすれば、たとえば娘に「ママはいつも同じ服ばかり着てホームレスみたい」と言われようが、誰かに「断捨離なんて貧乏長屋にすむ人間のすることだ」と言われようが平気になります。
そして、きょうもまた1つ、いらない物を手放すことができるのです。
しかも、毎日少しずつ捨てていけば、暮しは必ず楽になるので、あなたの信念は日を追うごとに強くなっていくはずです。
この信念が弱いと、新しい事実、たとえば、「おしゃれな人ならトレンチコートは持っておくべきだ」という言葉を雑誌でみたときに、簡単に信念が失われ、新しい事実を選び、トレンチコートを買ってしまうので気をつけてください。
認知的不協和は、人がもとからの信念を変えたくない場合、大変頑固になり、理屈に合わないことを持ち出すネガティブな状況を説明するときによく使われます。
たとえば、カルトにはまってしまった人たちを、どんなに説得して抜け出させようとしてもうまくいかないときは、たいてい信者に認知的不協和がおこっていて、新しい事実(説得の言葉)を受け入れることができないからです。
しかし、この心理をうまく利用すれば、「わたしはミニマリストだ」という信念をもったときから、あなたはミニマリストになるのです。
どこまで減らすか?
どこまで減らすかは、あなた次第です。独身だったらどこまでも減らせるでしょうが、家族がいると、無理に減らそうとすれば、家庭内不和になるかもしれません。
どこまで減らすかという境界線は、捨てながら調節をするといいでしょう。
私の経験では、捨てれば捨てるほど、捨て力がついてきて、始めのころは想像もできなかったものまで捨てることができるようになります。
しかし、時に捨てすぎて、かえって暮しが大変になる場合も。
何かを捨てて減らせば、別の何かが増えます。
たいていの場合、いらない物を捨てれば、自分の時間が増えたり、エネルギーを温存することができますが、捨てる順番を間違えると、かえってエネルギーが流出することがあります。
たとえば、洗濯物がまだまだたくさんあるのに、洗濯機を捨ててしまうと、手洗いが大変になります。もし洗うものを先に減らしておけば、こんなことはおきないでしょう。
意外と「何を捨てるか」より「どんな順番で捨てるか」で失敗する人が多いので、明らかな不用品を捨てたあとは、考えながら捨てるといいです。時には後戻りする勇気も必要です。
それでは、あなたの成功を祈っています。