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思いの残っているものを手放すことができません。捨てると自分の人生がなくなる気がします。
気持ちの切り替え方を教えてください。
この質問に回答します。
まずメールをシェアしますね。Mさんからいただきました。
なかなか手放せない物たち
件名:想いの残るものをなかなか手放せません。
年間を通してボトムス12着、上着4着等、少ない枚数でも特に不自由はなく、処分もサクサク出来る方だと思います。
余談ですが今年の3月に普段はほとんど買わないTシャツを数枚買ってしまい「無駄遣いしたかも。こんなに着るかな?」と思っていたら、コロナの影響で失業し、仕事着にはならないものの、皮肉なことに今の季節は大活躍しています。
「予言者か⁈」と苦笑しています。
想いの残るものの処分には積極的になれません。
捨ててしまったら、50年近い自分の人生や、冴えない自分にもあったハッピーだった瞬間をなかったことにするようで、手が止まってしまいます。
恐らく、過去の後悔にも触れることも怖いのだと思います。
失業中で時間があるにもかかわらず、Tシャツを着てダラダラ汗をかいて過ごすだけの自分こそがガラクタだなぁと塞ぎ込む毎日です。
1000個捨てチャレンジを先週から始め、74個捨てたところです。
この先想いの残るものを捨てなければ停滞すると思います。
どのようにしたら切り替えることが出来るのでしょうか?
とりとめもない文章で申し訳ありません。
Mさん、はじめまして。お問い合わせ、ありがとうございます。
新型コロナウィルスの影響で失業したのですね。
そういう人、たくさんいますが、とりあえず生活ができているのなら、そんなにふさぎ込むことはありません。
次の手を考えればいいのです。
さて、思いがあるから捨てられないのではなく、昔、自分がした決断や失敗を振り返りたくないし、捨てる痛みを感じたくないから、適当な「思い」を作り上げている可能性はないでしょうか?
うっかり買ってしまったTシャツを有効活用できている現在、「わ~すごい、私って予知能力あるかも?」とMさんは喜んでいます(たぶん)。
これと同じで、何かを捨てようと捨てまいと、その状況は自分でどうとでも解釈できます。
どう解釈するかは、Mさんの選択です。
もし、思いのある物たちが、いまの自分の生活に全然、関係なく、部屋の中で邪魔になっているだけなら、捨てたほうがいいです。
4つアドバイスします。
1.思い入れの強いものの捨て方をまじめに試す
思い入れの強い物を捨てる方法を過去記事で書いているので、一度、読んで、私があげている方法を順番に試してください。
ポイントは、まじめに1つずつ試すことです。
適当に読み流して終わりにするのではなく。
この記事では以下の5つを提案しています。
1.執着するデメリットを再確認
2.執着しているものの正体を考える
3.それがない生活を想像してみる
4.バックアッププランを考える
5.柔軟なライフスタイルを志向する
やり方も書いているので読めばできます。
やり方がわからないときは、再度、メールで聞いてください。
2.古い物を捨てても自分は消えないと知る
昔の物を捨てても、自分が生きている限り、自分は消えません。
自分が消えない限り、顕在意識の記憶も、無意識に覚えていることも消えないので、自分の人生は消えません。
頭の中で思っている、自分の人生やアイデンティティは、記憶から成っていますから。
物と自分は別々の個体だから、卒業アルバムを捨てても、自分は消えません。
若いころの自分が写っている写真を捨てても、いまの自分は消えません。
物と自分は物理的には何の関係もないのです。ただ、自分がその物に対して、関係性を築いているだけです。
「これは私の青春を象徴しているすばらしいアルバムだ」というように。
物は思考しないから、向こうからは、何も関係をせまってきません。
自分が一方的に、「これは大事なもの」「これはかわいくて、すてきだから私の部屋にあるべきもの」「これは、いつか私を助けてくれるかもしれないもの」、などと思って、その物にがしっとしがみついています。
この関係性を変えれば、思いがあろうが、なんだろうが、どんな物でも捨てられます。
繰り返します。
どんな物でも捨てることができます。
捨てるその直前は、「ううっ」と覚悟を強いられ、痛みを感じるかもしれません。
しかし、捨ててちょっと時間がたつと、その物のことは忘れます。
さて、誤解している人が多いのですが、私は何でもかんでも捨てろ、と言っているのではありません。
自分の人生の足かせになっている物を捨てろ、と言っています。
Mさんの思いのある物が何で、それがどのぐらいあるのか知りませんが、見ると元気にさせてくれる物や、日々を充実させてくれる物は、捨てなくてもいいです。
ただ、そういう物はそんなに数はありません。
数がたくさんあると、すべてが、どうでもいいガラクタになるからです。
メールを拝見する限り、Mさんの持っている「思いが残っている大事な物」は、いまのMさんの幸せにまったく貢献していません。
もし貢献しているなら、自分のことをガラクタだと思うはずはありませんから。
その「思いが残っている物」は、このさいきれいさっぱり捨てたほうが、Mさんのためになる、と思います。
3.違う物語を語る
物に対する思いとは、その物について自分が語っている物語(ストーリー)です。
このストーリーを変えると、思い出の物を手放しやすくなります。
仮にMさんの言う、「思いの残る物」が、子供のとき使っていた木製のオルゴールだとしましょう。
かつて『白鳥の湖』を奏でたそのオルゴールは、すでにこわれていて、もう30年以上、うんともすんとも言いません。
実は、このオルゴールは、過去30年、押入れの中でほこりをかぶっていたのです。
つまりすっかり忘れ去られていたのですが、1000個捨てチャレンジを始めたので、押入れにあるのを見つけました。
いま、Mさんは、そのオルゴールについてこんな物語を作っています。
「これは、冴えない私にもあったハッピーな瞬間を象徴する大切なもの、いまの自分の人生はいけてないから、せめて、このオルゴールを手元に置き、もう音はしないけど、オルゴールのふたの浮き彫りをさわって、美しかった瞬間を思い出しましょう。
これからも、悲しくなるたびに、何度もふたをさわって楽しかった昔を思い出しましょう。
何度も何度もさすったら、そのうち奇跡的に音が出るようになるかもしれない。そしたら、私の暗い毎日も、昔のように再び輝きだすかもしれないわ」
実際は、こんなふうに具体的には思っていないでしょうが、捨てると自分の過去が消えると思っているぐらいですから、よほど大事な物なんでしょう。
この物語を以下のように変えてください。
「小さいとき、うれしかったときも、悲しかったときも、このオルゴールで『白鳥の湖』を聴いたなあ。
これは、誕生日に親戚のおばさんがくれたんだった。
私の誕生日を祝ってくれるおばさんがいて、私はなんて幸せな子供だったんだろう。
何度も何度も、楽しい思いをさせてくれたこのオルゴールにめぐりあえて、私はなんてラッキーだったんだろう。
たくさん幸せをくれたこのオルゴールだけど、もうこわれてしまって音がでない。
でも、このオルゴールがくれた幸せは私の中に残っているし、私のことを思ってくれたおばさんの愛情もしっかり受け取って、私の中にある。
おばさん、オルゴールさん、本当にこれまでありがとう。
もらった幸せは、これから私がほかの人に分け与えていきます」。
要は、その物が自分にもたらしてくれた幸せに感謝するのです。
そして次へ行きます。
オルゴールを捨てない限り、感謝して、次に進むチャンスはめぐってきませんよ。
4.いまの人生にフォーカスする
Mさんは、「これには思いがあります。素敵な物なんです」と言うかもしれません。
しかし、Mさんは、古い物たちが象徴する「いまよりましだった時やましだった自分」といまの自分を比べて落ち込んでいます。
「思いのある物」たちのせいで、いまの生活が損なわれている、と考えることはできませんか?
美しい思い出があるのはすばらしいことですが、もっとも大事なのはいまの生活です。
いまの生活の充実を邪魔する物なんて、私ならさっさと捨てます。
捨てて、新しいスタートを切ります。
いまを大事にする話⇒マインドフルネスで実現する。今この瞬間を生きて幸せになる4つの方法。
こちらも読んでください⇒楽しかった過去に戻りたいと思って、前に進むことができません←質問の回答。
思いのある物を捨てる・過去記事
似たようなトピックを扱っている過去記事をリンクしておきますので、読んでください。
大事だと思っているだけで実は違う。思い出の品に執着しない方法。
山のようにある思い出の品から意味のあるものだけを残すすすめ。
なぜ人は、物に執着してしまうのか? 物と健全な関係を持つには?
思い出の品で家を倉庫にするな。たまりすぎた古い物を捨てるコツを書いた記事のまとめ。
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思いが残る物を捨てられない、という相談メールに回答しました。
繰り返しますが、物を捨てても、自分は消えないので、これまでの自分の人生も消えません。
記憶が残っているし、無意識という意識も残っています。
自分の中にある自分を消したかったら、顕在意識、無意識ともに、記憶を消すしかありません。
これは相当むずかしいことです。
脳になんらかの外科手術をほどこして、自分の記憶をきれいさっぱり消すことができたとしても、家族や友達が自分のことを覚えています。
誰一人、自分を知る人がいない場所へ行き、特殊な脳外科手術を受けない限り、自分の過去は消えないのです。
ですが、これより簡単に過去を消す方法があります。
消すというより、書き換えです。
現実とは、私たちが頭の中でしている解釈にすぎないのだから、過去に対する解釈を変えてしまえば、過去も変わります。
それでは、あなたも、感想や質問などありましたらお気軽にお寄せください。お待ちしています。