ページに広告が含まれる場合があります。
多すぎる物は足かせになり、私たちの暮らしを不自由にします。
なぜ、そうなってしまうのか、改めてその理由を説明しますね。
1.よけいな仕事が増える
所有している物が多すぎると、よけいな仕事が増えます。
何かを所持してしまうと、それを管理する必要が生まれるからです。
数がたくさんあると、きれいに並べたり、整理したり、たたんだり、取り出しやすくする工夫をしたりといった作業が生まれます。
収納が好きな人は、整理整頓を楽しんでやっているかもしれませんが、物が少なかったら、こんな仕事は発生しないのです。
持っている物の中には、ときには表面をふいたり、油をさしたり、たまにはちゃんと使ったり、というメンテナンスが必要なものもあります。
物は腐りませんが、劣化するので、時々引っ張りだして、風にあてたり、ほこりをはらったりしなければなりません。
こうした仕事はすべて、時間を奪います。
そんな手入れを繰り返した物でも、不用なら出番は来ず、持ち主がその気になったとき、断捨離されるか、持ち主が死んだあと、親族が捨てるでしょう。
「いや、私は押入れや開かずの間に入れっぱなしだから、管理はいっさいしていません」という人もいるかもしれません。
これは、大事な物(ちゃんと使っている物)も、使わない物も、ごちゃごちゃにしている状態です。
何かが必要になったとき、その都度、ごみの山をあさって、見つける暮らしをしているのでしょう。
明らかに、余計な仕事が発生しています。
2.よけいな考えごとが増える
不用品をたくさん持つと、考えるべきことが増えます。
物を持っていると、新たな欲望が生まれます。
たとえば、
●失いたくない⇒物を捨てられないのは恐怖のせい~損失回避と、授かり効果の心理をさぐる
●汚したくない
●こわしたくない
●上手に使いたい
●いい買い物をしたと思いたい(私は買い物上手よ、セールでゲットしたんだもの、というセルフイメージを保ちたい)。
●うまく収納したい
こうした欲望が、新たな考えごとを生みます。
失いたくないから、使っていなくても、手放さない理由や言い訳をあれこれ考えて、捨てません。
汚したくないから、使うつもりで買ったのにしまいっぱなしにします。そして、ちゃんと使っていないことに罪悪感を感じます。
こわしたくないから、思う存分使うことができません。買ってあげたおもちゃを子供が乱暴に扱うと、怒りがわいてきます。「こら! そんな使い方しちゃだめ!」と怒鳴ったりします。
完璧主義の人は、「お金を払って買ったんだ、ちゃんと使わなきゃ損だ、これについてる機能を100%使わなきゃ損だ」と思うから、使い方をあれこれ調べたり、実際に使っている人のブログを探したりします。
いい買い物をしたと思いたいから、使い道がないのに、無理やり使いみちを探すのに時間を費やす人もいます。
これらの考えごとは、そんなに高くなかった物や、ごく単純な物を所有しても発生します。
私もそうでした⇒2度と付録目当てで雑誌を買わないと誓った日:ミニマリストへの道(53)
人によっては、ただでもらってきた物、人からもらった物に対しても、いちいち考え込み、多大なメンタルエナジーを注ぎ込みます。
もらい物の処遇に関して、悩んでいる人がいかに多いかは、過去記事を読んでいただければ、わかります。
2つだけリンクしておきます。
不用な贈り物を捨てられないのは、世の中の人全員に好かれたいと思っているから。
贈り物を捨てたことが相手にばれそうでとても心配です←質問の回答
高価な物や、手に入れるのが難しい物、複雑な物を持つと、すべての考えごとが増大し、心のエネルギーが奪われ、疲れ果てます。
3.よけいなストレスが増える
物がたくさんあって、視覚的にごちゃごちゃしていると、とてもストレスを感じます。
無意識にしろ、意識的にしろ。
私の夫はタメコミアンで、使っていない物を捨てません。
夫の部屋の中を見るたびに、「うわーっ!」と耳をおさえて叫びたくなります。
「よく毎晩、こんな部屋で眠れるなあ」と思うのですが、考えてみると、夫は、ソファの上で昼寝(夕寝)している時間がずいぶん長いです。
寝室では、質のいい眠りを得られないからだと思います。
彼は、もともと、眠りが浅いほうで、昔、私の扉の開け方がうるさいと言われ、ノブの回し方の指導を受けたことがあります。
いったん寝てしまうと、大雨が降っても聞こえない私は、できるだけ音をたてずにドアノブを回す練習をしながら、「この人、何言ってるのかしら? わけわからないんですけど」と思っていました。
夫の部屋は、人並み外れてぐしゃぐしゃですが、そこまでいかなくても、ストレスは生まれます。
自分では整理整頓しているつもりでも、物が多すぎると、ごちゃごちゃはまぬがれません。そして、知らないうちに視覚的ストレスをかかえてしまうのです。
ぐちゃぐちゃの部屋にいると、ストレスホルモンの分泌が増える、というリサーチ結果もあります⇒集中できないのはぐしゃぐしゃの部屋にいるから。ガラクタは脳にも悪影響を与えています
うそだと思うなら、家のどこかに何もないスペースを作ってみてください。引き出し1つでも、棚1つでも、テーブルの上でもいいです。
何もないスペースを見ると、いかに安らげるか実感していただけるでしょう。
1番と2番に書いたように、仕事や考えごとが増えれば、ストレスも増えます。それにプラスして、視覚的ストレスも増大するのです。
4.ガラクタが行動を制限する
ガラクタがたくさんあるせいで、自由に行動できなくなります。
部屋がごちゃごちゃすぎて、お客さんを呼べない、と思うなら、ガラクタが、「お客さんを呼ぶ」という行動を妨害しています。
先日、ミニマリストのコリン・ライトのプレゼンを紹介しました⇒いらないものを手放し、基本に戻れ:コリン・ライト(TED)
彼は、旅行に行きたいと思ったとき、所有している物をどうしたらいいのか、考えあぐねました。
家にある物を手入れしなきゃならないから、長期間、家を開けることはできないと思う人は多いと思います。
コンスタントに手入れの必要な物を持っていたり、空き巣に入られないかな、留守中、火事にならないかな、という心配が生まれるのでしょう。
私の母も以前、「2週間も家を開けられない」と言っていました。郵便が来るし、庭の草を抜いたりしないとだめだから、というのがその理由です。
誰か家を管理してくれる人を雇えばいいのですが、物が多すぎると、他人を家に入れることもはばかられます。
やりたいことがあるのに、「とりあえず、汚部屋を片付けてからよ、それから、そっちをやろう」「片付けが一段落してからそっちに取りかかろう」と思っている人もいます。
ローンで物を買っていたら、そのローンを払い終わらないうちは、その物に行動を制限されることになります。もちろん、心の重荷にもなっています。
結論:多すぎる物は、足かせになる
こんなふうに、物は私たちの暮らしを不自由にしてしまうのです。
「これ、使ってないけど、捨てるのはもったいない。だって、そのうち使う時が来るかもしれないし」と思って捨てない決断をするのは、わざわざ自らを不自由な檻(おり)に閉じ込めるようなものです。
私たちは、子供のときから、物をたくさん買って、家にためこんだり、消費したりするほうが、物がない生活より幸せだ、と教えられて育ちます。
服やバッグはたくさんあったほうがいいし、車や家も大きいほうがいい。常に最新の物に買い換える生活が豊かなんだよ、というように。
確かに、生きていくのに必要な物がないと困ります。けれども、このブログを読んでいる人は、書いている私を含め、生活を営むのに必要な物は、もう充分持っています。
それ以上、所有してしまうと、物は私たちの重荷になります。
そういう物は、自分の暮らしを便利にしてもいないし、心楽しくしてくれるわけでもありません。
貴重な時間やエネルギーを奪い、罪悪感や恐怖、不安を生み出しているのです。
****
先日、老前整理に関する相談のお便りを紹介しました⇒老前整理しようとしていた矢先に遺品整理をすることに。物が多すぎて困っています。
この方から返事のメールをいただきました。
ピアノはあきらめる方向になったが、今度は、お気に入りの絵本(子供時代のもの)を捨てられないそうです。
見ると子供時代を思い出して懐かしいし、体調が悪いとき、自分の心を癒やしてくれる効果があるとのこと。
検索しても、同じ絵の本は見つからないし、図書館にもないようだ。気に入った部分をコピーして、本体は親戚の子供にあげようかな、とも書かれていました。
思い出の品が捨てられないという人、ほかにもたくさんいて、同様のメールを何通ももらいました。
なぜ多くの人が、こんなに「思い出の品」にこだわるのか、正直、よくわかりません。
なぜ、そこまで所有したがるのか? 思い出はこころの中にあるから、物なんて、1つもなくたって大丈夫ではないですか?
物を所有したがる人ほど、物を持っていると、よけいな思いわずらいが増えると思います。
すべてを捨てて、引越して、体調がよくなれば、わざわざ特別な癒やしを求める必要はなくなります。心も体も身軽になり、楽しくなりますから。
所有しないほうがずっと楽なこと、どうやったら気づいてもらえますかね?