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遺品の中でも、仏壇、お守り、人形など、宗教に関するものや親の愛用品は、なかなか捨てられません。
捨てたら罰が当たるかもしれない、故人に申し訳ない。そんな気持ちがあるからです。
しかし、現実問題としてすべての遺品を受け継ぐわけにはいきません。
今回は、こうした重たい遺品と向き合い、無理なく手放していく考え方をお伝えします。
重いものを抱え続けるわけでもなく、無理やり捨てるわけでもありません。納得できる方法を探してみましょう。
手放したいのに手放せない。心に重くのしかかる遺品
仏壇に飾ってあった小物、母がいつも持っていたバッグ、棚の奥から出てきたお守りや人形。
遺品整理をしていて、こうしたものが出てくると、一瞬手が止まります。
ふつうの不用品なら、いらないと思えば処分できます。
けれども、こうしたものには、使っていた人の記憶や、信仰の気配があります。
物理的には小さくても、心理的にはとても重い。
捨てたら何か悪いことが起きるのではないか、故人がどこかで悲しむのではないか。そんな思いがよぎって、すぐには処分できません。
手放したい気持ちと、手放してはいけないという気持ちが引っ張り合って、どちらにも進めなくなります。
こういうとき、自分の気持ちをときほどいていくと折り合えるポイントが見つかります。
手放す恐れを生み出す3つの気持ち
とても意味深いものに見えて、恐れおおくて捨てられないもの。
ただ怖がって持ち続けるのではなく、その恐れがどこから来ているのか考えてみましょう。
罪悪感
なんだか恐ろしい。そう思うとき、それは強い罪悪感のせいかもしれません。
生きているあいだにもっと会いに行けばよかった、もっと優しくすればよかった。そういう後悔の感情が、遺品に重なってしまうのです。
ものを捨てることは、故人との最後のつながりを断つように感じられるのです。
処分しようとすると、自分はひどい人間だという気持ちになります。
他人の目が怖い
周囲の目を恐れている可能性もあります。
親戚が家に来たとき、仏壇がなかったらどう思われるか。兄弟に「あなた、お母さんのもの全部捨てたの?」と言われたらどう答えるか。
自分のなかでは整理がついていても、他人の視線が足かせになります。
漠然とした不安
頭の中にある、罰が当たるかもしれないという声に引きずられている人もいます。
ものには魂が宿る、粗末にすると祟りがある。こんな感覚は古くから日本にありました。
古典文学を読んでいると、登場人物たちが説明のつかないできごとを前世の因果や霊の仕業として受けとめている場面によく出会います。
当時は科学的な知識がなかったので、病気も不幸も、目に見えない力のせいにするしかなかったのでしょう。
その名残りが、現代の私たちにも残っています。
要するに、ものそのものに力があるのではなく、私たち自身の罪悪感や世間体、不安といった感情が、ものに特別な力を与えてしまっているのです。
恐れの正体は、ものではなく自分自身の感情なのです。
たまったお守りを手放して気づいたこと
私にも似た経験があります。
30年前にカナダに来たとき、母がしばらくのあいだ毎年お守りを送ってくれていました。
実家の近所の龍泉寺で買ったものです。龍泉寺は母の散歩ルートにありました。
私自身は信仰心が強くないので、正直なところお守りは不要でした。
しかし、母が私の安全と健康を願って送ってくれていて、その気持ちはとてもありがたい。
そう思って捨てそびれているうちに、気がつくと、5つ以上たまっていました。
結局、一時帰国した際に、龍泉寺にまとめて持っていきました。
処分したあと、ほっとしました。
お寺に返すのだから、これは正当な手放し方だと思ったし、その後、何も悪いことは起きていません。
⇒これを捨てると縁起が悪いから。そんな理由で不用品を処分しない人が読む記事。
遺品はあくまで「もの」。カナダ流のドライな付き合い方
日本では、遺品を故人の魂が宿る特別なものとして扱う傾向が強いです。
遺品整理の業者には、供養つきのサービスを売りにしているところもあります。
供養してからでないと処分できない、こんな前提があるのでしょう。
一方、私が暮らしているカナダでは、遺品の扱い方がだいぶ違います。
どちらかというと、ものはあくまでものとして扱い、まだ使えるものは、エステートセール、寄付センターやスリフトショップ、教会のセールなどを通じて、次に使ってくれる人に渡す、という考え方が主流です。
もちろん個人差はありますが、日本のような、ものそのものを供養するという考え方はあまり見られません。
エステートセールは、故人や引っ越す人の持ちものを、家の中でそのまま売るセールです。
家族が値札を貼り、週末に近所の人が見に来て、気に入ったものを買っていきます。売れ残ったものは、まとめて寄付に出すか処分します。
日本人の目から見るとドライに感じるかもしれませんが、ものを抱え込まないぶん、遺族の暮らしが早く落ち着くと思います。
文化が違えば、ものとの付き合い方も違います。
自分がいま信じている遺品の扱い方だけが唯一の正解ではない、と気づいてほしいです。
納得できる手放し方を選ぶ
故人を象徴するような品を処分するとき、選択肢は、燃えるごみに出すか、ずっと持ち続けるかの二択ではありません。
ほかにもいくつか処分方法があります。
たとえば、
・お焚き上げを受けつけているお寺や神社に持っていく
・人形供養の行事に出す
・遺品整理の業者に引き取ってもらう
・リサイクルショップや寄付センターに持ち込む
・形見の一部だけ残して、残りは親族で分ける
・仏壇なら、仏具店に引き取りを相談する
・お守りやお札なら、買ったお寺や神社に返す
ものによっていろいろな手放し方があるので、自分が持っているものはどう処分できるか考えてください。
文化的な価値の高いものなら博物館などに寄付もできるでしょう。
最終的には、自分の気持ちがおさまる処分方法を選んでください。
宗教的なものは、手に入れた場所に戻すと気持ちの整理がつきやすいです。預かっていたものを返す感じです。
遺品を残すこと=故人を大切にすること、ではない
故人を大事に思う気持ちと、故人のものを物理的に持ち続けることは、別のことです。
全部取っておこうとすると、自分の家が倉庫になってしまいます。
押入れの奥にダンボールが積み上がり、部屋が狭くなり、掃除もしにくくなる。ものが多いと、探しものも増えます。
遺品のあいだに大事な書類が紛れて見つからない、なんてことが起きるかもしれません。
いまの自分の暮らしが回らなくなるのは、故人も望んでいません。
親が子どもに本当に残したいのは、ものではなく、ずっと元気で暮らしてほしいという気持ちです。
私にも娘がいますが、お金やものをあまり残そうという気持ちはありません。実際、そうしたものはないのですが、私が自分がいなくなった後の娘に望むのは、元気で楽しく暮らしてほしいということだけです。
いまの自分の生活を大切にすることは、故人の願いに沿うことでもあるのです。
そう考えて、本当に残したいものだけ残し、ほかは自分が納得できる方法で処分していってください。
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ものに宿っているのは、故人の魂ではなく、自分自身の感情です。
その感情を認めたうえで、自分が納得できる方法を選べば、手放すことは故人を粗末にすることにはなりません。
自分の気持ちを整理しながら、必要のない遺品を処分していきましょう。
押入れや部屋を圧迫しているダンボールが減れば、いまの暮らしに使えるスペースが生まれます。
できたスペースで、今日からの自分の暮らしをのびのびと楽しんでいきましょう。














































