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すでに手元にない思い出の品に対する執着を捨てる方法を教えてほしい。
この質問に回答します。
まず、メールをシェアしますね。バタコさんからいただきました。
思い出の文集
件名:思い出の物の執着への執着を捨てるにはどうすればいいのでしょうか?
友人との思い出の物を不注意で紛失してしまい思い悩んでいます。
今39歳です。
15年以上前になりますが上京し同棲していたことがあります。
2年ぐらいでしたが、同棲を解消しアパートを出る際に、荷造りの荷物の中に入れたつもりでしたが、大事にしていた友人との文集を入れ忘れてしまったのかもしれません。
ごみとして処分した記憶はないです。
当時はできる範囲で探したりしましたが自然と忘れていました。
数年後、その友人が亡くなってしまい、友人との思い出の物を急に思い出し今は気になってしかたありません。
当時もっと探しておけばよかったと後悔しています。
当時のことを思い出すと、もしかしてどこかにあるかもしれないという中途半端な状態なので余計に気になっているのかもしれません。
私からの質問は思い出の物への執着をなくすにはどうすればいいのでしょうか?
アドバイスありましたらよろしくお願いします。
バタコさん、はじめまして。お便りありがとうございます。
友人と一緒に作った文集が恋しいけれど、もう手元にないし、いい加減、この文集にこだわるのをやめたい。だけど、やはり気になってしまう。
今、こんな状態なのですね。
実は、以前、とてもよく似た質問に回答したことがあります。
⇒祖母の思い出のアルバムが見つからない。ない物に執着する気持ちを手放すには?
この記事の「祖母」を「友人」に、「アルバム」を「文集」にして読んでください。きっと気持ちの整理に役立つと思います。
この記事では、バタコさんが具体的にできそうなことを4つ書いてみます。
1.今の自分の望みを検証する
まず、今、一番自分が望んでいること、どんな状態になれば自分が満足するのか考えてください。
バタコさんは、すでに手元にない文集が、魔法のように、どこからか出てくることを望んでいるのでしょうか?
そうすれば、今のバタコさんの悩みはすべて解消しますか?
文集をもう1度手にすることが、一番の望みなら、興信所でも探偵でも何でも屋でもお金を払って雇い、一度徹底的に探すのはどうでしょう?
実家や、東京から転居した家にあるかもしれないので、家探しもしてください。
八方手を尽くしても見つからないなら、あきらめがつくかもしれません。
もう文集のことを気にするのをやめるというのが一番の望みなら、「そうしよう」と決めてそうするだけで解決します。
もちろん、何かの拍子にふと文集のことを思い出すかもしれません。そんなときは、「もう忘れるって決めたんだし」と思い直し、他のことに意識を向けてください。
後悔、心配、罪悪感などにさいなまれる方に、私は、時間を区切って、そういう気分になることをお勧めしています。
タイマーで5分~15分、時間を設定して、その時間だけ思いっきり後悔したり、文集について考えてください。その後、タイマーがなったら日常に戻ります。
こうすれば、四六時中、文集のことを考える生活から抜け出せます。
2.なぜ文集がそんなにひっかかるのか考える
文集をなくしたと自覚したのはずいぶん前のことだし、ご友人が亡くなったのも、そんなに最近のことではないようです。
では、なぜ、今頃になって文集がそんなに気になるのでしょうか?
文集がそこまで気になる理由を自分であげてください。
たとえば、
・文集を作るとき、友人との間に何かがあった
・文集の作成において、思い残すことがあった
・友人に言いたいことや、一緒にしたいことがあったのにできないまま友人は亡くなった
・文集はどうでもよく、実は同棲や同棲の解消がひっかかっている
・後先考えず荷造りした当時の自分が許せない
・単に探しものが出てこないのが不快
・文集がどこに行ったのか確実なことを知らないのが不快
・現実に不満があり、過去のことを思い出して逃避している
私はバタコさんではないので、何がひっかかっているのかわかりません。
もし何か未完了のことがあって、それがひっかかっているのなら、完了させてください。
文集をなくしたのも、友人が他界したのも、ずいぶん前のことですから、物理的にどうこうできることはあまりないでしょう。
つまり、自分で心の整理をつけて完了させるしかありません。
心の整理の仕方は、先に紹介した記事にも書いているし、過去記事にもたくさん書いています。
おすすめは、自分の気持ちを紙に書き出すことです。
ネガティブ思考改善にモーニングページがいい~今月の30日間チャレンジ
もし、文集がどこに行ったのかはっきりしないのが不快なら、真実の解明はあきらめてください。
何かがどこに行ったのか、今どこにあるのか、確実なことを知りたい思いは、過去のできごとに対するコントロール欲から来ていると思います。
ふだんでも探し物が出てこないとすごく気になって、やるべきことがあるのに、どんどん探して時間を浪費したりしますが、これは、人の「物事や状況をコントロールしたい」という欲のせいではないでしょうか?
3.代わりの思い出品を見つける
なくした文集が友人との思い出の品としてひじょうに重要だから気になっている。
もしそうなら、別の思い出品を見つけるのはどうでしょうか?
写真や手紙など。文集を作るぐらいですから、お2人とも筆まめだと想像します。
交換した手紙やカードがあれば、ひっぱりだしてきて、それを友人との思い出品で一番大事なものの座に据えてください。
もし手元にないなら、友人の家族に連絡して写真を1枚もらうとかしてもいいでしょう。
それと、バタコさんは、このブログに初めて訪れたそうなので、過去記事は読んでおらずご存知ないと思いますが、私は、物がなくても、思い出は心の中に残っていると考えています。
かつて、あるできごとがあり、それを体験した記憶があるなら、すべての思い出品をキープする必要はないのです。
その記憶にしたって、何もかも覚えておく必要はありません。
生まれてから、きょうまでのできごとを全部覚えていたら、脳は、今の生活に必要な情報処理や思考をすることができません。
脳の第一の使命は、今日と未来の生存であり、思い出のキープではないのです。
生きるのに特定の思い出が必要なら、そういう思い出は、脳の中に残っていて、適宜、思い出せるはずです。
そんなわけで、物がなくても、思い出は残っているから、バタコさんと亡くなった友人の共通の友人とで、昔のことを語り合うだけで、思い出はよみがえり、その記憶は強化されます。
ついでにその体験を日記などに書いておけば、後日、その日記を見れば、亡くなった友人のことも思い出すことができます。
4.今の生活に目を向ける
文集のことを考えるのに時間やエネルギーを傾けず、今の生活に目を向けてください。
過去の記憶が今の自分を作っていますが、自分にとって一番大事なのは現在、もっと厳密に言えば、今、この瞬間です。
私たちは、すでに起きたできごとを変えることはできないし、これから起きることをコントロールすることもできません。
自分がどうこうできるのは、今の思考と行動だけです。
そして、今、何を考え、どんな決断をするかで、これからの人生が決まります。
つまり、今、もう少し時間を広げて、今日という日は、自分にとってひじょうに重要なのです。そんな大事な時間に、どこに行ったかわからない文集のことを考えるのは、時間がもったいなくありませんか?
文集のことを思い出して、ほっこり温かい気持ちになるならまだしも、未完了感や後悔など、ネガティブな気分になるならなおさらです。
今に目を向けるためにマインドフルネスを実践してみてください。
深呼吸や瞑想などやり方はいろいろあります。
マインドフルネスで実現する。今この瞬間を生きて幸せになる4つの方法。
それでは、バタコさんが、執着と離れられることを祈っています。
参考になりそうな過去記事をリンクしておくのでよければ読んでください。
思い出品に執着がありすぎて、部屋がスッキリしないときはこうしてください。
捨てたことを後悔しても無駄なのでさっさと次へ行こう、と言われてもうじうじ悔やむ人へ。
失ったものを取り戻したいと思うな:部屋が物だらけになる理由(その7)
手元にないものは、自分の中で美化されるから、捨てたことを後悔するのかもしれない。
自己嫌悪を手放す方法~過去のできごとにこだわるのは自分が選んでやっていること。
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読者の質問に回答しました。
学生時代の文集や交換日記などを大事にしている人はたくさんいるようです。
実は私は筆まめなので、手紙や日記はたくさん持っていましたが、とうの昔にみんな捨てました。
こういうものは、書いているときと、それを初めて読んだときが楽しいのであって、今になって読み返したいとは思いません。
特攻隊員や飛行機の墜落直前に書いた人の手紙やメモ書きは残っていてよかったと思いますが、それは特殊な状況で彼らの命が突然断たれたからです。
今も生きていて、高い確立で明日もふつうに来そうなら、やはり、今日や明日のほうが大事だと思います。