ページに広告が含まれる場合があります。
筆子がミニマリストになった経緯をお話しています。
20代は給料のほとんどを洋服、雑貨、本、それにお稽古事に費やしていました。実家に住んでいたからできたことです。
服を買い過ぎて汚部屋に
特に服を買うのが好きで、フェリシモのいろいろな服の頒布会に入って、同じアイテムの色違い、テイストの同じもののデザイン違いをたくさん集めていました。からだは1つしかないし、着て行くところだって会社ぐらいなのに。
フェリシモは昔、「ハイセンスコレクション」という名前でしたから、文字通り「コレクション」していったのです。
筆子の部屋には物があふれていました。収納本を見ながら、なんとか整えようとしたものの、入りきらないものは入りません。
部屋が汚いと、母におこられてばかりだったのは、前回も書いたとおりです⇒なぜ私は断捨離をしてミニマリストになったのか?【1】~物がたくさんあっても幸せではなかった
休みの日に自分の部屋でぼーっとする筆子。ふと目をあげると、カラーボックスに中途半端にしまった洋服や雑貨がはみだし、うわーっと襲いかかってくるかのようでした。
大きな地震があったらひとたまりもなかったことでしょう。
会社をやめて捨て始める
そんなある日、筆子は突然シンプルライフに目覚め、物をどんどん捨て始めました。27歳の夏です。
考えてみるときっかけは5つあります。
1.部屋に物がいっぱいで物理的に暮しにくかった。
2.会社をやめたので時間ができた。
3.自分の部屋にいる時間が増え、あふれる物の姿に息がつまりそうだった。
4.吉本由美「一人暮し」術・ネコはいいなア」という本を読んだ。
5.このままではいけないという危機感があった。
1986年(昭和61年)のことで、まだ『断捨離』という言葉はありません。辰巳 渚(たつみなぎさ)の『捨てる技術』という本がベストセラーになったのは、2000年(平成12年)です。
80年代後半は、さほど「捨てよう」という言葉は聞かれなかったと思います。だから、「物を捨てれば、人生が変わる」とか、「開運になる」とは思ってもいませんでした。
ただただ、自分の部屋の光景にうんざりしたのです。
会社でのストレスがぐしゃぐしゃの部屋を作り出した?
筆子は短大卒業後に小さな会社に入社しました。7年以上まじめに勤務したのに、お金は残らず、誰でもやれる仕事で、からだはボロ雑巾のように消耗。
あとに残ったものは、ガラクタでいっぱいの汚部屋。
20代と言えば、誰の人生でも明るく輝いているはずの時代。
それがこのありさま。
泣きたくなりました。
というより、本当に泣いていました。
「私って、これまでいったい何してたんだろう?」
吉本由美の本には、物にこだわりぬいていた著者が、あるきっかけで、こだわりを手放し、身軽に生きている話がつづられていました。
猫は何も持っていないけど、自由で幸せそう。
筆子は、そんな人生にあこがれました。
その時の筆子にできることはとにかく部屋を片付けること。
物を捨てて、一度人生をリセットすることだったのです。
吉本さんの本についてはこちらで詳しく書いています⇒吉本由美の「一人暮し」術は私の1番最初のシンプルライフの参考書
職探しそっちのけで断捨離に励む
職安に出向いたり、『とらばーゆ』(女性むけ求人誌)で仕事を探しつつも、ほとんどの時間を断捨離にさきました。
まずタックルしたのはためにためていた雑誌『オリーブ』。創刊からずっと持っていました。この雑誌を毎日、毎日束にしてひもでしばるのが日課でした。
英語の参考書をたくさん持っていたので、英会話スクールで知り合った人に、大量にもらってもらいました。
それも1人や2人ではありません。
洋服はリサイクルショップに出しました。たまたま近所にそうした店があったし、母が知り合いのリサイクルショップに編み物の作品を出していたので、そのお店に不要品を持っていってもらいました。
次に山のように持っていた文房具、子供のころからコレクションしていたキーホルダー、フェリシモで集めた全然使わない香水、毎月のコレクションとともに送られてくる不思議なおまけ、アクセサリー、そんな雑貨をどんどん捨てました。
今は肌断食をして化粧品はほとんど持っていない筆子ですが、若い時は、エイボンで集めた、小さな口紅のサンプルを山のように持っていました。
そういうものは、もう捨てるしかなかったです。
高いものは1つもないけれど、ちりも積もれば山。
筆子は、フェリシモに相当お金を使っていました。
そのぶん財形貯蓄でもしておけばよかったのに。
「私って馬鹿じゃない?」
情けないやら、悲しいやら、悔しいやら。
心中は穏やかではありませんでしたが、断捨離はどんどん進みました。
考えてみると、会社をやめて、仕事がなくなっていたので、何かやっていないと気持ちが落ち着かなかったのでしょう。
まるで潮がひくように、筆子の部屋からものがどんどん消えていきました。
この続きはこちら⇒なぜ私はあんなに物を買ってしまったのか~ミニマリストへの道(3)
☆今は、化粧を全くせず、肌断食しているのですが、記事に書いたように、20歳前後のころ、エイボンの化粧品を持っていました。
とっても薄化粧なのですが、あるとき、無料サンプルを雑誌から申し込んだら、私の住んでいる地域を担当しているエイボンレディさんが、家にみえたのです。
そして、誘われるままにエイボンレディになってしまったのです。エイボンレディになったのも、モノを増やしてしまった原因の1つです。