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若い頃、私が無駄に買った物を振り返っています。
今回はTシャツをとりあげることにしました。
まあ、衣類全般、ずいぶんたくさん持っていて、ちゃんと着た服より無駄になったもののほうが多いのです。Tシャツは収納に悩んだことがあるので、特に記憶に残っています。
なぜTシャツがたまってしまったのか?
ほかの物と同じように、Tシャツもなんとなくたまってしまいました。
世間には、Tシャツやジーンズを意識的にコレクションする人がいます。
しかし、私はそういうコレクターではありません。通販(頒布会)で買ったり、店で買ったりしているうちに、自覚しないまま、数がどんどん増えました。
数えたことはありませんが、40~50着ぐらいはあったんじゃないでしょうか。もっとあったかもしれません。
うんざりしますね。
本当にうんざりです。
今もTシャツは私のワードローブの中核をなしていますが、1年をとおして、半袖3着、長袖2着ですんでいることを思うと、10年分ぐらいの余剰ストックを、何年もほこりっぽい部屋に置いていたわけです。
家でも会社でも、Tシャツはよく着ていましたが、それにしても多すぎます。
新卒で入社した会社は、女子社員だけ制服があり、そろいのジャンパースカートをあてがわれました。
ジャンパースカートの下に着るものは自前だったので、私はいつもTシャツを着ていました。
ブラウスやシャツは着ていて疲れるし、手入れも大変だし、自分の好みにもあいません(私は短大時代から、基本はTシャツにオーバーオール姿)。後輩からは、「筆子さんと言えばTシャツですよね」と言われたことがありました(。
よって、会社員時代は、一応、Tシャツを着ていたと言えます。しかし、繰り返しますが、50着も必要ありません。
他の服も持っていましたから。
Tシャツの収納に苦労する
通販で物をいろいろ集めすぎた私は、「捨てるしかない」という結論に至り、実際に手放す前に、「無理やり収納する」という回り道をしました。長い、長い回り道です。
すでに1980年代後半から、いろいろな収納グッズが街で販売されていて、通販でも購入できました。
通販で集めすぎた物を収納するために、これまた通販で収納ケースや収納グッズを買いました。
フェリシモでも、透明なプラスチック製の引き出しの会に入っていたことがあります。この引き出しには、ためにためたカセットテープを入れていました⇒捨てれば捨てるほど思い出が豊かになるカラクリとは?~カセットテープを断捨離して気づいた真理
Tシャツの収納に使ったのは、千趣会で買った浅くて大きな木箱です。
最終的にこの箱にしまうことにする前に、たたみ方を含め、雑誌やムックを見て、収納法を模索していました。
この箱については、以前もブログに書いています⇒物を最小限にするミニマリストの暮しが、あなたの夢を叶える理由とは?
ベッドの下に入れて使うことを想定された収納ケースで、高さはあまりなく、キャスター(脚車)がついており、簡単に引き出せるようになっていました。
大きさは1メートル四方かもうちょっとあったかもしれません。この箱の1つに、ためこんだTシャツを丸めて、立てて入れました。
丸めて入れると数がたくさん入ります。
この収納ケース、ベッドの下から簡単に引き出せて、便利に思えるかもしれません。ですが、わりに大きいので、物がいっぱい入っている箱をがらがらと引き出すと、「うわ~、なんだか知らないけどすごくある」という圧迫感を感じます。
「こんなに集めちゃってどうするの?」みたいな気持ちにさせられるのです。
この箱を私は2つ買い、1つにTシャツなどの衣類や雑貨、もう1つに、ためこんだ雑誌や本を入れていました。
ふたはないので、ずっとベッドの下に放置すると、どんどんほこりがたまります。
雑誌を入れていたほうは、ほこりがたまり放題でした。
数年後、結局捨てる
このように、収納にお金、時間、エネルギーを注いだTシャツも結局捨てました。
最初に勤めた会社をやめた夏、大々的な断捨離をし、そのときにTシャツも捨てたのです。
その頃の話⇒断捨離を始めた5つのきっかけ~私はなぜミニマリストになったのか(2)
収納する箱はまだ持っていましたが、こちらも数年後に捨てました。
とはいえ、フェリシモやほかの通販会社の利用を完全にはやめていませんでした。
ホームウエアの会みたいなのに入り、綿ジャージーのスポーツウエア(または部屋着)みたいな服を数着買ったし、綿のショートパンツ(部屋着)や短パンの回にも入っていました。
この頃、フェリシモで買った服の一部は、里帰りしたさいに、カナダに持ち帰り、しっかり着用しました。置いてきた服はわりと長らく実家にありまして、完全に捨てきったのは2014年のことです。
「1週間で8割捨てる技術」という本を書いたとき、担当の編集者に、「不用品を20年も30年も、そのまま持ち続けてしまうことってあるんでしょうか」と聞かれたことがあります。
若い人はともかく、私のように、ある程度の年数を生きている人は、十分ありうることではないでしょうか?
特に引っ越しをしない人は。
就職や結婚のために、家を出た人でも、実家に私物が、何年も手付かずのまま、放置されていることもあるでしょう。
きのう、自分で物の捨て時を決めたほうがいい、という記事を書きましたが⇒3年使っていない物はもう捨てるススメ。物の捨て時は自分で決める
どこかで線引きをして処分するか、使うかしない限り、物はずっとそのままそこに残ります。
またTシャツをためた学習しない筆子
30歳になる前に、いったんTシャツを徹底的に捨てた私ですが、このほぼ10年後、40歳ぐらいのときに、また少しTシャツをためてしまったことがあります。
このときは、自分で買ったのではなく、懸賞の景品としてもらったものが集まりました。
その頃の話⇒筆子の物を増やした3つの危険な習慣とは?~ミニマリストへの道(10)
娘が1歳か2歳のときのことですから、今から18年ほど前の話です。今世紀初頭ですね。
当時、インターネットの懸賞は当たりやすく、当面使いみちのない物をたくさんもらいました。
Tシャツもそのうちの1つです。
この頃のことは、いわゆる「恥ずかしい過去」であり、今でも穴があったら入りたい心境になるので、あまり多くは語りません。
数年後、誰も着ないTシャツを、たくさん寄付センターに持ち込んだ、とだけ書いておきます。
もしシンプルに暮らしたいなら、私は懸賞は全くおすすめしません。
ただで物をもらうことほど、高くつくことはない、恐ろしいことはないのだ、とこの時深く学びました。
確かに、懸賞で当たると、短期的に見ると、得したように思えるかもしれません。ですが、人生はお金だけではありません。
お金より、時間、心的エネルギー、自分の気持ちのほうがずっと重要ではないでしょうか?
Tシャツをためこんで、私は人生を棒に振った、とまではいいませんが、もしやり直しができるのなら、あんなにTシャツを買ったり、もらったりすることは絶対しません。
Tシャツを集めすぎて思うこと
私が2度も、着もしないTシャツをたくさんためこんでしまった理由は2つあります。
1)ただなんとなく無意識に買い物をした結果
2)懸賞にあたって得したいという愚かな発想の結果
ためこんだあと、以下の代償を払いました。
1)お金を無駄にした
2)収納や管理に頭を悩まして、時間を無駄にした
3)断捨離するのに時間と体力を使った
4)購入、管理、処分、すべての段階で無駄に心的エネルギーを費やした
5)買ったものを生かせないという罪悪感を感じた
6)物だらけの部屋でストレスを感じた
以上は、自分にかかわる代償です。社会的な代償は
7)ゴミを増やした⇒地球環境の悪化
8)しなくてもいい仕事を多くの人に強いた
9)しなくてもいい仕事のために、貴重な資源(特に輸送に使うエネルギー)を無駄にさせてしまった
こんなところでしょうか。
この続きはこちら⇒意味もなくなんとなくマグネットを集める人:ミニマリストへの道、番外編10
ミニマリストへの道を最初から読む方はこちら⇒なぜ私は断捨離をしてミニマリストになったのか?(1)~物がたくさんあっても幸せではなかった
番外編はこちらから⇒ただで物をもらう生活習慣はこうしてできあがった:ミニマリストへの道、番外編1
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私が日本で断捨離していたとき(1980年代後半~90年代半ば)は、近所にリサイクルショップがあり、母の知人もリサイクルショップを経営していたので、ほとんどの物をそうした店に持ち込みました。
私が捨てた服が、リサイクルショップのいい場所にディスプレイされていたよ、と母に言われたことがあります。
それは著名なデザイナーがデザインした高いワンピースでした(ピアノの発表会などで数回着ただけ)。
誰かが着ることがあったのかどうか。この記事を書いたら、その服のことを思い出しました。