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いかに人間の記憶があてにならないか説明しているTEDの動画を紹介します。
タイトルは、How reliable is your memory (あなたの記憶はどの程度信用できるか?)。邦題は「記憶が語るフィクション」。
プレゼンターは、心理学者のエリザベス・ロフタス(Elizabeth Loftus)さんです。
思い込みが激しすぎて、よけいなストレスをためている人におすすめです。
記憶が語るフィクション:TEDの説明
Psychologist Elizabeth Loftus studies memories.
More precisely, she studies false memories, when people either remember things that didn’t happen or remember them differently from the way they really were.
It’s more common than you might think, and Loftus shares some startling stories and statistics — and raises some important ethical questions.
心理学者のエリザベス・ロフタスは記憶の研究をしています。
厳密に言うと、「誤った記憶」を調べています。実際には起きなかったことを覚えていたり、事実とは違う形で覚えているケースです。
記憶の誤りは想像以上に多いのです。ロフタスは、驚くべき事例や統計を紹介しつつ、倫理的問題を提議します。
収録は2013年の6月。動画の長さは17分30秒ほど。日本語字幕があります。英語字幕や字幕なしがよい方はプレイヤーで調節してください。
動画のあとに抄訳を書きます。
☆トランスクリプトはこちら⇒Elizabeth Loftus: How reliable is your memory? | TED Talk
☆TEDの説明はこちら⇒TEDの記事のまとめ(1)ミニマリスト的生き方の参考に
証言者の記憶違いのために人生が狂った男
私がかかわった訴訟のお話をします。スティーブ・タイタスという男性の事件です。
タイタスはレストランの支配人で、当時31歳でした。ワシントン州、シアトルに住み、結婚を控えて幸せな日々を過ごしていました。
ある夜、タイタスと婚約者はレストランで食事をし、その帰り道、警察に車を止められました。
タイタスの車が、その晩、ある女性をレイプした犯人の車と似ていたからです。
警察はタイタスの写真をとり、ほかの容疑者の写真と一緒に被害者に見せました。被害者は、タイタスの写真を見て、「この人が一番近い」と言いました。
検察は彼を訴え、裁判が始まりました。
裁判で、被害者は、「犯人はこの人に違いありません」と証言しました。
タイタスは有罪判決を受けました。彼は無罪を主張し、家族は陪審員に叫び、婚約者は泣き崩れました。
タイタスは刑務所に連れていかれました。
こんなとき、皆さんはどうしますか?
司法に対する信頼を完全になくしたタイタスでしたが、地元の新聞社に電話し、事件の調査をしてくれるジャーナリストを見つけることができました。
その後、このジャーナリストは真犯人を発見。結局、犯人は自供しました。真犯人はこの界隈で50のレイプ事件を起こしていたとわかり、裁判官はタイタスを釈放しました。
ところが、事件はこれだけでは終わりませんでした。
タイタスはとてもつらい目にあいました。職も婚約者も失い、怒りにさいなまれました。貯金も使い果たしています。
彼は、自分の苦痛は警察のせいだであるとし、裁判をおこしました。
私がこの訴訟にかかわったのはこの時点からです。
なぜ、「この人が一番近い」と言っていた被害者が、「絶対にこの人に違いない」と証言するまでになったのか、その原因を調査したのです。
寝てもさめても、この裁判のことを考えていたタイタスは、法廷で証言する数日前の朝、ストレスによる心臓発作で亡くなりました。35歳でした。
間違った記憶はめずらしくない
タイタスの裁判の仕事を依頼されたのは、私が心理学者だからです。
私は長年、記憶の研究をしています。記憶といっても、「忘れること」ではありません。人が覚えていること、それも、起きてもいないことの記憶、事実とは違う記憶の研究です。
間違った記憶(false memories)を調べているのです。
残念ながら、誰かの誤った記憶によって、有罪になった人は、タイタスだけではありません。
アメリカのあるプロジェクトによれば、犯罪を犯していないのに有罪になった人が300人います。
彼らの刑期は10~30年です。DNA判定によって、無実だとわかりました。このうちの4分の3は、目撃者の誤った記憶のせいで有罪になっています。
なぜ、こんなことが起こるのか?
無実の人を有罪だと考えた陪審員たちと同様に、多くの人は、人の記憶は、記録装置のようなものだと思いこんでいるのです。
情報を記憶し、あとで質問に答えるとき、そのまま再生できると思っているのですね。
ですが、長年の心理学の研究から、そうではない、とわかっています。
記憶は再構築される
人の記憶は構築されるものなのです。再構成できます。
記憶はウィキペディアと似ています。いったん書いたあとで自分で書き換えたり、ほかの人が編集できたりします。
私が、構成される記憶について研究を始めたのは1970年代です。犯罪や事件を模したものを人々に見せて、何を記憶しているか質問する実験から始めました。
ある研究では、事故の様子を見せ、あとで車の速度を聞きました。
あるグループには「車がぶつかった(hit ヒット)ときのスピードは?」という質問を、一方のグループには「車がぶつかって粉々になった(smash スマッシュ)ときのスピードは?」という質問をしました。
smashという言葉を使ったグループの人は、よくり車の速度が出ていたと記憶していました。しかも、車がぶつかってガラスが飛び散ったと答える人が何人かいました。
実際には、ガラスは飛び散っていなかったのですが、smashという言葉の影響を受け、誤って記憶してしまったのです。
べつの研究では、車が「停止」の標識のある交差点突っ切る場面を見せました。
その後、あたかも「徐行」の標識があったかのように質問すると、多くの目撃者は、「徐行」の標識があったと記憶していました。
ストレスのある体験についても誤った記憶を埋め込める
「映像を見せただけだから、そんなにストレスフルな状況ではない」と思うかもしれませんね。
もっとストレスのある状況で、同じような記憶違いが起きるでしょうか?
数ヶ月前に発表した研究で、この質問に答えています。
このリサーチでは、人々にとてもストレスのある体験をしてもらいました。
被験者はアメリカ軍の兵士です。捕虜としてつかまったら、どんなことになるかシミュレーションする訓練を受けている人たちです。
この訓練の一部として、兵士たちは、精神的、肉体的にとてもつらい尋問を30分うけます。
その後、彼らを尋問した人間を、指摘してもらいました。違う人間が尋問した人であるように仕向ける情報を与えると、実際に尋問した人とは、まったく違う外見の人を、当人だと指摘する人が多かったのです。
つまり、実際の体験とは違うように思わせる情報を与えれば、人々の記憶は操作され、違ったものになるのです。
実生活では、誤った情報はいくらでもあります。誘導尋問はもちろんのこと、意識的にせよ、無意識にせよ、誤った情報を話す目撃者もいます。
自分は体験していない事件を報道するメディアのせいで、記憶がゆがめられるときもあります。
心理療法により作られる誤った記憶
1990年代、もっと極端な記憶の問題の事例が出てくるようになりました。
ある問題、たとえばうつや摂食障害を治すために、セラピーをうけた患者は、セラピーが終わると別の問題をかかえることがあったのです。
壮絶ないじめや虐待を受けた記憶や、悪魔を崇拝する儀式など、とても奇妙で非現実的な記憶を持ってしまうのです。
ある女性は、セラピーのあと、長年に渡り、性的に虐待を受けていて、妊娠し、おなかを切って赤ん坊を取り出した記憶を持ちました。
しかし、肉体的にはそんな形跡は何もないのです。
このような奇妙な記憶はどこから来るのか、調べてみました。
こうした記憶はある特別な心理療法のせいで起きていました。イマジネーションの練習や、夢判断、催眠術、うその情報にさらす療法などです。
こうした療法を受けると、患者は、ひじょうに奇妙でありえない記憶を持つようです。
誤った記憶を埋め込んだ事例
この心理療法のプロセスを検証し、このような、ひじょうに豊かな嘘の記憶が、どのようにしてできるのか調べました。
初期のある実験では、暗示(suggestion)を使いました。問題になっている心理療法で使う方法から考えついたものです。
ほのめかしをして、嘘の記憶を植え付けたのです。5~6歳のころ、ショッピングモールで迷子になった、という記憶です。
迷子になっておびえ、泣き、結局は高齢者に助けられ、家族と再会した、という記憶です。
およそ4分の1の被験者にこの記憶を植え付けることに成功しました。
これは、格別ストレスのある事件ではないと思う人もいるでしょう。もっと奇妙でストレスのある記憶を植え付けた例もあります。
テネシーで行われ実験では、子供のとき、おぼれそうになり、ライフガードに助けられた嘘の記憶を植え付けました。
カナダの研究では、獰猛(どうもう)な動物に攻撃されたことがある嘘の記憶を、被験者の半分に持たせることができました。イタリアの実験では、子供のとき、悪魔憑きを目撃したという嘘の記憶を植え付けています。
科学という名目で、被験者にトラウマのある体験をさせたと思うかもしれませんが、私たちの研究は、研究倫理委員会の審査を受け、許可されたものであることをいい添えておきます。
被験者が一時的に不快な気分になるとしても、こうした研究は、記憶のプロセスや、世界のあちころで乱用されている記憶について知るうえでより意義がある。
こう委員会は判断したわけです。
嘘の記憶の研究を発表したら嫌がらせをうけた
驚いたことに、私が、ある種の心理療法に疑問を投げかけるリサーチ結果を発表したら、個人的にかなりひどい目にあいました。
嫌がらせを受けたのです。
とくに、自分たちが攻撃されたと感じた抑圧された記憶を扱う心理療法士と、じっさいにこの治療を受けた患者からです。
ボディガードをつけて講演に出向いたことがあります。私をやめさせようとする手紙によるネガティブキャンペーンもありました。
最悪だったのは、ある女性の無実を私が主張したときです。この女性は、成人した娘から、「自分を虐待した」と責められていました。
母親に性的に虐待されたと非難していたこの娘の根拠は「抑圧された記憶」です。この娘は虐待された体験を映像で語り、公開していました。
事実に疑いをもった私は、調査を開始し、母親は無実だという証拠をつかみ、この事件のあらましを出版しました。
するとその娘は、私に対して訴訟を起こしました。出版物にはこの娘の名前は書いていないのに、彼女は私を、名誉毀損とプライバシー侵害で訴えたのです。
この裁判の決着がつくまで、5年かかり、私はたいへんな目にあいました。なんとか、裁判が終わってようやく仕事に戻れました。
この事件のプロセスで、アメリカの不快な風潮に気づきましたね。世間で論争になっていることについて語るだけで、科学者が訴えられる、という事実に。
嘘の記憶がその後の行動に影響を与える
仕事に戻ったあと、こんな疑問を持ちました。
嘘の記憶を誰かに植え付けると、どんな影響があるだろうか? その人のその後の思考や行動に影響があるだろうか?
これを調べるために、最初に行った調査は、子供のとき、ある食べ物–ゆで卵、ピクルス、ストロベリーアイスクリーム–を食べたあと病気になったという嘘の記憶を植え付け、その後の行動をチェックすることでした。
この記憶を持たされた人は、ピクニックで、こうした食べ物をあまり食べたがりませんでした。
嘘の記憶は不快なものである必要はありません。アスパラガスのような健康的な食べ物について、あたたかくて、やわらかい記憶を植え付ければ、もっとアスパラガスを食べるようにできます。
つまり、嘘の記憶を植え付けて、その後の行動に影響を与えることができるわけです。
記憶を植え付け、行動をコントロールすることには、明らかに倫理上の問題があります。
いつ、この技術を使うか? そもそもこんなことをしてもいいのか?
心理療法士は、たとえそれが患者を助けることになるとしても、倫理的には嘘の記憶を植え付けることは許されません。
ですが、親がこの技術を肥満の子供に試そうとするのは別にいいですね。こんなことを言うと、「子供に嘘を言うことを支持するのか」という意見が出るでしょう。
では、サンタクロースは?
こう考えることもできます。どちらがいいのか、という話です。
肥満で糖尿病で長生きできない子供か、ちょっとした嘘の記憶をもつ子供か。
私ならどちらを選ぶかはっきりしています。
記憶はこわれやすいもの
仕事のせいで、私は大勢の人たちと考え方が違うのかもしれません。たいていの人は、自分の記憶をとても大事にしていますから。
多くの人は、記憶は、自分たちのアイデンティティ、つまり、自分が誰で、どこから来たのかということを体現していると思っています。
この点については、私も同じです。ただ、仕事がら、その記憶のなかに、どれほどフィクションがまざっているのかもわかっているのです。
嘘の記憶について長年研究してわかったことは、誰かが、何かについて、とても自信ありげに、詳細に、感情をこめて語ったとしても、それが本当に起こったことだとは限らない、ということです。
人は、本当の記憶と嘘の記憶をしっかり見分けることができません。1つずつ確かめるしかないのです。
このことがわかってから、私は友達や家族が記憶違いをしていても、あまり目くじらをたてなくなりました。皆が、これに気づいていたら、スティーブ・タイタスも救われたと思います。
嘘の記憶によって、未来を根こそぎ奪われてしまった男性を。
記憶は、自由と同じで、とてもはかないものなんだ、ということを覚えておかなければなりません。
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記憶があてにならないことを知る3つのメリット
「記憶は、はかないものだ」「記憶は再構成される」。このことを知っていると、日常生活のいろいろな面で役立ちます。
ここでは、特に、このブログの読者である、物を捨てたい人に関係のありそうなメリットを3つ書きます。
「自分が絶対正しい」という思い込みを捨てられる
人の記憶は時間がたつうちに変わりますが、そもそもスタート地点で間違える可能性も大です。
何かを記憶する、その瞬間に、すでに、その人のバイヤスがかかっているからです。
このことを知っていると、ロフタスさんの言うように、「自分が絶対正しい」という思い込みを捨てやすくなります。
すると、人間関係が良好になりますね。
他人といらぬ争いをしたり、他人を糾弾することも少なくなるでしょう。
思い込みが激しすぎてイライラが止まらない人に、ぜひとも取り入れていただきたい考え方です。
自分や他人の性格に関するネガティブな思い込みを捨てることにも役立つでしょう。
思い出の品にしがみつく必要もない
このプレゼンは、思い出の品をたくさん抱え込んでいる人にも、役立ちます。
自分の記憶の多くの部分を、自分が自分の都合に合わせて再構成しているとしたら、そもそもそんなに思い出の品なんていらないんじゃないですか?
美しい思い出や楽しい思い出がたくさん必要なら、好きなタイミングで、自分で自分に暗示をかけて、作ればいいだけです。
脳の中には、そういう記憶を作る素材はたくさんあるはずです。
イマジネーションのちからがなさすぎて、何も思い出せない人は、家族や兄弟姉妹、子供のときからの友たちなど、共通の体験をしてきた人と話をすればいいですね。
いろいろ懐かしいことを思い出して、楽しいひとときを過ごせるでしょう。
過去を言い訳にして片付けない自分も変えられる
読者の方から、物を捨てられない悩み相談をよく受けますが、「過去にこういうことがあった。だから私は片付けられないのだ。だから私は買物が止まらないのだ」と書かれているメールが時々あります。
ですが、そうした記憶は、自分が勝手に再構成しているとしたらどうでしょう?
「子供のころ、貧乏で◯◯を買ってもらえなかったから、いまたくさん買っている」というメール、本当にもらったことあります。
だから何?
このような人たちは、今の買物グセを、親や子供のころの環境のせいにして、正当化しているだけです。
この人たちが片付けられないのは、人のせいにしているからです。
人のせいにするために、記憶まで自分勝手に作り変えているとしたら?
本当のところはわかりませんが、こうした視点を1つ盛り込むと、何でもかんでも人や環境のせいにして、汚部屋に甘んじる生活から抜けられるかもしれません。