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番組の録画や録音など、あとで見たり聞くためにモノをためることはしないようにしています。
ミニマリストなので、物理的なモノも情報もあまりためたくないのです。
どっちみちテレビは見ないので、録画もしませんが、パソコンやiPhoneにも動画や音声はためません。
録画をしても結局見ないし、録音しても聞かないからです。
私の場合は、録画や録音をやめ、その場で楽しむようにしたら、人生の質があがりました。
これに気づくまで、およそ30年かかりましたよ。
筆子は筋金入りの録音マニアだった
去年、実家に帰ったとき、自分のものはほぼ全て捨てました。
大量のビデオテープがありました。
ビデオテープというのは、テレビ番組を録音するものです。
こんな形をしています。
20代の半ば頃(1980年代半ば)、テレビはほとんど見なくなっていましたが、映画は時々見ていました。
その頃ビデオデッキが登場して、「あとで時間のあるときに見るために」、ビデオテープに番組を録画することができるように。
ビデオデッキの登場に胸が踊りました。
MTVが始まったのもこの頃で、弟とMTVを見ながら、「これをビデオに録画しておけば、見たいときにいつでも見られるね、夢のようだね」、と話したものです。
その頃、NHKで衛星放送が始まり、第1か第2か忘れましたが、洋画をたくさん放映するチャンネルが生まれました。
ビデオデッキとMTVと衛星放送が一緒にやってきたことは、私にとっては盆と正月とクリスマスが一緒に来た以上の、まるで生きながら極楽に行ってしまったようなそんな幸せなできごとでした。
しかし、それまでは、NHKの教育放送で週に1度ぐらい放映される映画をカバーするだけでよかったのに、衛生放送ができたことで、とたんに「見なくてはならない映画」が増えました。
ビデオデッキの時間予約を使い、ときどき失敗しながら、見たい映画をかたっぱしから録画していきました。
そうやって録画した映画を実際に私は見たのか、というと、ほとんど見ませんでした。
恒常的に見る時間がないのに、録画を続けるので、テープばかりがたまっていきました。映画を録画するのは、それを見るためというよりも、「見逃しても大丈夫、あとで見ればいいから」という「安心感」を得るためだったのです。
中身がわからなくならないように、メモ書きを箱に入れておきました。
初めはビデオの側面に中身を書いたラベルを貼っていましたが、そのうち面倒になったのです。
そうやって撮るだけ撮ったビデオテープをすべて置いて、カナダに来ました。そのうちDVDの時代になり、次にHDDレコーダーの時代になり、私のビデオテープは古い遺物と化しました。
それでも、実家にビデオデッキがあったので、昔のテープを捨てずに持っていました。実家に帰るたびに、「これはもう見なくてもいいか」というテープを、少しずつ間引きして、去年、残っていたテープを断捨離しました。
スッキリしました。
何10年ぶりかで、「見なければならない」という呪縛から開放されたのです。
考えてみれば、同じ失敗をカセットテープでもしています。
カセットテープにも好きな曲や番組を録音したのに、ほとんど聞かなかったのです。
カセットテープのこと⇒捨てれば捨てるほど思い出が豊かになるカラクリとは?~カセットテープを断捨離して気づいた真理
このような経験を繰り返したので、今は、音楽や動画を手元にためることはやめました。映画はNetflixを利用してストリーミングで見ますし、音楽はYouTubeです。
自分でプレイリストを作って、iPhoneにためるということもしていません。
☆テレビを見ない話はこちら⇒ミニマルライフを加速する~テレビを断捨離すると手に入るもの
録画や録音をしないことで得られる3つのメリット
技術が進んで、今は望めば外付けハードディスクに、2番組、3番組、全番組すら録画できます。しかし、そうやってテレビ番組の録画をためると、かえってしんどいことになります。
録画をやめたらこんなメリットがありました。
1.ためたものを管理しなくていい
デジタル時代の今、録画や録音をすることはどんどん情報をためることにほかなりません。Evernoteなどに「あとで読むもの」をスクラップするのも同じです。
わざわざ「きょうの情報」をためなくても、明日になればまた新しい情報が押し寄せてきます。
情報をためておくと、たくさんある情報を整理したり取捨選択する時間と手間が必要になります。
明日流れてくる情報を取捨選択するのもしんどいのに、古い情報の管理までするのは大変です。
録画や録音をしなければ、そういう管理をしなくてすみます。
2.消費しなければならないというストレスからの開放
番組をためたら、「見なければ」と思い、録音すれば、「聞かなければ」と自分自身をせっつくことになります。
最初からためなければこういうストレスから開放されます。
3.1つ1つの情報を大事にできる
好きな番組1つだけ、楽しんで見るのはわるくないと思います。その番組はあなたに喜びをもたらしてくれるでしょう。
しかし、見たい番組がたくさんありすぎて、1つを選ぶことができず、ハードディスクに268時間分ためていたとしたら、1つ1つの番組の価値はさがってしまいます。
モノをたくさん持っていると、1つ1つを大事にしないのと同じです。
私は、映画が見たければ、その時間があるときに腰を落ち着けて見ることにしています。ためたものを消費するのではなく、「映画を鑑賞する」という行為をするのです。
時間貯金しても時間の量は変わらない
昔、「ドラえもん」のエピソードに「時間貯金」というのがありました。
何もやっていなくて退屈な時間(お母さんが帰ってくるの待っている時間など)を貯金しておいて、あとで、時間がほしいときにおろすことができる貯金箱の話です。
この貯金箱は時計のような形をしており、貯金をするときは、赤いボタンを押しながら「30分貯金する」と言います。すると時間は30分進みます。
時間を下ろすときは、「30分おろす」と言いながら青いボタンを押します。すると時間は30分もどります。
今の30分を、あとで使う30分にするのだから、時間の総量は変わっていません。
まんがでは、夜、寝る直前になって、宿題があったことに気づいたのび太が、宿題をやるために、貯金していた時間をすべておろします。
すると夕方の早い時間に戻り、仕事から帰ってきていたパパはあわててまた会社に戻るというオチです。
テレビ番組を録画するのも、これと似ています。
きょう、それを見る1時間がないので、明日以降のいつかの1時間に繰り越すわけです。
しかし時間の総量は変わらないので、きょう見られなかったなら、ふつうにしていたら、明日以降も見ることはできず、どこかで時間を作らなければなりません。
何もせず「いつか時間ができるかも」と思っていても、できません。ただでさえ毎日忙しいのですから。
番組などの「情報」はかさばらない分、物理的なモノよりためてしまうときつくなるのではないでしょうか?
いとも簡単にどんどん増えていってしまいます。
情報の海の中にいる私たちは、今という時間を生きるためにも、安易な時間貯金をやめるべきなのです。