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迷信を気にしすぎないコツを4つ紹介します。
「物をむやみに捨てると何かよくないことが起きる」という合理的な根拠がないことを言い訳にして、不用品を捨てない人は、わりといます。
過去にそういうお便りをいただいたこともあります。
もしあなたがその1人なら、以下のことを心がけて、できるだけ今の自分のためになる選択をしてください。
1.迷信の出どころをとことん調べる
捨てない言い訳に使っているその迷信が、どこから来たのか、ネットで検索したり、図書館で本を読んだりして調べてください。
きのう、「植物は生きているから、捨てるのはよくないんじゃないか」という質問に回答しました。
観葉植物や植木を断捨離してもいいの? だとしたら、捨て方を教えて。
その後、ご本人の、はるももさんからいただいたメールに、こんなことが書かれていました。
ブログ、読みました。植木を捨てると不幸がおきるとか(庭の松の木は切っては いけないとか、迷信ですよね。) 踏ん切りがつきました。
踏ん切りがついたのかついていないのか、よくわからない文章です。
もし、本当に、「庭の松の木を切ってはいけない説」にこだわっているのなら、その説(私は初めて聞きましたが)について調べてください。
と言うか、はるももさんが捨てたいのは、庭にある松の木じゃなくて、家の中にある観葉植物ですよね?
しかし、捨てることに恐怖を感じている人は、「え? なんでそんなふうに論理が展開するのか?」と思うような言い訳をふつうにします。
私の母もそうです。まあ、それが人間というものなのでしょう。
迷信や俗信には、合理的な説明がつくものもあります。
たとえば、「月にかさがかかると雨が降る」とか。
これは、
温暖前線や低気圧が近づくと上空に暖かい空気が入り、絹(巻)層雲(けんそううん。氷の粒でできた雲)ができて、そこに月の光が反射する状態を表現しているもの
だそうです。
引用元⇒雲がない状態のとき月の周りにボゥと円がでていました。どういう現象で、どういう時に起こるものなのかおしえてください。 | 月探査情報ステーション
はるももさんも、松の木を切ることが、なぜいけないのか? そもそも、その「いけない」とはいったいどういう状態をさすのか? 迷信にこだわりたいなら、もっと調べて、突っ込んで考えてください。
すると、多くの迷信は、「何の根拠もない。それは、人の恐怖が生み出したものにすぎない」ということがわかると思います。
2.客観的に考えるクセをつける
きのう発売しましたムック本「8割捨てればお金が貯まる」の、20~21ページに、「ものを減らす助けになる3つのマインドセット」があります。
ここを立ち読みなどしていただき、2番の「現実的な思考」をする機会を増やしてください。
何か意思決定をするときに、直感だけで決めるのではなく、直感が自分に「こうしろ!」と言っていることに対して、「本当にそれが適切な決断だろうか?」と振り返ってほしいのです。
人は、物を捨てるのが嫌いですし、無料でもらった物でも、全然使っていない物でも、「捨ててしまうのはもったいない」と思っています。
だから、断捨離中の直感的な判断は、「捨てちゃだめ! だって、あーでこーでそーで、こうなんだから!」になると思います。
人形を捨てるとたたりがある、写真を捨てると運気が下がる、などなど、「あなた、いったいいつの時代の人ですか?」と聞きたいような言い訳が頭に思い浮かぶでしょう。
なぜ、こうなるかというと、脳は、直感的な(自動的な)判断をする部分(システム1)と、客観的・論理的な判断をする部分(システム2)の2層構造になっているからです。
この点についてしっかり知りたい方は、以下の本を読んでください。
この本は、400ページ以上あるので、翻訳版は2冊に分かれていますが、原文ならば1冊で読めます。
「こんな長いの読みたくない」、というときは、似たようなことが書いてある本はほかにもあるし、サマリーや著者へのインタビューもありますので、そういうのに目を通してもういいでしょう。
話題は違いますが、カーネマンのTEDトークも紹介しています⇒実際の体験とその体験の記憶の幸福度は違う:ダニエル・カーネマン(TED)
衝動買いもそうですが、直感による判断が、いつも自分のためになるわけではありません。世間には、「直感が一番だ」という根強い考えがありますが、迷信に引っ張られる人は、あまり直感を信じないほうがいいと思います。
「私は、いつも直感を大事にしているの。純粋に生きていきたいから」と言う人も、3回に1回ぐらいは、直感による判断を振り返る機会を作ってください。
せっかく、論理的・客観的な思考ができる部分を持っているのですから、たまには使ってみるのも悪くはないでしょう。
この記事もおすすめ⇒論理的かつ批判的に考える7つの方法。ロジカルシンキングはライフスキル。
3.自信をつける
迷信やスピリチャルに頼ることが多い人は、たいてい自分に自信がありません。
何度も、はるももさんを例に出して恐縮ですが、植物を捨てていいのかどうかを私に聞きたいのは、自分に自信がないからです。
「捨てたければ捨てればいいし、持っていたければ持っていればいい。私は私の好きなようにすればいいのよ。だって、私のプラントなんだから、なんか文句ある?!」という気概があまり感じられませんよね?
自信があれば、植物を捨てたあとの結果をいちいち心配することなく、不用な物はさっさと捨てると思います。
プラントを捨てたあとに、何か悪いことやまずいことが本当に起きたとしても、その時はその時で私はなんとかできる、という気持ちを持ってください。
それが自信です。
実際、誰でもなんとかできます。
誰かが病気になったり、怪我をしたりしたら治療すればいいだけです。
お金を損してしまったら、また働いて稼げばいいだけです。
ほかに、不用な観葉植物を捨てて起きる「悪いこと」ってどんなことがあるでしょうか?
部屋が殺風景になりすぎるとかでしょうか? それとも、人に何か言われることでしょうか?
「あら、あのプラント、とっても素敵だったのに。捨てちゃったの? ばかね~、もったいないじゃない。あなた、大損したわよ」とか。
誰に何を言われても、自分の状況は何も変わらないので、こんなのは、悪いことのうちに入りません。
とにかく、仮に何か本当にまずいことが起きたとしても、私はなんとかできる、と思ってください。
そうすれば、迷信にすがらなくてすみます。
自信の付け方⇒セルフエスティームを高めて自信を取り戻す10の方法
4.現実をそのまま受け入れる
「人間にはコントロールできないことがある」という事実を受け入れてしまえば、迷信に頼らなくてもよくなります。
私たちは、どんな現象についても理由を知りたいと思います。
ある芸能人が自殺した理由や、ある人がその犯罪(幼児虐待など)をした理由を知りたくて、えんえんと検索してあれこれ読むことはありませんか?
理由なんて、本人にしかわからないし(本人にもわかっていないこともある)、理由がおおやけにされていたとしても、自分が納得できる形では提示されていないから、どれだけ検索していろいろなサイトを見ても、同じようなことが書いてあるだけで、結局はよくわからないと思います。
それでも、何らかの理由を知りたい。因果関係を知りたい。
そういう人は多いでしょう。
理由なく、何かが起きるのはいやなのです。
理由がわかれば、多少なりとも、「私にもコントロールできる」という気持ちになれるからです。
私たちは、なすすべもなく放り出されるのが怖いので、因果関係を見つけて、対処法を知りたいのです。
迷信を信じるのも、いろいろなできごとに因果関係を見つけたいという気持ちが強いからだと思います。
しかし、生きていれば、特に意味も理由もなく起きること(不条理なこと)はたくさんあります。
人生は運が大きく左右しますが⇒人生において運が果たす役割とは?:バリー・シュワルツ(TED)
誰かが運がよくて、誰かが運が悪いことに理由なんてありません。
たまたまそうなるだけです。
「私もがんばれば運がよくなる」と思いたいでしょうが、実際は、関係ありません。
そう思っておいたほうが、自分の成長につながるから、私もふだんはそう思っています。
しかし、現実は違います。
迷信を信じる人は、「運気をあげたい」と思っているでしょうが、運気は、あげたいと思ったところで、あがるものでもないのです。
この事実を受けいれて、自分がコントロールできることに注力すると、スピリチャルなことにそこまで頼らなくなるでしょう。
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迷信を信じるのは悪いことばかりではありません。
恐怖を和らげてくれるし、ジンクスを信じることで、パフォーマンスがあがることもあります。
4つ葉のクローバーや、湯呑茶碗の中で立っている茶柱を見つけて、「わあ、きょうはいいこと起こりそう」と気分が盛り上がることもあります。
私も、日本でお茶を飲んでいたときは、いつも茶柱の様子を観察していました。
このように自分のためになる迷信の使い方をするのはいいと思います。
しかし、迷信を信じすぎて、前に進めないことが多いなら、迷信との付き合い方を見直すべきです。