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「これは私の一部だから」といってものを手放さない人がたくさんいますが、あなたの部屋にある物が、本当にあなた自身を表していると思いますか?
自己のアイデンティティを保つために、ものをたくさん持っているなら、一度、そのアイデンティティを疑ってみてください。
ものを使って自分自身を表すとは?
思い出品やコレクションなど、自分にかかわるものを大量に持っている場合、ものを使って自分自身を表していることが多いです。
先日、思い出品を捨てられない方のお便りを紹介しました。
物を捨てたいのに捨てられない。そんなときは心の整理から始めよう。
この方は思い出の品だけでなく、コレクションもたくさん持っています。
ご本人にとっては、恐らく、すべてが「宝物」という位置づけだと思います。
これらの品物を宝物と感じるのは、それを家族や友人に見せると、自分がどんな人間か理解してもらえるからです。
たとえば、宝塚歌劇団のグッズをたくさん持っている人は、芸術や音楽を愛する自分、宝塚のプロフェッショナリズムを評価している自分、美しいものが好きで、美的センスのある自分、こんなアイデンティティを持っているのではないでしょうか?
そういう品物がたまりすぎて、暮らしにくくなっても、捨てたいとは思いません。
捨てると、自分のアイデンティティの拠り所がなくなってしまうからです。
宝塚歌劇団のグッズを集めてしまう心理はこちらの記事で詳しく書きました⇒ものに感情移入しすぎる5つの理由~ものと少し距離を取るすすめ。
たとえば、こんなもの、ありませんか?
アイデンティティを保つために持っているものの例を5つ紹介します。
書籍
本をたくさん持っていたり、作家のサイン入りの初版本を集めたりするのは、文学を愛好する自分、知的好奇心が旺盛な私、勉強好きな私、インテリな私というアイデンティティを表しているかもしれません。
旅行の記念品・お土産
訪れた場所の大量の写真、ポストカード、おみやげのマグネット、ステッカーなどを捨てないのは、旅行好きな自分、国境を越えてグローバルに活躍する自分、自由な私といったアイデンティティの表れなのでは?
おしゃれな服
特定のブランドやデザイナーの服やバッグ、靴、アクセサリーをたくさん集めることで、ファッションセンスのよさや、ファッションに情熱を持っていること、スタイルにこだわる自分を表現。
音楽に関連のあるもの
楽器、レコード、CD、ライブのDVD、バンドのTシャツなどを集めて、音楽愛好家であること、音楽に造詣が深いこと、ただただ音楽が好きな自分を示します。
ビンテージの食器
ビンテージの食器を集めている人は、食器を使って、美的センスやスタイル、過去の時代や伝統に対する敬意を表していると言えないでしょうか。
そのアイデンティティは本物か?
ものを使って自分自身を表すことは、ごく普通のことで、悪いことではありません。
しかし、たくさんものを持つ理由が、本当のアイデンティティの一部であるときもありますが、そう信じているだけで、実際は、自分とは何の関係のないものを集めてしまうこともあります。
嘘の自分を信じているからです。
「私はこういう人」と思っているその信念が偽りの信念になってしまう5つのケースを紹介します。
外的な影響
流行や社会の影響を受けて、実際の自分の価値観や興味とかけ離れているものを、「宝物」だと思って集め続け、ずっと捨てないことがあります。
ソーシャルメディアのインフルエンサーを見て欲しくなってしまったものや、いつも広告にふれているせいで、「持っているべきだ」と感じて、たくさん持っているものは、あなたのアイデンティティとは何の関係もないかもしれません。
自己認識が希薄
私達は自分のことをあまり理解していないことがあります。
現代人は、毎日忙しく、たくさんの情報に囲まれています。特に、ものをいっぱい持っている人は、買い物することに忙しいので、自分に向き合う時間が残らないかもしれません。
自分の内面をじっくり見つめようとしないから、間違ったアイデンティを信じて、何年も過ごしてしまいます。
そもそも、自分を客観的に見るのは難しいことです。読者の「捨てることができません」というお便りを読んで、「なんで、あんなガラクタを捨てないんだろう」と思う人は多いでしょう。
そのように、他人のガラクタはすぐにわかるのに、自分が不用品を持っていることにはあまり考えが及びません。
なんとなく、みんな大事なものに思えてしまいますよね?
小さいときからの思考の癖
子供のころから、親や先生の期待に応えてきた人は、しばしば「本当の自分」を見失っています。
実際、自分の意見より他人の意見を重要視する人はたくさんいます。
人間は社会的動物なので、他人の視線や意見を参考にしつつ、自分の行動を調整していますが、その度合いが高いと、自分がどうしたいかより、他人がどう言うかを気にします。
その場合、本当の自分が求めていないのに、ほかの人が、「持っているべきものだ」というものを買い集めてしまいます。
理想と現実のギャップ
なりたい自分になるために、買い集めたものの、結局、使い切れず、家の中でほこりをかぶっているだけのものを私は野望ガラクタと読んでいます。
野望ガラクタを捨てることは夢や目標をあきらめることじゃない。逆に夢を叶えることつながる。
本当の自分と理想の自分にギャップがありすぎると、野望ガラクタに類するコレクションをたくさん持ってしまうでしょう。
アイデンティティが変化した
人のアイデンティティは生涯を通じて一定ではないと私は考えています。
年齢、人生のステージ、生活環境によって変わるのではないでしょうか?
たとえば、昔の私は、甘いものが好きな人という自己イメージを持っていました。
私が、「甘党式部」というハンドルネームを使っていたことは、すでにブログに書いています。
人は、ハンドルネームやニックネームを決めるとき、しばしばセルフイメージを投影させます。
猫が好きな人は、〇〇ねこ、ウサギがすきな人は、なんとかウサギ。〇〇のママ、という名前をつけるのは、子供が大事か、子供あっての自分、母親としての自分をアイデンティティにしているからだと思います。
でも、そういうセルフイメージは変わりますよね?
私は、今、「かつて甘いものが好きだったけど、甘いものを食べるのやめた人」というアイデンティティを持っています。
今日のまとめ~自分の信念を疑ってみる
人は自分を表すものとして、たくさんの物を持ってしまいますが、「ここにあるものは私の一部を表している」と信じていたとしても、それが本当の自分を表現しているとは限りません。
「これを捨てると私がなくなる」と思ったら、「でも、これって本当の私を表しているの?」と考えてみてはどうでしょうか?
「また筆子が小難しいことを書いている」と思うなら、そもそも、なぜ、そういうものを集め始めたのか、なぜ、これまで決して捨てなかったのか、その理由を考えてみてください。
そうすれば、ほんの数分前まで宝物に見えていたものが、ガラクタに見え始め、遠からずあっさり手放せるかもしれません。
関連記事も読んでください⇒これは私自身だから。そう考えて断捨離できないなら、べつの何かにアイデンティティを見出そう。
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アイデンティティの一部としてものをたくさん持っている話を紹介しました。
「私は汚部屋の住人」「マキシマリスト」「ミニマリスト」というのも、アイデンティティの一種です。
人は言葉を使って思考するので、自分にどういうレッテルを貼るかは、想像以上に重要です。
セルフイメージを変えれば、今は汚部屋の住人かもしれないあなたも、明日には、まったくべつの人になることができます。