ページに広告が含まれる場合があります。
よくメールで相談される、断捨離に関する3つの悩みに関して、私の意見を書きます。
その3つとは:
1.からっぽの部屋を目指して捨てているが、はかどらない。もう疲れた。
2.毎日断捨離で出すゴミに罪悪感を感じる
3.断捨離すると運気が上昇するはずなのに、アップしない
1番と2番は私も同じことを考えていた時期があります。3番に関してはありません。そんな期待はしていなかったからです。
まず1番と2番の悩みにまとめてお答えし、その後3番の悩みについて書きますね。
断捨離疲れしたら休めばいい
断捨離してるけど、なんだか疲れてしまって…。ということはよくあります。まあ、無理に捨てる必要はないです。
別に、物が規定値以上ある人は捨てなさい、という法律があるわけでもありません。
疲れているときは、文字通り肉体的に疲れている可能性があります。睡眠不足なのかもしれません。片付けなどの家事はちょっとお休みして、少しのんびりしたほうがいいでしょう。
ただ、ちょっと休憩したら、また捨て始めてほしいと思います。なぜなら、断捨離は自分らしい生き方を見つけるのにとても有効だからです。
断捨離は自分らしく生きる道を探すツール
家族で断捨離をしていたのは私だけでした(今もそうですが)。かなり変な人だと思われています。ですが、私は断捨離をやめませんでした。
断捨離は、自分らしく生きるいい方法だと思ったからです(今も思っています)。
物をバンバン処分していると「捨ててうれしがっている」と見られることがあります。「もっと物を大切にしなさい」と言われることもあるでしょう。
でも違うのです。
自分の理想の生活を目指し、「必要なもの」を選びとっているのです。
まわりに流されるまま、買ったり、もらったりした物を、ろくに使いもせずに、どこかにしまいこんでいることが、物を大切にしている状態ではないですよね?
使ってこそ物の使命が果たされます。
自分も物も大切にする暮し。そういう生活を得るためにはどうしても一度リセットする必要があります。
これまで無自覚にためこんだ物を持ったまま、新しい価値観に基づいた生活を送ることはできません。
新たな生活や人生に踏み出すには、過去にためこんだ物の始末をつけなければならないのです。
断捨離のつらさは成長痛
捨て始めは「いろんなものを捨ててさっぱり」という気分になります。でも、「捨てること」をどんどん進めていくと、必ずしもいつも快適というわけではありません。
「急にばんばん物を捨て始めちゃって。気でも違ったの?」と周囲の人に言われて、しょげることがあるでしょう。
不用品がぎっしりの押入れを見て、うんざりすることもあるでしょう。
いらないものをどんどん持ち込む家族を恨むこともあるでしょう。
「捨てたいけど、捨てられない、どうしよう」と悶々と頭をかかえることもあるでしょう。
断捨離中に、「買わなければよかった」「お金をムダにした」「なぜ私っていつもこうなの」と自分を責めることもあるでしょう。
断捨離を始めなければ、こんな目にあわなかったかもしれません。ですが、こういう気持ちを味わうことは、「好転反応」とか「成長痛」に似たものではないでしょうか?
何をするにも犠牲はつきものです。より良くなるためには痛みが必要なのです。
“No pain, no gain”(ノー ペイン ノー ゲイン) という英語のことわざをご存知ですか? 痛みがなければ、何も手に入らない。苦は楽の種、という意味です。
断捨離中に感じる心の痛みも、このペインと同じなのです。
「今自分が持っているものや、執着しているものは、本当に必要なのか」と考えることは、すなわち自分の暮しや、自分のやりたいことについて考えることです。
だから、カレン・キングストンも『ガラクタ捨てれば自分が見える』と言っているのでしょう。
もちろん断捨離中だって、判断を間違えることもあります。ですが自分で考えるというプロセスに価値があるのです。
カレン・キングストンについて⇒『ガラクタ捨てれば自分が見える』で衝撃のスペースクリアリングに出会う~ミニマリストへの道(20)
家の中の「ガラクタ」を外に出せばまた「有用な物」になる
死蔵品をためこむ愚かさに気づいて、いったん物をリセットすれば、今度からは不用意にいらないものをもらったり買うことが少なくなります。
物を捨てるのって本当に大変です。次回からは買うときに絶対ブレーキがかかります。少なくとも私は断捨離をある程度終えてからはすっかり買わない暮らしになりました。以前より物を大切に使うようにもなりました。
これから物を買うことがあっても、本当に好きなものや、自分の暮しをよくしてくれるものを厳選して家に入れようと思っています。
断捨離をすると確かにゴミが増えますが、断捨離しなければそれは家の中でゴミになっているだけの話。何ごとにも使うタイミングがあります。タイミングを逃したものはもう使われることはないのです。
自分でその不用品を捨てず、そのまま取っておいたとしても、自分がこの世からいなくなったら、誰か別の人が捨てることになります。
それに、使われないまま押入れに入っている物は、ずっとガラクタのまま。誰の役にもたちません。ところが、いったん外に出せば、それを活用する誰かの手に渡る可能性が生まれます。死蔵品から「有用な物」に生まれ変わることができるのです。
こちらでも断捨離の悩みに回答しています⇒断捨離しているのにイライラします~断捨離に好転反応はあるか?
断捨離しても運気が上昇しない?
運気上昇などを期待して断捨離をしなければ、こんな悩みは生じません。そもそも断捨離をすると本当に運気があがるのでしょうか?私はそんな因果関係はないと思います。
運気とは人の持っている幸運、不運の巡り合わせです。しかし、同じことが起こっても、幸運だと思う人もいれば、不運だと思う人もいます。
またその時不運だと思っても、あとになって「あれは運がよかった」と考え直すこともあります。運気とはこのように、考え方次第でどうとでもなるものです。
それに、運気が上昇したか下降したかなんて、そんなに簡単にわかるわけでもありません。人の暮らしにはいいことも悪いことも起こるのですから。
その意味では、運気はいつもアップしたりダウンしたりしています。部屋を片付けようが、ガラクタを放置しようがこのアップダウンは変わらないのではないでしょうか?風水師や占い師はまた別の考え方をするでしょうが。
運気の上昇を期待している人は、具体的に何が起こることを期待しているのでしょうか?それも人によって違いますよね?
それに、運気が上昇するらしいから断捨離をしよう、というのもおかしな話です。断捨離は運気をあげるためにするものではなく、部屋の中のガラクタを捨てて、暮らしやすくするためにするものなのです。
いらない物を捨てれば、必ず生活は快適になるので、いい方向に向かいます。だからといっていきなり宝くじにあたったりはしません。ですが物を捨てると前向きな気分になるので、同じことが起きてもよりポジティブに受け取ることができるようにはなります。
そして何よりも、いろいろなことを人のせいにすることが少なくなります。自分軸が定まってくるからです。運は自分で切り開くものといいますが、他力本願な生き方をやめたその時から、毎日にうれしい変化が訪れるのではないでしょうか?。