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長年着ていないのに、その服を捨てられない。
なぜか?
その理由を考察し、捨てるコツを考えるシリーズ。
今回は、
理由9:思い出深い服だから
です。
思い出の服って、どんな服?
思い出の服の例を2つあげます。
Mさんのコート
きのう、お便りを紹介したMさんが捨てたコートは、思い出の服です。
コートを捨てたあと、ひどく後悔しましたMさんのお便り⇒古いコートを捨てたことを、すごく後悔しています。気持ちの整理がつきません←質問の回答。
この方は、50代後半です。仮に58歳としましょう。
コートは30年前に買い、ここ20年、着ていませんでした。
28歳のとき、ブティックで買って、最初の10年、つまり38歳あたりまでは着ていたものの、40歳ぐらいになったら、着ることがなくなり、その後、20年間、クローゼットにぶらさげっぱなしでした。
1つはレザーコート、もう1つはブランドもののコートです。
Mさんは、私とほぼ同世代なので、買ったときは、それなりの値段がしたでしょう。
昔は、今みたいに、服が安くなかったですから。
コートを手放したあと、Mさんは、「クローゼットにあってほしかった」と強く、感じました。
「高価だったし、着ようと思えば着れた」とメールにありましたが、これは、あとになって、そのコートの価値をあげているだけで、実際は、持っていても今後着ることはありません。
過去20年、着ていなかったし、ほかにもコートはありますから。
Mさんにとってこのコートは、実用面での価値はありませんでした。価値を認めていたなら、着ているはずです。
金銭的な価値もありません。
「高かった」と思うものの、売る気はさらさらなく、ただ、クローゼットにつりさげていただけですから。
実用的でもない、金銭的な価値もない、そんな服に執着しているのは、それが思い出の品だからです。
つまり、心理的な価値があったのです。
なくしてみて初めて、心理的価値に気づいたのでしょう。
布美枝さんの着物
『ゲゲゲの女房』というドラマで、主人公(布美枝さん)が結婚するとき、母親が、青海波(せいがいは)の柄の着物を嫁入り道具して持たせます。
この話、以前もどこかのブログに書いているので、「またか」と思う人、すみません。
青海波は、波の柄で、穏やかな暮らしがいつまでも続くように、という願いがこめられた模様です。
しかも、この着物、お母さんが夜なべして縫っていますから、主人公はとても大事にしていました。
しかし、水木しげると結婚後、貧乏になりすぎたときに、質に出します。物語が進んでから、水木しげるが成功するので、そのときは、無事、質から出して、主人公は、最後のパーティかなんかで着ていました。
ほかにも、思い出のある衣料品はたくさんあります。
大学のときサークルで作ったトレーナー、恋人がプレゼントしてくれたワンピース、スポーツ大会で優勝したとき着ていたTシャツ、子供が小さいときに着ていた服など。
プロの片付けコーチの中には、「こういう大事な思い出のあるものは、絶対捨ててはいけません」という人もいますが、私はそうは思いません。
思い出の品もたくさんありすぎると、大事な今の生活の質をさげます。
布美枝さんが、着物を質に入れたのは正解です。そうしないと餓死します。死んでしまったら、美しい思い出もへちまもありません。
お母さんだって、「着物が残るより、布美枝に生きていてほしかった」と思うはずです。
物と自分の一体化
実用的、金銭的な価値のない思い出の品は、ある意味、もっともガラクタ度が高いので、もっも捨てやすい、と言えそうですが、実際は、一番、捨てにくいものだと思います。
なぜなら、多くの人は、自分という人間を、自分が所有している物で定義しているからです。
自分が所有している物イコール自分自身です。
だから、持っている物を捨てると、自分の人生が消えてしまう、と感じます。
実際、そういうメールをもらったことがあります⇒昔の物を捨てると自分の人生が消えてしまいそうで捨てられない←質問の回答。
物は自分自身であり、自分の人間としての価値を高めてくれるものです。
お母さんからもらった着物を大事にするのは、親孝行な自分。
昔、手に入れたトロフィー、賞状、卒業証書、卒業アルバムをいつまでも大事に持っている私は、学歴が高く、成功した人間。
アラビアの果物の柄のお皿で、毎日、ティータイムを楽しむ私は、上質な生活を満喫するセンスのいい女性。
郊外の大きな家に住んでいる私は、勝ち組の人。
本をたくさんもっている私は、物知りで知性のあるインテリ。
このように、自分の持っている物が、自分の自尊心、またはセルフエスティームを高めてくれるわけです。
よって、物をなくすと、こころの支えを失います。
特に洋服は、身につけるものだから、より自分と一体化してしまいやすいでしょう。
物で自信を獲得するのは、一概に悪いことではないし、誰でも、持っているものになんらかの形で自分を投影します。
しかし、あまりに、物と自分を一体化させると、思い出の品だらけになります。
すると、せっかく物で高めたセルフイメージが、今度は、「片付けもろくにできない自分」というネガティブなイメージで苦しめられます。
何事もバランスが必要です。
物がなくても自分は自分
資本主義の世の中では、どうしても、持っているお金や所有品で、自分の価値を決めがちです。
しかし、その人がどんな人であるのかを示すのは、所有物ではなく、その人の行動です。
災害にあって、たくさんの物を失ったとしても、自分は変わりませんよね?
火事で家が焼けたら、いきなり自分は何の価値もない人間になった、なんてことは起こりません。
物で、自分の価値を高めよう、自己実現しよう、と思いすぎず、ほかのことで、自分を支えていくといいと思います。
そうすれば、思い出の品を持ちすぎずにすみます。
「物がなくても、自分は大丈夫」と思うために一番手っ取り早い方法は、いまの自分をそっくりそのまま受け入れることです。
過大評価も、過小評価もしません。
基本的に自分は大丈夫なんだ、と思えば、もう物はそんなに必要ありません。
全然着ていない服や古い服にすごく執着している人は、自分がどんなことから、自信を得ているか、何をベースに、セルフイメージを作っているか、一度、考えてみるといいでしょう。
そして、物以外の何かで、自分を定義する方向に向かってください。
セルフエスティームをあげる方法は、過去記事にもたくさん書いています。3つだけリンクしておきますね。
もっと自分を好きになろう。ラディカル・セルフ・ラブのすすめ(TED)。
オレンジ対バナナ:人と比べることで生じるダメージとその修復(TED)
☆この続きはこちら⇒ウエスにするからしまっておく:着ない服を捨てない理由とそれを乗り越える方法(その9)
服を捨てられない理由・過去記事もどうぞ
着ていない服を捨てたい。でも、捨てるのはむずかしい。そんなときはこう考えてみる(その1)
理由1:捨てるメリットを感じていない
理由2:捨てるのが面倒だ
捨てるなんてもったいない、持っていればそのうち何かに使える~服を捨てたいけど捨てられない理由とその対処法(その2)
理由3:捨てるのはもったいない
心が痛むから捨てられない~服を捨てない理由とその対策(その3)
理由4:心が痛むから
これを着るべきだ、という義務感が服を増やす:服を捨てない理由とその対策(その4)
理由5:「私はこれを着るべきだ」「この服を持っているべきだ」という義務感
いただいた服を捨てるのは相手に悪くて:服を捨てない理由とその対策(その5)
理由6:人からもらった服だから
しまい場所があるからべつに捨てなくてもいいよね:服を捨てない理由とその対策(その6)。
理由7:しまい場所があるから
捨てるべき服がわからない:着ない服を捨てない理由とその対策(その7)
理由8:どの服を捨てたらいいのかわからない
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自分の自信のよりどころは人によって違います。
私は美人だ、姿かたちが美しい、という自覚がセルフイメージを高めている人もいるし、生まれた場所や家柄、年収、他人の承認、有名人をいっぱい知っている、インスタグラムでフォロワーがいっぱいいる、なんてのが、(自分が感じる)自分の人間としての価値を底上げすることもあります。
「おしゃれでセンスのいい自分」とか、「いつまでも若々しい私」というセルフイメージを確保するために、着ない服を大量に持っていることもあるでしょう。
子供のときに、親からしっかり愛された人は、おおむね健全というか、そんなに物に頼らなくても、生きていけると思います。
そうでなかった人も、自分で自分を成長させることができるので、自己肯定感が、どこから来ているのか、考えてみるといいでしょう。