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いまはあまり物を持たない私が、昔、無駄に集めていた物について書いています。
今回はオーデコロンの巻です。
世界のオーデコロンの会
若い頃、ハイセンス(いまのフェリシモ)で、世界のオーデコロンの会に入って、何本かオーデコロンを買い集めました。
頒布会なので毎月1本ずつ届きます。値段は1500円だったと思いますが、確かではありません。
二十歳前後の頃の話です。
フェリシモの話は、たくさん書いていますが、一つだけリンクしておきます⇒通販で買い過ぎて貧乏になる人:ミニマリストへの道、番外編3
オーデコロンを買ってはいたものの、私は自分の体に香水をふりかけるのは好きではありませんでした。
単にオーデコロンの瓶がきれいでかわいいな、と思ったのと、たまにシュッとふりかけると、ふんわりいい匂いがするのが好きだったのだと思います。
毎月、新しいオーデコロンが届くのは自分へのプレゼントみたいでうれしいものでした(少なくとも最初の頃は)。
「プレゼント」と言っても、代金はしっかり自分で払っています。よくよく考えれば、使いもしない物を、なんとなく買い続けるというもったいない行為をしていました。
しかし、経済観念がなかったので、「お金を無駄にしている意識」はたいしてありませんでした。
いい匂いに対するあこがれ
思えば、私は、子供の頃から、いい匂いに対するあこがれがありました。
それが後にオーデコロン集めや、口紅のサンプル集め(エイボンで買ったミニチュア口紅みたいなサンプルのこと)、お香集めに発展したと思います。
まず、お風呂で使う石けんの匂いにひかれ、次に、母の使う化粧品の匂いにひかれました。
小さい頃は、紙石けんが流行っていて、たまたま自分の手元に回ってきた紙せっけんを、使わずに大事にしまっていたこともあります。
いま思うと、すべて合成香料の匂いだったはずです。そういう匂いに引き寄せられ、使わないオーデコロンや化粧品を買い、そのままためこんで、何年もあとになって捨てる結果になったのです。
シンプルライフに切り替えたあとは、こういう「いい匂い」に対する幻想は完全に消えました。
合成香料に関する話⇒私が香水やオーデコロンを使うのをやめた理由。その香料は本当に安全か?
もっと早く、幻想だと気づくべきでした。
届いたらとりあえず匂いを確認
フェリシモで買った商品の中には、買っただけで満足し、届いたら、ビニール袋に入れたまま、引き出しの中に入れて、忘れ去られてしまうものもありました。オーデコロンに関しては、一応開封して、匂いを確認していました。
少なくとも最初のうちは。
届いたコロンの中には、「夜間飛行」、「リヴゴーシュ」など、名の知れた香水のオーデコロンやオードトワレもありました。
私は香りや香水に興味があったので、有名どころの香水の名前はわりと知っていました。調香師になろうと思っていたぐらいですから⇒お香の収集癖を断捨離するまで~ミニマリストへの道(36)
「なるほど、これはこういう匂いなのね」。名前だけ知っている香りを実際に確認し、悦に入ってました。
しかし、どちらかというと、見たことも聞いたこともないオーデコロンが多く、「これ、本当に世界的に有名なの? いったいどこのどういうメーカーのオーデコロンなんだろ」と、その正体が気になるように。
近所の本屋で、香水を扱ったポケット図鑑を買ってきて調べてみました。
大半は、このポケット図鑑にも載っていませんでした。いま思うとヨーロッパの製品より、アメリカのオーデコロンが多かった気がします。
有名ブランドのコロンだからといって、私の好みに合うわけではなく、10本ぐらい集めたコロンの中で、自分でも使ってもいいな、と思えたのは、1本だけでした。四角いびんに入った、シトラス系のコロンで、メンズコロンに近い香りがしました。
たまにこのコロンを使っていましたが、ほかは、全く使いませんでした。
さすがに、こんなに集めても仕方ない、と気付き、オーデコロンの会は退会し、べつの会に入りました。
香水の身元調べにもあきた私は、すべてを引き出しの中に入れ、数年、放置しました。
捨てるときに多大な苦労をする
数年後、私の第一次断捨離が始まり、ためこんだオーデコロンと対峙する時が来ました。
第一次断捨離について⇒断捨離を始めた5つのきっかけ~なぜ私はミニマリストになったのか?(2)
1980年代の半ばのことで、当時は、今ほどゴミの分別はきびしくありませんでした。それでも、そのまま、ゴミ箱にぽいっと捨てるのはまずいと感じました。
はじめは、使い切れないか考えてみましたが、もともと香水を使わないのだから、無理やり使うのは、つらい修行になってしまいます。
以前、香水を使い切る方法を書いたことがありますが⇒いらなくなった香水やオーデコロンを使い切る15の方法、
その香りが嫌いだと、いずれの方法も使えません。
集めたオーデコロンの香りは、嫌い、というか、私には強烈すぎたので、半分ぐらいは捨てました。残り半分は母が「トイレの芳香剤にする」と言って持っていきました。
フタをあけて(瓶を分解し)、中身を紙に吸わせ、瓶とともにゴミ箱に捨てました。
どれも小瓶だったので、液体の量はたいしてありませんでしたが、瓶の口をこじあけるのが大変でした。なかには、どうしてもこじ開けられないものもありました。
今なら、インターネットがあるので、YouTubeあたりで、分解方法を知ることができます。しかし、昔はそんなものはなかったので、ペンチやニッパーを使って、無理やりこじ開けようと奮闘しました。
むなしい奮闘でした。
買わなければ、こんなことはしなくてもよかったのですから。
私には、オーデコロンのほかにも使い切るのに苦労した物や、捨てるのに格闘した物がいくつかあります。
当時は、「ああ、めんどくさい。こんな物買って、私ってほんと馬鹿だ」と思っただけですが、そのうち、ゴミや環境のことを考えるようになったら、自分のしたことの罪深さに、「うううっっ」と身が縮む思いがします。
後になって、そんなに簡単に物を買わなくなったのは、捨てる苦労をたくさん味わったからかもしれません。
物を買うのは簡単、でも捨てるのは大変です。
実家には今でもこのときのオーデコロンがある
母がトイレの芳香剤にする、といったオーデコロンの何本かは、およそ30年たったいまでも実家にあります。
トイレに入ると、ほこりをかぶって油っぽさをかもしだしているオーデコロンのボトルが目に入ります。それを見るたびに、「ああ、これ、ハイセンスで買ったんだよね」と思い出し、買ったオーデコロンが入っていた引き出しの中の様子が目に浮かびます。
銘柄を調べるために買ったポケット図鑑のことも思い出します(この本も、後に断捨離しました)。
母はフタをとって、ボトルをトイレに置いているだけです。こうしているだけだと、香らないので、芳香剤にするなら、重曹にふりかけるなど、ひと手間かけるべきです。
そう母に言おうと思いながら、何年もそのままになっています。
次回、里帰りしたら、何年もトイレに置きっぱなしになっている物を片付けようと、いま、思いました。
これ以外にも、エイボンのおまけでもらったETの置物が2つ(全く同じもの)が、トイレの棚に並んでいます。
画像はないだろうか、と思って調べたら、全く同じものがメルカリで2699円(送料込み)で売れていました。
エイボンでも、オーデコロンを買ったことがあるし、おまけにつられて、いらない物を買ったとこともあります。
ミニマリストへの道を最初から読む方はこちらから⇒なぜ私は断捨離をしてミニマリストになったのか?(1)~物がたくさんあっても幸せではなかった
番外編はこちらから⇒ただで物をもらう生活習慣はこうしてできあがった:ミニマリストへの道、番外編1
この続きはこちら⇒ドーナツをたくさん食べて使わない弁当箱を集める不思議:ミニマリストへの道、番外編7
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この記事を書くために、昔集めていた物を思い出そうとしたら、「あ、そういえばあんな物集めていた」「こんな物もあった」と、どんどん出てきて、ほかのことも芋づる式に思い出しました。
「思い出の品」を捨てられない、という人が多いのですが、物なんて一つもなくても、いくらでも思い出せます。
物を管理するのに使っているその時間を、一人静かに昔を振り返ることに使えばいいのです。