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実家で母のものを片づけた話をシリーズで書いています。2014年8月、里帰りして一緒に断捨離しました。当時母は81歳。生前整理です。
今回は年賀状を処分した話です。
年賀状ってたまりがちですよね。
母は古い年賀状をざっと25年分ほどためていました。なぜたまるかというと、捨てないからです。
年賀状の整理に悩む人は多いですが、もらって読んだら年賀状の使命は終わっています。用済みなのですから、捨てればいいのです。
年賀状は2度と使われない季節もの
1996年に日本を出たので、最近の年賀状事情がわかりませんが、今でも、年賀状の交換は国民的行事なのでしょうか?
最近はネットの年賀状もあるので、少しは事情が違うかもしれませんね。
年賀状はおせち料理や大掃除と同じで、1年のある一時だけ俄然注目を集める「季節もの」。
しかし、同じ季節ものでも、冬物衣料や、手袋のように「冬が来たら毎年使う」わけではなく、古い年賀状は陽の目を見ることはありません。
持っていても、死蔵品になるだけです。
どこかで捨てるべきです。
私が年賀状を出さない理由
年賀状を捨てたくない人は最初からもらわないという手もあります。
想像つくかもしれませんが、私は「年賀状を出さない派」です。
私は筆まめですが、年賀状を書くのは20代半ばにやめました。理由は、「年末のいろいろ忙しいときに、そんなことやっとれん」と思ったから。
しかしよく考えるとそこまで忙しくないのです。商売をやっていたわけでもなければ、主婦でもなかったのですから。
「忙しい」というのは表面的な理由です。私が年賀状を出さなくなった本当の理由は以下の2つです。
1つは、「出さなければならないから」出す、というのが嫌だったから。
手紙は自分が出したいときに出す主義です。
もう1つは、年賀状をどこまで(つまり誰に)出したらいいのか悩むの嫌だったから。親しさの度合いで、出す、出さないを決めるのでしょうが、その判断をつけるのにいつも迷っていました。
そこである年から、暮れに年賀状を書くのをすっぱりやめました。例外なし。
ただし、むこうからいただいたらお正月中に返事を書いて出していました。
年賀状を出さなければ、むこうからも来ない
私の経験から言えることは、年賀状はこちらが出さないとむこうもくれなくなるということです。
印刷された年賀状で手書きのコメントが一言もない賀状とか、何10年も会ってなくて「今年こそ会いたいですね」いう賀状をくれていた相手はすぐに淘汰されました。
ということは、本当はみんなそんなに出したくないのではないでしょうか?
※年賀状を出す習慣を手放す方法はこちらに書いています⇒年賀状を出すのをやめる方法。無理に出すのはおかしくないですか?
相手が私だからでしょうか?
年賀状の交換が終わったら捨てる
誤解してほしくないのですが、私はあなたに「年賀状を出すのをやめろ」と言っているのではありません。
年賀状の交換は楽しいものです。私も子供の頃は楽しみでした。
枚数は少なかったですが、小さいときは手書きのイラストに彩色をし、もう少し大きくなったらプリントゴッコでカラフルな年賀状を作り、お便りもたくさん書いていました。
ちっとも当たらない「お年玉付き年賀状」の番号のチェックもまめにしていました。
年賀状の交換が楽しいのなら、年賀状を書けばいいと思います。
しかしもし年賀状を書くのが苦痛なら、やめるというのも1つの選択です。
私が1番言いたいのは、古い年賀状をいつまでもためておいてはいけないということです。
年賀状はもらった時に使用済みになるのです。
年賀状専用のホルダーに入れて整理をし、何年も持っている人もいますが、そのあと、何度も見返すのでしょうか?
ホルダーを作って整理するのが面倒ではないですか?
年賀状もほかのモノと同じで、持っていれば管理に時間と手間を取られます。
年賀状の処分と整理の仕方
一般的に年賀状の整理は次のようなプロセスを経ます。
1.受け取る
2.目を通す
3.返事を出す人には出す
4.住所などの情報整理を賀状をもとにやっている人はデータベースを更新
5.お年玉つき年賀はがきの番号のチェック
6.3年ぐらい手元に置く
7.処分する(個人情報が気になるならシュレッダーにかけるか、住所を消すスタンプを押して処分)
バリエーション:飾って楽しんだり、デザインが美しいモノ、写真つき年賀状を賀状専用のフォルダーに入れて保存する。
保管する期間を1年にすれば、たまる量が少なくなります。
もらってすぐに住所録をアップデートすれば、すぐに捨てられます。
結局、しまいこんでもお正月が終わったら、ふつうは引っ張り出しませんから。
ポイントは「一定期間が過ぎたら必ず捨てる」ということ。
関連:手紙の捨て方⇒手紙の整理・収納はマイルールを決めて増やさない
母の25年分の年賀状を断捨離
私は「年賀状出さない派」ですが、もちろん母は違います。毎年お年玉つき年賀状を出しているようで、家にはもらった年賀状がたくさんありました。
母は特に何の整理もせず、年ごとに輪ゴムで止めて、がさっと座敷の床の間の横の物入れに押し込んでいました。
これを私はどうしたか?
すべて捨てました。
だって、物入れにつっこんでいただけですから。
筆子:「もう見ないでしょ?捨てなよ」
母:「・・・捨てるよ、いつか」
筆子:「いつかっていつ?」
「いつかっていつ?」は実家で断捨離しているときに、何度も母に言ったセリフです。
実は母は「いつか捨てよう」と思ってはいません。とりあえず用がすんだものはすべてそのへんに押し込んでいるだけです。
それが完全に用済みであること、用済みのものは不用品であること、不用品は捨てるべきであることがわかっていないのです。
モノが用済みになったときにさっと捨てないので、次第にガラクタ化してたまります。そういうものは遅かれ早かれ捨てることになります。
自分で捨てなければ、自分が死んだあと親族か業者が処理するのです。
モノは自分が使っているうちは、モノとしての存在価値があるけれど、自分が使わなくなり、どこかにしまいこんで放置してしまったら、もうその存在価値はありません。
あってもしかたがないものになるのです。
ほうっておけば、いずれ誰かが捨てることになります。
「まだ使えるもの」としてサルベージしてくれるかもしれませんが、ほかにも、捨てなければならないモノがいっぱいあったら、1つ1つのモノの行末についてそんなに時間をかけて考えてくれることはないでしょう。
結局、自分の手で捨てるのが1番いいのです。
自分でやるなら、よそにまわす、リサイクルに出す、など納得の行く捨て方ができます。
母のように、とりあえずモノをそのへんにしまっておくのは、ある意味とても無責任なことなのです。
親の家の片付けの続きはこちら⇒断捨離をして「未完了の問題」にきちっと片を付けろ~実録・親の家を片付ける(10)
☆後書き:母は絵手紙が趣味で、教室に通っていたこともあるので、絵手紙友だちからもらう年賀状が多いようです。
カラオケも趣味で、時々近所の老人ホームに慰問に行って歌を歌っています。老人ホームには母より若い方がいらっしゃると思いますが。
趣味が多いのはいいことですが、1つだけ困った趣味がありました。本人は困ってないでしょうが、筆子的に困る趣味です。
それは「テレビショッピング」です。