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「ミニマリストへの道」シリーズでは、私がどのように物を減らしていったのか、そのプロセスを紹介しています。最近は、引っ越しに備えて荷造りする段階で断捨離した物と、その時私が考えていたことを書いています。
きょうも雑貨を捨てた話です。
私、本当に、なくてもいい雑貨を大量に持っていたのです。毎日断捨離しながら、少しずつ残すもののハードルをあげていきました。そして、こんな境地に達したのです。
なぜ物が増えてしまうのか?
家の中に物があふれて倉庫のようになってしまう究極の理由は2つだけです。
・物を買いすぎる
・使っていない物を捨てない
何年もシンプルライフを目指していた私は、買い過ぎるというほどではなかったと思います。しかし、「こまごまとした物をそれなりに買っていた」ということが引っ越し前の荷造り時に明らかになりました。
あまりにくだらない物ばかり出てきたので、買わない挑戦に拍車がかかりました⇒買わない挑戦の途中経過、2016年上半期に私が買った103個のもの。
物を買っていたのも問題でしたが、それより深刻だったのは、使っていない物を捨てていなかったことです。
断捨離を重ねて、こわれた物や、ほかにも似たような物があるのは、どんどん捨てていきました。すると残ったのは、「まだ使える」「いつか使える」「持っていればそのうち役立つ」そんな物でした。
充分に使える物ばかりです。
しかし、こういう使える物も、自分が使っていなければ、ガラクタになります。
私の引っ越し荷物がふくれあがったのは、こういう「まだ使える物ではあるが、家の中にそれを使っている人は誰もいない物」を荷造りしていたからなのです。
使っていない物を捨てればすっきりする
部屋がいつまでたっても片付かない、と思っている人は、「まだ使えるけど、使っていない物」を捨てれば、スッキリすると思います。
実際、この私がそうでしたから。
まだ使える物だから、新品同様だったりして、「もったいない」と思うかもしれません。
そんな物を捨てるのは、物を粗末にすることだと感じるかもしれません。しかし、物を粗末にするとは、実は、「使える物を有効活用していないこと」なのです。
物は人が使うことを想定して、開発されています。
経済を回すためには、消費者にどんどん買ってもらわなければ困るので、できるだけ長く使ってもらおう、と思って開発されているものは少ないかもしれませんが。
いずれにしろ、物たちは、みんなに使ってもらうために、この世に誕生します。
ですから、使わない物をどこかに押し込んで忘れているなんてことは、とても物を大事にしているとは言えません。
ちゃんと覚えていて、きれいに分類して、収納ケースに入れ、それぞれにラベルをつけて、きっちり収納していたとしても、しまいっぱなしで、時々中身を整理整頓するだけなら、やはり大切にしているとは言えないでしょう。
それは大量にある物の管理に自分の時間を奪われている状態です。
物は使ってなんぼ、なのです。
先に残すものを見つける
引越し準備中に、雑貨を捨てる基準として、
1. 今使っていないものは捨てる。
2. ダブっているものは捨てる。
3. ほかのもので代用できるものは捨てる。
4. 欲しくて手に入れた物じゃない物は捨てる。
こんなルールを自分で設定してきました。
ちゃんと1番で、「今使っていないものは捨てる」と言ってるのに、なぜか、今、使っていない物がまだまだありました。実は、このルールには抜け穴があります。
「今」とはいったいいつなのか、が問題です。
今とは、「今、この瞬間である」とすれば簡単ですが、それは現実的ではありません。今、この瞬間にそんなにいくつも物を使うことはできません。
そこで私は、なんとなく、「最近」という、これまたあいまいなタイムスパンを使っていました。
しかし、「それではいつまでたっても片付かん」と気づいたので、この日は逆から攻めてみました。すなわち、
残すものについて考えてみたのです。
残すポイントは2つです。
1. まだ使える、ではなくて、今使っているものを。
2. ストックは最小限に。
しかし、ここでもまた、「今使っている」なんてあいまいな言葉を使っていました。我ながら優柔不断というか、往生際が悪いというか、よっぽど捨てるのが嫌だったのでしょう。
読者の方から、「これが捨てられません」「あれが捨てられません」とよくメールをもらうのですが、その気持ち、よくわかります。私もそうでした。
何も考えないと、絶対人は、自分がいったん所有したものには執着してしまうのです。
そして、いろいろ捨てるべきでない理由を考えます。
しかし、その理由は、自分が都合よく作った言い訳です。使っていない物を、さっさと捨てれば、とても心が軽くなるし、文字通り明るい明日が待っている、と私は断言します。
しかし、この日の私は、今の私とは違うので、あいまいなルールを作ってこんなものを捨てました。
2014年9月某日に捨てたもの
台所関係のもの11個
ランチョンマット、ケーキ型、クッキー型、カップケーキやマフィンのペーパーカップなど。緑色のは茶せんを立てるもの。
ランチョンマットを捨てた話は以前、こちらの記事でも書いています⇒捨てても大丈夫だった6つのもの(写真つき)~キッチンの断捨離編
最初、全然使っていないランチョンマットを捨て、使う分は残したのですが、結局「べつにいらないか」と思って、捨てました。
昔はランチョンマットを使っているほうが「なんかおしゃれよね」と思っていたのです。
しかし、夫とランチョンマットの趣味が全く合わず、私がこの編み目のある(という表現でいいのかどうかわかりませんが)マットを出しても、夫はさっと取り除け、自分が買ってきた趣味の悪い(私の主観です)マットを置くのです。
夫のランチョンマットの写真はこちらにあります⇒断捨離に非協力的な夫にはこう対処した~ミニマリストへの道(33)
ランチョンマット1つで、いちいちむっとしたり、台所における微妙な勢力争いをしていましたが、疲れました。ミニマリストになる過程で、「こんなことに時間を使うのはアホらしい」と思ったので、手持ちのマットをすべて断捨離しました。
そうすれば、どのマットを使うかで争う必要もありません。
夫は好きなのを使えばいいし、私はマットなしでいいのです。
洗濯グッズなど4個
手前にあるリモコンは、断捨離済みのステレオコンポ用です。
ステレオ本体の画像はこちらにあります⇒大物を捨てると断捨離に加速がつく(写真あり):ミニマリストへの道(72)
何かを処分するときは、付属品やマニュアルなど一緒にして捨てるべきですね。
右側に固まっているのは、不要な洗濯バサミです。1つ1つの洗濯バサミの入手経路をほぼ覚えている私ですが、ここでそんな話を書いてもおもしろくもなんともないでしょう。
ただ、上にある黄土色の手の形をしたピンチについてだけ述べておきます。
これはソックスか手袋についてきたものです。売り場でディスプレイするときにつかうハンガーです。ディスプレイ用品としては、可愛いし、しっかりしていたので、私は、「何かに使えるかもしれない」と思って、すぐに捨てなかったのです。
実際、何かに使おうとしたのですが、うまく使うことができず、この日断捨離するにいたりました。
「何かに使えるかもしれない」と再利用を考えるのはやめたほうがいいです。経験から言っています。今すぐ使いみちを思いつき、実際にそのように使うものだけ残したほうがいいです。
新品の雑貨2個
左の根付は、2010年に名古屋に里帰りしたとき、東急ハンズで娘に買ってあげたものです。友だちのおみやげにすると娘は言いました。
渡しそびれたのか、いまだに家にありました。
右は私が5、6年まえに雑貨屋で買ったもの。スクラップブッキング用のボタンです。当時、ミトン(手袋)の形がかわいいと思って何気なく買いました。
理由なき買い物です。衝動買いともいいます。
私、スクラップブッキングなんてしませんし、結局使い道がありませんでした。衝動買いするとろくなことがありませんね。
この2つがいつまでも残っていたのは、小さくてかさばらないから。しかし、家に放置すると永久に活かされないままです。
というわけでようやく捨てました。
このほか、糸や小さいライト、虫眼鏡など細かい文具も捨てました。
☆このシリーズを最初から読む方はこちらへどうぞ⇒何度も失敗したけど、今も前を見て進んでいます~「ミニマリストへの道」のまとめ(1)
☆次のミニマリストへの道はこちら⇒買い過ぎなければ子供の物を捨てる悩みもない:ミニマリストへの道(81)
寄付する準備をした
この日捨てたのは、寄付箱に入れておきました。箱にいっぱいになったら、寄付センターに持ち込むのです。
このとき、自分の持っている雑貨はさすがにもうこれ以上捨てられそうにない、と思いました。クリスマスのデコレーション用の雑貨が手付かずでしたから、そちらに移ろうかと考えました。
しかし、自分の物でまだまだ捨てられるガラクタはあったのです。
ミニマリストへの道、次回に続きます。