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先のことが不安な人におすすめのTEDトークを紹介します。タイトルは
How we can face the future without fear, together(いかに私たちは、恐れずに未来に向かえるか? 一緒に。)
講演者は、ラビ(ユダヤ教の指導者)で哲学者のLord Jonathan Sacks(ジョナサン・サックス卿)です。
邦題は、「恐れずに共に未来に向かうには?」
未来に立ち向かう・TEDの説明
It’s a fateful moment in history. We’ve seen divisive elections, divided societies and the growth of extremism — all fueled by anxiety and uncertainty. “Is there something we can do, each of us, to be able to face the future without fear?” asks Rabbi Lord Jonathan Sacks. In this electrifying talk, the spiritual leader gives us three specific ways we can move from the politics of “me” to the politics of “all of us, together.”
今、歴史上、運命的な瞬間です。
分断した選挙、分断した社会、過激派の増え、不安と不確実性が増大しています。
「私たち個人が、何かできることがあるでしょうか? 恐れることなく未来に立ち向かうために?」ラビの、ジョナサン・サックス卿はこう問いかけます。
この熱意のこもったトークで、精神の指導者は、私たちが、「私」の政治から、「私たち全員が共にする」政治に向かう具体的な方法を教えてくれます。
収録は2017年4月。動画の長さは12分半。日本語字幕もあります。動画のあとに抄訳を書きます。
☆トランスクリプトはこちら⇒Rabbi Lord Jonathan Sacks: How we can face the future without fear, together | TED Talk
☆TEDの説明はこちら⇒TEDの記事のまとめ(1)ミニマリスト的生き方の参考に
とても説得力のあるプレゼンですね。
分断が進む社会
「人の魂が試される時がある」とトマス・ペインは言いましたが、まさに今がその時です。
西洋社会の歴史にとって、運命的な瞬間です。
分断された選挙、分断された社会。政治でも宗教でも過激派が増えています。
その結果、不安や恐怖が増大し、世界は、人々が持ちこたえられないほど速く変化しており、その変化は今後も進みます。
では、恐れることなく、未来に立ち向かうために、私たちにできることはあるでしょうか?
私は、あると考えています。
今、私たちが崇拝しているもの
その時代の文化を知る方法の1つは、人々が何を崇拝しているか調べることです。
これまで人はさまざまなものを崇拝してきました。
太陽、星、嵐。複数の神を崇拝する人もいます。ある人たちは1つの神だけを崇拝し、ある人たちは何の不在を崇拝します。
19世紀と20世紀には、人々は国家を崇拝しました。アーリア人や共産主義国家を。
今、私たちは何を崇拝しているでしょうか?
その答えを知るために、未来の人類学者は私たちが読んでいる本を調べるでしょう。
自己啓発、自己実現、セルフエスティームの本です。
彼らは、私たちが語るモラル、自分自身であろうとすること、個人の権利を重要視した政治、そして、私たちが作り出した新しい儀式を知るでしょう。
自撮り(セルフィー)という儀式です。
未来の人類学者は、私たちが、「自己、自分、私」を崇拝していると結論づけると思います。
それはすばらしいことです。自由だし、力を与えてくれます。
人は共に生きるようにできている
でも、人間は、生物学的には、社会的動物だということを忘れるべきではありません。
人は、小さなグループを作って進化してきました。お互いに顔を突き合わせ、利他主義を学んできたし、友情や信頼、忠誠、愛を作り出し、孤独を癒やしてきたのです。
人は、「私」を求めすぎ、「私たち」をないがしろにすると、弱くなり、恐れをいだき、孤独になるのです。
MITのシェリー・タークルが、ソーシャルメディアについて書いた本のタイトルに、「アローン・トゥゲザー(Alone Together 一緒に孤独になる)とつけたのは偶然ではありません。
したがって、私たちの未来を助けるもっとも簡単な方法は、「私たち」を3つの側面で強化することだと思います。
人間関係における私たち、アイデンティティにおける私たち、責任における私たちです。
人間関係における私たち
まず、人間関係における私たちの話です。
ここで、個人的な話をします。
大昔、20歳のとき私は、大学で哲学を学んでいました。
ニーチェ、ショーペンハウアー、サルトル、カミュにのめりこんでいて、頭の中は、存在論的な不確実性や実存的な不安でいっぱいでした。
それはそれで、楽しかったですよ。
私は、自分のことばかり考えているいやな奴でした。
でもあるとき、変わったんです。校庭で、自分とは全く違う少女に出会いました。
彼女は太陽のように輝き、喜びに満ちあふれていました。私たちは、出会い、話をし、結婚しました。
47年後、3人の子供と8人の孫に恵まれました。
彼女との結婚は、私が自分の人生でした最良の決断でした。自分とは違う人たちが、自分を成長させますからね。
だから、違う人たちと接するべきなのです。
私たちは似た人に囲まれている
ところが、今は、Googleのフィルタリング、フェイスブックのフレンド、ブロードキャスティングならぬナローキャスティングされるニュースのせいで、私たちは、いつも自分と似たような人たちに囲まれています。
ものの見方も意見も偏見すらも、自分と同じ人たちです。
ハーバード大学教授のキャス・サンスティーンが示したように、自分と同じものの見方をしている人たちに囲まれていると、人はより極端になります。
自分とは違う人たちと顔を合わせるべきだと思います。そうして、まったく意見が合わなくても、友達でいられることに気づくべきなのです。
自分とは違う人と、面と向かえば、その人たちも人間だとわかります。
実際、自分とは違う人たち、階級、信条、肌の色の違う人たちに友情の手を差し伸べるたびに、私たちは、傷ついた世界の断層を癒やすのです。
これが、人間関係における私たちです。
アイデンティティにおける私たち
次は、アイデンティティにおける私たちです。ちょっとした思考実験をしてみましょう。
ワシントンにある、記念館(memorial)に行ったことがありますか?
リンカーン記念館には、ゲティスバーグの演説や大統領就任演説が展示されています。
ジェファーソン記念館にも長文があります。
マーティン・ルーサー・キング記念館にも、彼のスピーチの引用が10個以上あります。
アメリカの記念館は読むものなんですね。
一方、ロンドン議会広場には、ディヴィッド・ロイド・ジョージの記念碑があり、3つの単語が刻まれています。
「ディヴィッド・ロイド・ジョージ」と。
ネルソン・マンデラなら2語、チャーチルは1語です。「チャーチル」
なぜ、こんな違いがあるのか?
物語を語ってアイデンティティを作る
アメリカは、外国から移民が押し寄せてできた国なので、物語を語ってアイデンティティを作りあげる必要がありました。
学校でこの物語を学び、記念館で読み、大統領の就任演説で繰り返し聞きます。
イギリスは、最近までは移民の国ではなかったので、アイデンティティはあたりまえにあるものでした。
問題は、現在、一緒に起きるとまずい2つのことが起きていることです。
まず、西洋社会で、私たちは、自分が誰で、なぜ存在しているのか、その物語を語るのをやめてしまったことです。アメリカにおいてすら。
同時に、これまでにないほど移民が増えています。
自分の物語を語ると、アイデンティティが強まります。すると他人を歓迎できるのです。
しかし、物語を語るのをやめると、アイデンティティが弱まり、他人に脅威を感じます。これは、よくないことです。
ユダヤ人がアイデンティティをキープできた理由
ユダヤ人は、2000年間、世界中で散り散りになっていますが、決してアイデンティティを失っていません。
なぜか?
1年に、最低1回は、過ぎ越しの祭で、自分の物語を語り、その物語を子どもたちに教えるからです。そして、発酵していない悲しみの味がするパンを食べ、奴隷のつらさを感じられる苦い薬草を口にします。
だから決してアイデンティティを失わないのです。
私たちは、皆、自分が誰であるのか、どこから来たのか、どんな生き方を理想としているのか、物語を語ることに戻るべきです。
そうすれば、より強くなれ、見知らぬ人を歓迎し、「さあ、ここにきて一緒に生きましょう。物語を分かち合いましょう、夢や希望を分かち合いましょう」と言えるのです。
これが、アイデンティティーにおける私たちです。
責任における私たち
最後は責任における私たちです。
私の好きな政治のフレーズは、きわめてアメリカらしい「我々、人民(We the people)」です。
この言葉は、私たちがみな、共同の未来に対する責任を、一緒に引き受けていると言っています。
それこそあるべき姿です。
幻想(magical thinking)がどんなふうに政治を乗っ取ってしまったか、気づいていますか?
皆、強いリーダーを選べば、この人が、すべての問題を解決してくれる思っていますが、これは幻想です。
さらに、私たちは極端になっています。極右、極左、過激な宗教、極端な反宗教。
神が、または、神の不在が、人々を救うという考え方。
これも、幻想です。
とうのも、人々だけが、私たち人民を救うのですから。皆で一緒になって。
直感に反することですが、「私の政治」から、「私たち皆の政治」に移行すれば、美しい真実が見つかります。
つまり、弱い者を思いやるとき国家は強くなり、貧しい者を思いやるとき、豊かになり、不安な状態を気づかえば、力強い存在になるのです。
これこそ、偉大な国家を作るものです。
世界を変える考え方
ここで、ごくシンプルな提案があります。
みなさんの人生を変えてしまうかもしれません。さらに、この世界を変え始める助けになるかもしれません。
頭の中にあるテキストをサーチして、「私(self)」という言葉を見つけたら、「他者(other)」という言葉に置き換えてください。
自分を助ける(セルフ・ヘルプ)のではなく、他者を助ける、セルフエスティームではなく、他者のエスティーム。
こうすれば、あらゆる宗教的な文章の中でも、私が、もっとも感動を覚える文章の力を感じ始めるでしょう。
「死の陰の谷を歩もうとも、私は災いを恐れない。あなたが、私と共にいてくださるから」
1人で立ち向かうのではないと知っている限り、私たちは、恐れることなく未来に立ち向かえます。
あなたの未来のために、私たちの未来を一緒に強くしていきましょう。
//// 抄訳ここまで ////
哲学に関係のあるほかのプレゼン
仕事の失敗でいちいち落ち込まない方法。親切で、優しい成功哲学(TED)
決断に悩むときこそ大きなチャンス。重要な選択をする方法(TED)
本当の自分はどこに存在しているのか?:ジュリアン・バジーニ(TED)
ジョナサン・サックスの著書です。
他にも何冊か本があります。
ほかの人に手を差し伸べる
異常気象で災害が増えているから、未来に対して不安しかない、という人は増えていると思います。
実際、そういう方から相談メールをいただき、記事で回答をしました。
先の心配をしだすといろいろ揃えなければならないと思ってしまう。
相談メールには、「まわりに頼れる人がいないから余計に心配」とあったのですが、記事にも書いていますが、困ったときは、他の人が、ふつうに助けてくれると思います。
少なくとも、私はそう考えています。
実際、今、ウクライナから、ポーランドや近隣の国に、人々が難民として続々と入国していますが、皆、すごく助けています。
まあ、ウクライナ人優先で、アフリカやインドの人は、すんなり入れてもらえないという人種差別があるのは残念なことですが。
北米からサポートに行っている人もいます。
人間は1人では生きられないので、サバイバルするために、皆と助け合うことは、ごく自然にしてしまうと思います。
プレゼンでも話されていますが、ずっとグループを作って進化してきましたからね。
そこで、「頼れる人がいない」と、思わないほうがいいんです。
なぜ、そう思ってしまうかというと、核家族化が進んで、皆がスマホやテレビを1つずつ持って、きわめて個人的に暮らすライフスタイルが一般的になったからだと思います。
しかしこの生活は、ほかの大勢の人と分業しているからできていることです。
自分の今の生活は、ものすごくたくさんの人に支えられているのです。
このように、他の人の存在をもっと意識しながら生きると、「何かあったとき、すごく心配」と恐れないと思います。
そのために、物の貸し借りをしたり
シェアリングエコノミーがシンプルライフにもたらすもの(前編)
困っている人がいたら積極的に助けたりということを、もっと生活に取り入れてはどうでしょうか?
さらに、自分と考え方の違う人の意見もシャットアウトしないようにします。
すると、将来に対して、そこまで大きな恐怖は感じないと思います。
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今回紹介したプレゼンは2017年の収録ですが、その3年後の2020年にジョナサン・サックス卿は、がんで亡くなりました。
残念ですね。
彼のような賢者の話をこれからも紹介していきたいと考えています。