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子供の頃、親に欲しい物を買ってもらえなかったから、その反動でたくさん物を買ってためこむことは、あるでしょうか? という質問をいただきました。
この記事で回答します。まずメールをシェアしますね。Kさんからです。
物をため込むのは、子供のころのがまんのせい?
筆子さんのブログを読み、生き方をあらため、断捨離に励むことができるようになりました。
ありがとうございます。
台風のため、自宅待機になったので、息子と、神様がくれた休日だね。と、私は、片付け、息子は、勉強にはげんでおります。
昔、ユニバーサルスタジオジャパンの年パスを持っていてよく小さい息子と友だちと遊びに行っていました。
いくたびにポップコーンを買っていて、そのケースがたくさんでてきました。
息子にねだられたのではなく、私が欲しかったもの。
だから今は、ポップコーンを買ってもケースは買いません。
5個は、ありました。
それをみて、子どもの頃、がまんがまん。
母の価値観を押し付けられていて、その反動だったのかなと、思ったりもしました。
不必要なものは、誕生日でもクリスマスでも買ってはくれませんでした。
子どもの頃の反動で物を溜め込むことはありますか?
教えてください。
Kさん、お便りありがとうございます。
「教えてください」とメールにあるので、返答しますが、私は児童心理学者でも、セラピストでもないので、私の答えが正しいとは限りません。
あくまで、1つの意見として聞いてください。
いまの自分のベースは子供の頃にできるけど
子供の頃のがまんの反動で、物をため込むことがあるか?
この答えはイエスでもありノーでもあります。
なぜ、イエスかというと、いまの自分の価値観や考え方、行動様式のベースは子供の頃に作られるからです。特に母親との関係が大きなインパクトを持ちます。
生まれたばかりの赤ん坊は、価値観や思考の枠組みみたいなものは何も持っていません。不快なことがあったら、泣きわめき、特に何も考えず、おっぱいを飲んだり、寝たりしています。そのうち、笑うようになります。
親と一緒にいるうちに、物心がついてくるから、幼い頃の生育環境がいまの自分の行動に影響を与えない、なんてありえません。
私は日本で生まれ育ち、37歳直前にカナダに来て23年目です。いまだに、自分はひじょうに日本人的な考え方や反応をすると感じています。これは、親や家庭が教えてくれたものに基づいています。
私の行動様式は、私のアイデンティティの大きな部分を占めているので、子供の頃の体験がいまの自分の生き方に影響を及ぼしている、というのは絶対あります。
だからある程度はイエスです。
家に物がたくさんあるのは自分の意思決定の結果
けれども、Kさんの質問に対しては、私はどちらかというと、「ノー、ノー、ノー!。違いますわ」と言いたい気持ちです。
Kさんは、すでに大人なので、かなりの部分、自分の行動をコントロールできる力があるからです。
メールには年齢が書かれていませんが、小学生ぐらいのお子さんがいるようなので、二十歳やそこらの、子供か大人かわからない年齢でもありません。
Kさんの他にも、
・子供の頃、家が貧乏だったから、いま、私は無駄遣いしてしまいます。
・子供の頃、自由に買えなかったから、いま大人買いして、部屋に物があふれています。
といった調子のメールをいただいたことは何度かあります。
先日は、子供の頃、服を買ってもらえなかったから、いま、床の上に服が山積みです、というメールをいただきました⇒捨てない言い訳を客観的に見てみると、問題解決に近づく。
こうしたメールは、私には、
「子供の頃、~だったせいで、いま~している(その結果、いまの私は不幸である。何もかも親の責任だ)」。
と聞こえるのです。
いま、物をたくさん買って、家にため込むのは、自分の意思決定の結果です。したがって、今後、自分でいくらでも、買い物の仕方や、物とのつきあい方を変えることができます。
これが私の答えです。
私は、なぜ、Kさんは、こんな質問をしたのだろうか、と考えています。「母の価値観を押し付けられた」と感じているのも気になります。
「不必要なものは、誕生日でもクリスマスでも買ってはくれませんでした」とありますが、必要な物はみんな揃えてくれたんですよね? ありがたいじゃないですか。
それとも、「自分には必要だったのに、お母さんが不必要だと思ったものは買ってくれなかった」という意味でしょうか?
ですが、これは、ふつうのことです。欲しいと思ったものをなんでも買ってくれるなんて、ドラえもんが親ならできるかもしれませんが、通常できないことだし、する必要もありません。
子供が本当に欲しいものは物じゃない
以前、おもちゃがテーマの記事に書きましたが、子供が本当にほしいものは物ではありません。
親の愛情、関心がほしいのです。子供は親に認めてもらいたいと思っています。
おもちゃの記事⇒子供のおもちゃが増えすぎて片付かない?極論を言えば買ったおもちゃは必要なし
自分は愛されているなあ、大事にされているなあ、お母さんやお父さんがいつもそばにいてくれて安心だな、という気持ちでいられれば(子供にはこうした気持ちを言語化はできませんが)、毎日、つつがなく、たまに学校やらで嫌なことがあっても、そこそこ楽しく暮らせます。
親に叱られたり、親と自分の意見が大きく食い違うことがあったりしても、そこに絶対的な愛情や信頼関係があれば、また、元通り、ふつうに生きていけます。
物はそこまで大事じゃないのです。
もし、「誕生日にもクリスマスにも欲しい物を買ってもらえなかった」「親の価値観を押し付けられた」と、ちょっとしたうらみをいだいているのなら、そのマイナス感情を捨てたほうがいいです。
そうすれば、もっと晴れやかに、「私は私の責任で、たくさんポップコーンの容器を買ってしまった。これからは、別の買い物習慣を持ち、望みの生活に近づけていこう」と思えます。
過去への執着を手放せば、希望が生まれるのです。
過去にとらわれるのをやめるには?
親子関係のせいで発生したマイナス感情は、なかったことにするのではなく、再定義するといいと思います。別の解釈をするのです。
親に理由を聞く
そのために、お母さんに、どうしてそんなことをしたのか聞いてみるといいです(お母さん、まだ生きていますよね?)。
「お母さん、私が子供のとき、誕生日やクリスマスに◯◯を買ってくれなかったけど、どうして? 私、すごく欲しかったのに」と。
「その分のお金をあんたの学費に使うつもりだったのよ」「え、あんた、そんな物が欲しかったの? でも、それが欲しいなんて、知らなかったよ」「物を増やしたくなかったのよ」など、いろいろな答えが返ってくるでしょう。
もしかしたら、お母さんは、「え、そんなことあったっけ?」と驚くかもしれません。自分は大人になったいまも、こだわっているのに、お母さんにとっては、たいしたできごとではなかった、ということはよくあります。
こんなふうに、昔のことについてお母さんと話してみると、新たな視点が得られます。
Kさん自身、いまは子供をもつ親なので、昔は理解できなかったことも、「ああ、そういうことか」とふに落ちると思います。
「しかたないよね」「私、考えすぎだったな」「なんでこんなことに、私、いつまでもこだわっていたんだろう?」と考えることができれば、うらみも消え、満たされない気持ちからしている買い物もおさまるでしょう。
その体験から何を学べるか、考える
すごくつらい体験だったから、とてもそのことについて親と話なんかできない、と思うなら、その体験がもたらしたプラスのものについて考えてください。
この体験のせいで、私は物をためこんでしまうんだ、とマイナスの現象に目を向けるのではなく、プラスのできごとに意識を向けるわけです。
人は失敗やうまくいかなかったことから、学ぶことができます。
その体験がひどければひどいほど、つらければつらいほど、大きな学びが得られます。
たとえば、「お母さんが、誕生日やクリスマスには、欲しい物を買ってくれなくて、つらかったから、いま、私は、自分の子供の欲しいものに心を配れる、優しい母親になれたんだ」とか。
そしてその学びを今後の人生にどんなふうに活かせるのか、想像してください。
そうすれば、過去のいやなできごとを再解釈したことになります。
過去の再定義について⇒60歳以降は可能性に満ちている「人生の第3幕」ジェーン・フォンダ(TED)
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よくブログに書いていますが、自分の考え方次第で、世界は変わります⇒本当はすごいのに、なぜ私たちは「だめだ」と思ってしまうのか?(TED)
過去にあった「嫌なできごと」にいつまでも執着し、その嫌なことにいまの自分の生活を支配させてしまうのは、自分の選択です。
自分の気持ち次第で、いますぐその構図を変えることができます。
完全に逆転できなくても、多少は心が軽くなると思いますよ。