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運に対する考え方を教えてくれるTEDトークを紹介します。
タイトルは、What role does luck play in your life? (運は人生にどんな役割を果たすのか?)
講演者は、心理学者のBarry Schwartz(バリー・シュワルツ)さん。
邦題は、「人生において運が果たす役割とは?」です。
運の役割:TEDの説明
Chance plays a far bigger role in life than we’re willing to admit, says psychologist Barry Schwartz. Of course, working hard and following the rules can get you far — but the rest could boil down to simple good fortune. Schwartz examines the overlooked link between luck, merit and success, offering an intriguing solution to equalize opportunity — starting with college admissions.
運は、私たちが認めたいと思う以上に人生で、大きな役割を果たしていると心理学者のバリー・シュワルツは言います。
もちろん、努力をし、ルールを守ることが先に進ませてくれますが、残りの部分は、幸運に任されるのです。
シュワルツは、運、功績、成功の間にある見過ごされがちな関係を考察し、大学入学から始まる、機会を平等にするための興味深い解決策を提案します。
収録は2020年の5月。長さは10分。日本語字幕もあります。
☆トランスクリプションはこちら⇒Barry Schwartz: What role does luck play in your life? | TED Talk
☆TEDの説明はこちら⇒TEDの記事のまとめ(1)ミニマリスト的生き方の参考に
自宅の書斎で話すプレゼンは、とてもアットホームな雰囲気がしますね。
元教え子からの電話
今日は、運と公正さ、そして両者の関係についてお話しします。
数年前のこと、私の元生徒から、娘さんのことで、電話をもらいました。
娘さんは、高校の最終学年で、私が教えている、スワースモア(Swarthmore)に進学したいと真剣に考えていたのです。
元教え子は、娘が入学できるかどうか、知りたいと思ったわけです。
スワースモアは、かなりの難関校なので、娘さんについて少し教えてもらいました。成績はどうか、課外活動は何をしているかなど。
すると、とても優秀ですばらしい学生でした。
「とてもすごい子みたいだね。まさしくスワースモアが欲しがる学生だよ」
「つまり、娘は入学できるってことですか?」
「いや、それは違う。スワースモアは、優秀な学生すべてをとれるわけじゃない。
席は限られている。それは、ハーバード、イェール、プリンストン、スタンフォードでも同じだ。
Google、アマゾン、アップルでも。TEDカンファレンスだって。
優秀な人はたくさんいるが、全員が入れるわけじゃない」
「じゃあ、どうしたらいいんですか?」
同じように優秀でも大学に入れない
どうしたらいいのでしょうか?
大学がやっていることは知っています。公正さを保つために、入学できるレベルを少しずつあげています。
入学できないレベルの人を入学させて、その人たちより優秀な人を落とすのは、フェアじゃないように思えるからです。
だから、レベルをどんどんあげます。受け入れ可能な人数の学生しかいないレベルにまで。
このやり方は、多くの人々の、正義や公正さに関する考えに反しています。
人それぞれ考え方は違っても、誰でも、公正なシステムの中で、人は自分が得るのにふさわしいものを得るべきだと考えていますからね。
私が元生徒に言ったのは、大学入学に関しては、人が、自分にふさわしいものを手に入れるわけではないということです。
ある人たちは、手に入れても、そうできない人もいます。それが現実です。
プレッシャーを感じる高校生
大学がどんどん入学レベルをあげるので、、高校生の間で、熾烈な競争が起こっています。
ただ優秀なだけではだめで、相当優秀でもだめです。同時に志願する学生の誰よりも、優秀でなければなりません。
その結果、ティーンエイジャーは、不安症やうつ状態に苦しめられ、押しつぶされています。
こんなふうに競争させて、私たちは一つの世代を破壊しているのです。
くじ引きで決めればいい
この問題を解決するにはどうしたらいいのか考えて、一つ、解決策を見つけました。
志願者を、合格するだけの実力がある者と、そうでない者に分け、そうでない者は不合格にします。
それから、合格できる実力のある学生の名前を書いた紙を帽子の中に入れて、ランダムに引いて、合格者を決めるのです。
つまり、くじ引きで決めます。
テック企業に入社する人や、TEDカンファレンスで講演する人も、くじ引きで決めるといいかもしれません。
誤解しないでください。くじ引きで決めても、不公平であることには、変わりありません。
合格する実力があるのに、入学できない人がたくさん出ますから。
しかし、少なくとも、正直なやり方です。
この世界は不公平なことを明らかにしていますから。「すべて公正ですよ」なんてふりはせずに。
それにこのやり方をすれば、いま、高校生たちを苦しめているプレッシャーという風船に穴を開けることができます。
だから、このやり方は、理にかなっているのです。それなのに、なぜ、まじめに検討されないのでしょうか?
運に左右されると考えたくない私たち
その理由に心当たりがあります。
私たちは、人生においてすごく重要なことが、運や偶然で決まってしまうと考えたくはないのです。
すごく大事なことを、自分でコントロールできないと思いたくないのです。
私だって、そんなふうに考えたくありませんから、ほかの人がこう思いたくないのもよくわかります。
しかし、現実は、そうなんですよ。
そもそも、大学の入学は、くじ引きみたいなものです。選抜事務局の人はそうじゃないふりをしていますけどね。
この点について正直になりましょう。
さらに、もし、それがくじ引きみたいなものだと思えば、私たちは、誰の人生の中にもある、幸運の重要性に気づくことができます。
大事なことは運で決まった
私を例にとりましょう。
私の人生で起きた重要なことのほとんどは、幸運の結果です。
7年生(中学1年)のとき、私の家族は、ニューヨークから、ウェストチェスター郡に引っ越しました。
学校が始まってすぐ、私はかわいい女の子に出会い、友だちになりました。その子は、その後、私の親友となり、ガールフレンドとなり、妻になりました。
ありがたいことに、私の妻になってから、52年たちます。
私は特に何もしませんでした。幸運なできごとだったのです。
大学に入って最初のセメスターで、私は、心理学の入門クラスを取りました。心理学が何なのかも知りませんでしたが、履修しなければならない科目だったし、私にとって都合のいい時間に授業が行われていたからです。
幸運なことに、このクラスの教授は、心理学入門を教えるのがとてもうまい、伝説的な人だったのです。
この結果、私は、心理学を主専攻しました。
その後、大学院に入り、卒業間近になって、スワースモアで教えていた私の友人が、メディカルスクールに入学するため、教えるのをやめました。
彼のポストがあいたので、私が、応募したら、採用されました。
私が、求人に応募したのは、これ1回きりです。
スワースモアで、45年教えたことは、私のキャリアに大きな影響を与えました。
最後にもう1つ例をあげましょう。
ニューヨークで自分の研究について講演したときのこと。講演のあと、聴衆の1人が、やってきました。
彼は、クリスだと名乗り、「TEDで講演してみないか」と言いました。
「TEDって何ですか?」と私は答えました。
当時のTEDは、今のTEDとは違います。
私がTEDでした講演は、これまで、2000万人以上の人が見ました。
つまり、私は幸運な男なのです。
結婚、教育、キャリアにおいてラッキーだったし、TEDというプラットフォームで発言できたこともラッキーでした。
運のいい人の責任
私は、これらの成功に値する人間でしょうか?
もちろん、値します。
あなたが、今の成功に値する人であるのと同じように。
しかし、私たちが手にした成功を手に入れるのにふさわしいのに、手に入れなかった人も、たくさんいるのです。
人々は、自分にふさわしいものを手に入れるのか?
この社会は公平か?
もちろん、答えはノーです。
一生懸命働いて、ルールを守ることは、何も保証しません。
このような、避けられない不公平さや、幸運が果たす重要な役割を大事に思うことができれば、現在、このパンデミックの時期に、ヒーローと呼ばれている人たちに対して、私たちにはどんな責任があるのか、考えることができるかもしれません。
家族が病気になっても、なんとか元気でいられるように尽力し、人生が台無しにならないように努力している人たちに対して。
苦労しながらがんばって働いている、私たちより運のない人々に対して、私たちはどんな恩義があるのでしょうか?
無知のベール
半世紀ほど前に、哲学者のジョン・ロールズが『正義論(A Theory of Justice)』という本を書き、『無知のベール(the veil of ignorance)』というコンセプトを紹介しました。
彼の提示した質問は、これです。
「自分が社会的にどんな階層に入るか知らなかったとしたら、どんな社会を作りたいと思うか?」
社会の上層部にいくか、下層部にいくかわからないなら、私たちは、公平な社会を望むと彼は示唆しています。
不運な人たちも、まともで、意味があり、満足できる生活のできる社会です。
この考えを、幸運で成功した皆さんは、自身のコミュニティに持ち帰ってください。
そして、私たちと同じように成功にふさわしいのに、私たちほどラッキーではない人々を尊重し、面倒をみるため、あなたにできることは何でもしてほしいのです。
//// 抄訳ここまで ////
単語の意味など
Swarthmore College ペンシルベニア州にあるアメリカの私立大学。全米屈指の難関校。
ratchet up 徐々に上げる
intervening 間の
play by the rules 規則に従って行動する
centrality 重要性、中心的役割
John Rawls ジョン・ロールズ (1921-2002)アメリカの哲学者
the veil of ignorance 無知のベール、知らないというベールをかぶっている状態。この社会で自分がどのようなグループに所属するかわからない状態(性別、年齢、国籍、スキル、その他、自分のアイデンティティのもとになる情報はすべて知らない状態)。
自分の社会的な位置に関する情報が全くなかったとしたら、どんな人も、誰もが平等な社会を望むはずだ、とロールズは考えました。自分が社会のどの階層に入るかわからないので、特定の階層の人が優遇される社会は望まないのです。
2千万人の人が見たという、バリー・シュワルツのプレゼンはこちらで紹介⇒バリー・シュワルツに学ぶ『選択のパラドックス』(TED)~所持品をミニマムにすると生きやすくなる理由とは?
運の重要性を語るべつのプレゼン⇒仕事の失敗でいちいち落ち込まない方法。親切で、優しい成功哲学(TED)
運は自分ではコントロールできない
このプレゼンから、私が受け取ったメッセージを3行で書くと、
今、成功している人たちは、「すべて自分ががんばったおかげだ、自分ってすごい」と思っているかもしれないが、実は、たまたま運がよかっただけだ。
もちろん、あなたは優秀だし、努力もしたが、同じように優秀で、がんばったのに、その優秀さやがんばりにふさわしいものを手に入れていない人がたくさんいる。
だから、もっと謙虚になって、不運な人たちを助けるために、できることは何でもしようじゃないか。
こうなります。
今回、このプレゼンを紹介したのは、運は自分ではコントロールできないことを改めて言いたかったからです。
1週間ぐらいまえに、「私はとても心配性だ」という方から、メールをいただきました。心配性だから、取り越し苦労を減らす方法を記事にしてほしい、というお便りです。
この方をNさんと呼びましょう。
Nさんは、心配しすぎるゆえに、いつも最悪の結果を想像して、行動できないことが多いそうです。
最近では、「新型コロナウイルスの予防接種をすると、副反応で死んでしまうかもしれない」と思って、接種するかどうか、ものすごく悩んだとのこと。
実は、私は2回ともアストラゼネカのワクチンを打っています。ご存知のように、アストラゼネカのワクチンを打つと、かなり低い確率ですが、血栓ができて命を落とすこともあります。
そのため、このワクチンを嫌う人はわりといて、使用しない国もあります。
今年、世界で大勢の人が、一斉にワクチンを打った(打っている)から、アストラゼネカのワクチンで亡くなったとか、半身不随になった、入院したというニュースをちらほら聞きます。
ですが、血栓が起きる確率は、カナダでは、100万回の投与にたいして、6.5回と言われています。
確実に起きるけれど、限りなく低い確率です。そのへんを歩いていて、自動車にひかれる確率や、家が火事になって燃え死ぬ確率のほうが高いでしょう。
だから、私は、別段、何の心配もせずアストラゼネカのワクチンを打ちました。
私は、どちらかというと、「死んだら死んだ時だ、そういう運命だったと思ってあきらめよう」と思うほうです。
このように、「運は自分ではコントロールできない。しかたないよね」と思うことがもう少しできれば、Nさんは、今ほど心配しなくてすみます。
さらに、自分ではコントロールできない運が、人生を大きく左右することも知っておいてください。
生きていれば、病気、怪我、死と隣合わせでいるのは仕方がないことです。
それがいやなら、そうそうに死ぬしかありません。
これは、命を粗末にしろ、という話ではありません。生と死は2つでセットになっているという話です。
死そのものは、恐くないですよね? 死んだあとは、まったくなんの意識もないのだから、恐い、痛い、うれしい、悲しいなんて何も感じません。
私たちが、死を恐れるのは、この世界で持っているものや、この世界でできること、できたかもしれないことに未練があるからです。
死後の世界について、よくわからない(誰も知らない)から、そこも不安なポイントかもしれません。ですが、繰り返しますが、死んだあとは、もう何も感じません。
「ワクチンの副反応で死んじゃうかも」とすごく恐れる人は、今の生活を生ききることや、毎日の生活をもっと大事にすることをおすすめします。
そうすれば、寿命が尽きようとするとき、感謝の気持ちで、「楽しかったなあ」と思って、死ねるんじゃないでしょうか。
Nさん、この記事を読んでいたら、また感想など送ってくださいね。