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いまはどちらかというと、持たない暮らしをしている私ですが、若いころは、どうでもいい物をたくさん買い集める暮らし、ためこむ生活、または、お金をドブに捨てる暮らしをしていました。
「どうしてあんな物をあんなにたくさん集めていたのかな」と思うものをシリーズで紹介していきます。
今回は、ブルガリアヨーグルトの砂糖について。
毎日ヨーグルトを食べる女
以前もちらっと書きましたが、その昔、ブルガリアヨーグルト(無糖タイプ)についてくる、砂糖の小袋を大量にためていました。
20代の後半から30代にかけて、毎朝、ブルガリアヨーグルトを食べていた時期があります。4~5年は食べていたと思います。
ほかのメーカーのプレーンタイプのヨーグルトも試しましたが、ブルガリアヨーグルトがいちばん酸味が強く、私の舌に合いました。
たくさん食べるので毎回500グラム(だったと思う)の容器を買っていました。
このヨーグルトに、砂糖の小袋がついていたのです。
砂糖はいらない
すっぱいのが気に入って食べているのですから、砂糖は不用です。
でも、捨てるのはもったいないですよね?
私はコーヒーや紅茶もストレートで飲むので、砂糖の使いみちがありません。
母がインスタントコーヒーを好きなので、「コーヒーを飲むとき使ってね」と言ってみましたが、母は母で、しっかり砂糖を持っていました。
コーヒーシュガーみたいな、細い袋に入った砂糖や、ピラミッド型のパッケージに入った砂糖です。ピーター・ラビットの柄の小さな袋に入った砂糖もありました。
このような砂糖が、小ぶりのかごに大量に入っていました(去年の秋の段階でも入っていました。かごのサイズは小さくなっていましたが)。
たぶん、お中元やお歳暮でいただいたコーヒーについてきたものだったのでしょう。中には見るからに古いものもあり、袋のはしが茶色になっていたりしましたが、母は、こういう物を捨てない人です。
さらに、家にはふつうの砂糖(上白糖)もありました。
いらないのに、使うのはもったいないと思う女
ブルガリアヨーグルトについてきた砂糖はフロストシュガーといって、つぶつぶで、溶けやすい砂糖です。冷たいヨーグルトにもさっと溶けるように、という配慮があったと思われます。
我が家ではあまり見ない砂糖でした。
透明な小袋に入ったフロストシュガーは見た目がきれいで、庶民の母や私からすると、「上等な砂糖」「いつか何かのときに大活躍してくれそうな砂糖」「お砂糖のプリンセス」という雰囲気をかもしだしていました。
ヨーグルトに使わないなら、すぐに袋を破って煮物なんかに使えばよかったのですが、この砂糖には、そうさせない何かがあったのです。
私は、使わない砂糖を大きな半透明の袋(レジ袋にあるような素材の袋です)にどんどんためていました。この砂糖は、確か、一袋に15グラム入っていたと思います。
1つ、15グラムでも、数がたまるとだんだん重くなります。
最初はなにも感じていなかった私も、次第にずっしりとしていく袋を持ち上げるたびに、「これ、いい加減にどうにかしないとまずいかも」と思うようになりました。
結局お菓子作りで一気に使うことに
捨てるのもいやだけど、このままずっしりとした袋を持つのもいやだ、こう思った私は、結局、ためた砂糖をお菓子作りに使うことにしました。
20代後半の、会社をやめてひまだった時期はよくお菓子を作っていました。
会社をやめた頃の話⇒断捨離を始めた5つのきっかけ~私はなぜミニマリストになったのか(2)
しかし、ヨーグルト時代は、あまりお菓子を作らなくなっていました。
久しぶりに、マドモアゼルいく子さんの本をひっぱりだし、砂糖を大量消費できるレシピを探しました。
しかし、マドモアゼルいく子さんのレシピは、砂糖は控えめです。彼
女は、ヘルシーで簡単だけど、おいしいお菓子作りを追求していました(今から考えると、マーガリンを多用していて、あまりヘルシーとも思いませんが、当時としては、ヘルシー路線です)。
袋にたまった砂糖を使い切るには、1個や2個のケーキでは足りない感じでした。
しかし、早く作らないと、砂糖はたまっていくばかり。
よし、今週から、週末には毎日1個ずつケーキを焼こう。砂糖がなくなるまで。
チーズケーキを作り続ける
私が焼いたのは主にチーズケーキです。カナダに来てからは、焼き菓子をよく作っていましたが、昔はチーズケーキのほうが好きでした。
週末になるとチーズケーキを焼いては、食べていました。
考えてみると、チーズケーキはけっこうコストのかかるお菓子です。クリームチーズを大量に使いますからね。
いまは知りませんが、当時のクリームチーズはわりにお高い代物でした。
私は、ためこんだフロストシュガーを消費するために、原材料のコストのかかるケーキを、何個も焼くはめになったのです(自分で選んだ道ですが)。
当時の私は、主婦ではなかったし、母親と同居していたから、食費や生活費の心配なんて一度もしたことがありませんでした。高い洋服を買いすぎて、クレジットカードの支払いができるかな、とはらはらしたことはありますが。
だからこそ、高いクリームチーズでも平気で買っていたのだと思います。
ケーキが焼き上がれば、おやつとしての役割を果たしますが、おやつなら、柿の種や歌舞伎揚げのほうがいいです。
高いお金を出してクリームチーズを買い、カロリーの高いケーキを作って、一人で食べて、脂肪をためる。
私は、こんなことを繰り返していました。
母も、多少はケーキを食べますが、私みたいに大食いではないので、結局、ケーキの大半が私の口に入りました。
私はどうすればよかったのか?
毎日食べているヨーグルトに、必要のない砂糖がついてくる。
こんな状況のとき、どうすればよかったのでしょうか?
昔の私に、いまの私はこんなアドバイスをします。
自分で使う場合:使いやすいようにスタンバイさせる
砂糖を袋に入れたままためるのではなく、すぐに使えるように、袋から出して容器に入れておけばよかったのです。
ヨーグルトを買ってふたをあけたら、すぐに砂糖の小袋を手にもち、はしっこにある切れ目に沿って、袋をあける。用意しておいた空き瓶に、フロストシュガーをさらさらと流し込む。
その後、その瓶を取り出しやすい場所に置いておく。
母に、「砂糖を使うときは、まず、この瓶の中にあるのから使ってね。溶けやすいからね」と言っておく。
母が順調に砂糖を使っているか時々、チェックする。
使いやすいように、あらかじめ、瓶の中に陶器の小さなスプーンを入れておいてもいいでしょう(使わないスプーンも家にはいっぱいあった)。測りやすいように、砂糖専用の小さじを入れておいてもよかったかもしれません。
砂糖が減っていないときは、母に、「ねえ、大学芋食べたいから作ってよ」「ねえ、鬼まんじゅう作ってよ」などと、甘いものを作ってもらうよう頼むのもありです。
何だったら、自分でも砂糖を使うお惣菜を作ればよかったのです(当時、私は料理をいっさいしませんでした)。
自分では使わない場合:すぐに誰かにあげる
自宅では使わないなら、毎日砂糖をあげるべきでした。
ただし、ヨーグルトのおまけの砂糖をあげるのですから、家族や親戚、ごく親しい友人じゃないと、あげにくいかもしれません。
会社で、「砂糖があまってしょうがないんだけど、誰か使ってくれない」といえば、小さい子供のいる主婦の同僚が喜んでもらってくれたでしょう。
月に1回ぐらいの割合で、砂糖をほしいという人たちに手渡せばよかったのです。
もう砂糖はついてないブルガリアヨーグルト
いまのブルガリアヨーグルトにはもう砂糖はついてきません。2014年に、メーカーが中身のヨーグルトをリニューアルしたとき、砂糖の添付も廃止されました。
いまのブルガリアヨーグルトは、「よりまろやかな味」とのことなので、もはや私の好きなすっぱいヨーグルトではないかもしれません。
砂糖の添付が終わるとき、残念がる人が多かったようですが、ヨーグルトを買うのだから、ヨーグルトだけが家に入るほうが筋が通っています。
砂糖がほしかったら、べつのところで、砂糖を買えばいいだけですから。
小袋に入った砂糖を生産し、1つひとつヨーグルトのふたの下にしのばせるのはコストもかかります。それに、ゴミも増えるので、いまの時代には合わないサービスですね。
あの砂糖は、「ちょっとした心遣い」として、使う人の心を楽しませたものであったかもしれません。しかし、「ちょっとしたおまけ」のせいで、暮らしが複雑になってしまう人もいるのです。
それも、たくさん。
ミニマリストへの道を最初から読む方はこちら⇒なぜ私は断捨離をしてミニマリストになったのか?(1)~物がたくさんあっても幸せではなかった
番外編はこちらから⇒ただで物をもらう生活習慣はこうしてできあがった:ミニマリストへの道、番外編1
物をためがちだった私の話⇒人はなぜ物を集めたがるのか?~私はこうして収集癖を断捨離しました
この続きはこちら⇒オーデコロンをため込み、罪深いことをした:ミニマリストへの道、番外編6
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久しぶりの「ミニマリストへの道」いかがだったでしょうか?
昔話なんて聞きたくない、という向きもあるかもしれません。
語学系のツイターを見たら、平成を振り返っている人がいたので、私も振り返ってみることにしました。
といっても、きょう書いたのは、昭和の終わりから平成のはじめてにかけてのできごとです。私は平成8年の春にカナダに来たので、平成といってもあまりピンと来ません。
昭和の思い出はたくさんありますけどね。