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物を捨てることが苦手な人は、全体像を見る練習をすると、今よりうまく捨てられます。
その理由や俯瞰できる力を養う方法をお伝えしますね
みんな「いる物」に見える?
去年、せっせと、断捨離したのに、思ったより物が減らなかったとしたら、「不用品」なのに、「大事な物」や「有用品」と判定するミスが多かったからです。
部屋の片付けをしているとき、1つひとつの物を手に取って、いるか、いらないか、判断しますよね?
人によっては、ときめくか、ときめかないかで決めているかもしれません。
捨てるのが苦手な人は、みな「いる物」「大事な物」「ときめく物」に思えて、なかなか手放せません。
しっかり不用品なのに、「持っていればそのうち使うかも」と思ってしまい、捨てないこともあります。
全体像を見るようにすると、「あればそのうち役立つ」という幻想から自由になれます。
全体像を見るとはどういうことか?
全体像を見るとは、今自分が置かれた状況を、より高い位置から見て、客観的に捉えることです。
俯瞰(ふかん)するとか、鳥の目を持つなどとも言われます。
「木を見て森を見ず」ということわざがありますが、木は、全体を作っている小さな要素や部分(たくさんあります)、森はそうした部分が集まった1つの姿(全体像)です。
木をじーっと見ていると、森全体を見ることはできません。
森の中で迷ったとき、1つ1つの木ばかり見て進もうとしても、どれもそっくりなので、わけがわからなくなり、同じところをぐるぐる回ったり、ますます迷ったりします。
これは近視眼的な行動です。
もちろん、森の中にいたら、森全体は見えっこありません。
しかし、「今、自分は森の中で迷っている」という自分の置かれた状況(全体像)を把握・意識することはできます。
すると、地図が手元にあるなら、地図を見て現在地点を確認して問題の解決法を考えたり、「暗い中を歩きまわっても疲れるだけだ、今日はもう寝て脱出は明日の朝試みよう」と判断することができます。
断捨離における近視眼的な見方
物を捨てることが苦手な人は、森で迷ったときに、木ばかり見る行動をしがちです。
長年、捨てたいと思っているセーターがあるとしましょう。
もう3年も着ていないセーターです。素材はウール。
なぜ、着ていないのかというと、ほかにトップスはたくさんあるし、最近暖冬で、セーターを着る機会そのものが少ないし、ウールだから、洗濯に気を使うし、着ると首元がちょっとチクチクするし、手持ちの服と合わせにくいし、重いのです。
こんなセーター、私なら即捨てです。
しかし、捨てられない人は、こんなふうに考えて、捨てない決断をします。
– このセーター、去年も、一昨年も着なかった。捨てようか、どうしようか? でも高かったし、今は手に入りにくいウールだし、捨てるのはもったいないなあ
– あれば、そのうち着るかもしれない
– 娘が着るかもしれない
– 部屋着にできないこともない
– 老後、年金生活になって服を自由に変えなくなったときに重宝するかもしれない
– メルカリで売れば、私のお小遣いになりそう
これら、すべて近視眼的な見方です。
なぜ、近視眼的かというと、そのセーターの処遇について、セーターばかりじっと見て考えているからです。
断捨離における全体像とは?
では、断捨離における全体像、つまり着ない服やその他のガラクタが集まった全体像とはどんなものでしょうか?
それは、あなたの暮らしそのもの、もっと言えば人生そのものです。
ガラクタをたくさん持っている人は、日々の暮らしを構成する部分として、不用品をたくさん抱え込んでいます。
その結果、生活の質が落ちています。
視覚的ストレスが増え、物理的に邪魔であり、ガラクタの管理に時間や心のエネルギーを取られ、ガラクタを収納するために家賃や住宅ローンを払っています。
自分の持ち物の管理がちゃんとできていない、どこに何があるのかわからず、すぐに取り出せない、外出前にやたらと着るものに迷う、服はたくさんあるのに、気に入ったものがないので、何かあるたびに新しい服を買わねばならない、いつまでたっても部屋が片付かない
こんな居心地の悪さも感じています。
こうした今の自分の生活に目を向けることが全体像を把握することです。
バランスのよい見方をする
何かをするとき、細部を見ることも、全体像を見ることも両方とも必要です。
しかし、物を捨てるのが苦手な人は、細部(セーター)ばかり見がちです。
セーターに限らず、もう使っていないガジェット、集めすぎてしまったバッグ、大昔のセミナーの資料、やるつもり買ったけど、手つかずの語学教材。
こういうものばかりしげしげと見て、捨てる、捨てないを決めようとしていませんか?
あらゆる物が、「いまは使わないけど、あれば、そのうち役立つもの」に見えてしまうなら、目をあげて、そういうガラクタがたくさんある自分の部屋や家、現在の生活がどんなふうになっているのか考えてください。
セーターだけ見ていると、「捨てるなんてもったいない」と思いがちですが、セーターに代表されるガラクタがたくさんある部屋を客観視できれば、「捨てたほうがいい」と考えることができます。
だって、そのセーター、着てないんですから。
俯瞰は誰でもできる
細部にばかりこだわってしまうのも、上から俯瞰して見るのも、考え方の癖です。
いつも、「このセーター、どうしようかしら?」とセーターばかり見ている人でも、私が、「ちょっとセーターから目をあげて、あなたの部屋全体を見てください」とか、「そのセーター、あなたの人生に本当に役立っていますか?」と言えば、部屋や人生全体を見ることができます。
すると、ほかにもうんざりするほどガラクタがあって、家がぐしゃぐしゃなことも、物の奴隷として生きている今の生活にも気づきます。
誰でも俯瞰することはできるのです。
やればできる。
ただ、ふだんそういう習慣がないため、これまで、部屋を片付けるたびに、ずっとセーター(タオルもよくあります)ばかり見てきたのです。
その結果、今、汚部屋にいるなら、今年は、全体像を見る練習をおすすめします。
全体像を見るスキルをあげるには?
俯瞰力や全体像を見るスキルをあげ、そういう習慣をつけるのは難しくありません。
セーターばかり見るのをやめて、生活全体を見る機会を増やせばいいだけです。
手帳や洋服ノートに、「俯瞰する」とか、「全体を見る」とリマインダーを書いておくと役立つかもしれません。
さらにこんなこともしてみましょう。
ゴール(それをする理由)を意識する
何のために断捨離をしているのか、思い出してみましょう。
たいてい、不用品を手放して、生活の質をあげたいから断捨離をしているのだと思います。
そんなとき、そのセーターにそこまでこだわる意味があるでしょうか?
完璧主義を捨てる
何かを完璧に仕上げたい、という傾向のある人は、細部にこだわりがちなので、完璧主義を捨てましょう。
小さなことにこだわるのをやめる
小さなことにこだわりすぎるのをやめます。
実は、私も、細かいことにこだわる傾向があり、ささいなことに目がいきます。
この資質が、自分のためになることもありますが、細かいことにこだわりすぎて、仕事がいつまでも終わらない、という面もあります。
たとえば、ブログで使う写真選びに時間を使いすぎたりとか。
そこで、細部にこだわるのはそこそこにして、全体的に見たときの仕事の質を重要視するよう心がけています。
考える時間をもうける
物事を客観的に見る時間を作ってください。
断捨離というプロジェクト、仕事、家事、その他、自分にとって重要なことは、振り返る習慣をつけるといいですよ。
日記を書いたり⇒10年前の日記を読んで思うこと、そして日記をつけるメリット。
モーニングページを書いたり⇒ネガティブ思考改善にモーニングページがいい~今月の30日間チャレンジ
家族や友人と話し合ってもいいです。
「日記やモーニングページは書くのは時間がかかるからやりたくない」という人は、ほんの数分使って、できごとを振り返るだけでも効果があります。
このとき、「うれしかった」「かなしかった」「くやしかった」「ものすごく頭に来た」「心配だ」だけでとどめず、一歩掘り下げて分析するとさらにいいです。
一喜一憂して終わらせないほうが、全体像を見る力がつきます。
関連記事もどうぞ⇒捨てる・捨てないで迷ったときの3つの考え方~しっかり自分に向き合えば、決められる。
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物を捨てるのが苦手な人に、全体像を見ることをおすすめしました。
物事を俯瞰して見るスキルは、断捨離以外にもいろいろと役立つので、ぜひ生活に取り入れてください。