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今回は、以前、「野望ガラクタ」という名前で紹介した、「なりたい自分になるために買った物(だけど使ってなくてずっとそこにある物)」を捨てるすすめです。
人間には向上心があり、誰もが夢や希望を持って生きています。
この世に心底絶望している人は、たぶん死を選びます。
よって、生きている人は、みな、常に、「もっとこうなったらいいな」と思っており、その気持が野望ガラクタを増やしてしまうのです。
定期的な見直しをおすすめします。
なりたい自分になるために買った物(野望ガラクタ)とは?
野望ガラクタとは、もう1人の自分になるために買った物がたまったものです。
(人からもらった物ではなく)自分で身銭を切って買ったのに、不用品になってしまう物の多くに見られます。
これを買えば、こんな自分になれるんじゃないかな? こんな習慣が身につくんじゃないの? こんなことができるようになるんじゃなかろうか? そうなったらいいよね、
と期待を込めて買ったものの、使わない物がたくさんあります。
買う動機や意図は素晴らしいのですが、その意志を最後まで貫徹できないのです。
私で言えば、中国語の教材がそうでした⇒中国語の教材と本を断捨離するのに12年かかった私がとうとうたどりついた真実とは?~ミニマリストへの道(18)
この教材は、学校で使うために買ったものですが、卒業したあとも、これを使って勉強するかも? と思い、わりと長々と持っていました。
使うつもりで買ったのに、なぜ使わないのか?
野望ガラクタはただのガラクタではありません。
それを買うとき、自分は、大いなる期待を抱いていました。「これを使って(着て)こんなふうに人生を変えよう」と思っていたのです。
かなり前向きな買い物です。
たぶん、それは衝動買いではなかったでしょう。
自分の生活について、それなりに考えて、「よし、これで行こう!」と決めて買ったのだと思います。
それなのに、なぜ使わないのでしょうか?
たぶんこんな理由からでしょう。
1.本当の自分と距離がありすぎる物だった
2.そうなりたい、と思っていたつもりだが、実はそれは自分の本当の望みではなかった(世間やメディアの意見、流行に合わせていた)
3.そうなりたい、と思っていたけど、気が変わった
4.野望ガラクタが多すぎて、時間的に使い切れない
5.野望ガラクタが多すぎて、しまいこみ、その存在を忘れている
6.最初の一歩を踏み出せない(完璧主義)
7.買っただけでゴールを達成した気になっていた
私は編み物ができるようになりたいと思い、大昔、ハイセンスで編み棒セットを買って、ながながと持っていました⇒私が捨てやすかったもの、捨てにくかったもの~30年近い断捨離を振り返る
私が編み棒を使わなかった理由は(ワンシーズンだけ編み物しましたが)、上に書いた2番、6番、7番あたりだと思います。
本当に編みたかったら、編んでるはずです。
私は子供が生まれてから、14年ぐらいはほぼ専業主婦だったので、時間もありました。
しかし、その14年間、私べつのことをしていました。
家事や育児、学校のボランティア、アルバイトなどをのぞいたほかの時間は、昼寝したり、読書したり、ブログ書いたり、趣味の語学に費やしたりしていたのです。
ということは、やはり、編み物は私が本当にやりたかったことではないのです。
なりたい自分になるために買ったものの例
理想の自分になるために買った物がたくさんひそんでいるジャンルを紹介します。
1)情報がついているもの
まず情報がついているものを探して捨てます。
もっとこんな自分になりたい、と思うとき、人がまっさきに思いつくのは勉強することです。
よって、勉強の素材、つまり各種情報がついているものは、野望ガラクタと化しやすいです。
たとえば
■自己啓発書
未読本やもちろん、1回ぐらい読んでそのままになっているものはガラクタになっている可能性が高いです。
自己啓発書は、読んだだけではまったく役に立ちません。読んで実践⇒結果をフィードバック、軌道修正⇒また読んで実践⇒また結果をフィードバック、軌道修正、この繰り返しです。
これは片付け本にも言えることです。
本を何百冊読んでも、実際に身体を動かして片付けないと、部屋は全く変わりません。
関連記事⇒いくら断捨離本や片づけ本を読んでも部屋が片付かない本当の理由
■料理本
こんな料理ができたらいいな、こんな料理を作ってこんな生活をしたい、と思って買ったけれど、全然作らないなら、もう捨てましょう。
料理本は捨てても大丈夫な話⇒料理本を断捨離(全捨て)した。いくらレシピがあっても料理上手にはなれない
■資格を取るための参考書、問題集
資格試験の内容は年々、変わるので、あまりに古い物は捨てたほうがいいです。
もちろん、もうその資格を取るつもりがない時も。
■セミナーや勉強会の資料
すでに終わった勉強会の資料やノートも、いま、使っていないのなら野望ガラクタです。
■新聞や雑誌の切り抜き
切り抜いたまま何年も放置しているだけなら捨てます。整理や管理に使う時間も馬鹿になりません。
切り抜きではないのですが、この記事を書く前に、去年の日めくりで、読もうと思って残していたものを捨てました。
スヌーピーのまんがの日めくりです。このまんが、セリフの文字がものすごく小さくて、老眼鏡を読みにくい。
少しずつ読もうと思ってためていました。
裏には、こんな「きょうは何の日」みたいな記事や、なぞなぞ、パズル、塗り絵もついています。裏も読もうと思っていましたが、捨てました。
日めくりとしての役目は果たしてくれたのでそれで充分です。
■デジタルな情報
デジタルデータとして、情報をたくさん持っている人もいます。
電子書籍、PDFファイル、音声データ、各種ブックマーク、あとから読むためにダウンロードした何かなど。
デジタルデータは、かさばらないので、いくらためても部屋は散らかりません。
しかし、それを消費するのは、アナログな存在の自分だということを忘れてはいけません。アナログデータを消費するのと同じだけ、時間が必要です。
今後使う気があるのか、そもそも消費する時間があるのか、そこを考えて、「ちゃんと使う」と思うものだけを残すべきでしょう。
2)趣味にかかわるもの
次に見直すのは趣味グッズです。ここ数年、手をつけていない、趣味に関する物は、たぶんもうガラクタです。
こんな自分になりたいな、と思って、新しい趣味に手を出す人は多いです。
「どうしてもそれをやってみたい」「やったらすごく楽しそう」という純粋な動機から始めたとしても、飽きてしまったり、自分には合わないとわかったり、ほかの趣味に目移りしたり、なんてことがあります。
「いま、流行ってるから」「友達もやっているから」「(出会いを求めて、または家にいるのがいやだから)習いにいきたいから」「履歴書に書きたいから」「これができるとかっこいいから」「人に自慢できるから」といった理由で始めた趣味は、当初の目的を達成できたら、もう用なしになっています。
流行が終わったり、履歴書に書いたりできれば、もう役目を終えているのです。
「いまはもう楽しんでいないな」と思う趣味グッズは捨てたほうがいいです。
「作りかけの何か」も、いいかげん、あきらめて捨てるか、「10連休のあいだに手をつけなかったら捨てる」と手をつける期限を決めて、それでもやらなかったら、捨てることにするといいでしょう。
趣味グッズの捨て方⇒趣味で使う服や道具を捨てられないと悩んだらこうしてみる
3)未来の自分のために持っているもの
いまの自分とは違う、こうなっていてほしい未来の自分のために買ってずっと持っている物を見直します。
たとえば、「そのうちひまになったら読みたい本、やりたい趣味グッズ」「そのうちやせたら着たい服」「子供の手が離れて勤めに出るとき着たいスーツ」「リタイア後、田舎に引っ越したら使いたい調理道具」など。
「そんなもの持っている人いるのかなあ」と思うかもしれませんが、意外と、こうした不確定の未来のために、物を買ったり、捨てないで持ち続ける人はいます。
私が、全然読んでいない文学全集が並んでいるのを見て、「老後に読むのかなあ」と、ぼんやり思っていた話は、以前書きました⇒授かり効果のせいで捨てられない物を捨てられるようになる考え方
捨てるのがいやだから、「将来的に孫に使わせよう」と考えて、持ち続けることもあります。
先日、半年後に入居する家で使う物が、現在の部屋のスペースを圧迫している、という相談メールを紹介しました⇒インテリアが趣味で、部屋も倉庫も物だらけで困っています
この方の場合、引っ越しするのはかなり確実ですが、それでも私は、今日という1日を快適に過ごすことを優先したほうがいい、と考えます。
未来の自分のために用意した物が1つや2つならいいのです。けれども、たくさんあって、生活しにくくなっているのなら、「未来に必要になったら、そうなった時に調達すればいい」と考えたほうがいいんじゃないでしょうか?
このほか、健康になるためのグッズや、スポーツ用品などにも、野望ガラクタがひそんでいます。
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半期に1度の野望ガラクタ捨て祭りのススメ。今日こそ現実と折り合いをつけよう。
すごく高かったけど野望ガラクタをさっぱり捨てて次へ行きます!
実家にあった自分の物をコツコツ捨てるうちにとても楽になった。
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向上心を持って暮らしたり、目標を持ったりするのはいいことですが、そのせいで、ガラクタをたくさんためこむのは自分のためになりません。
理想とはほど遠い自分、まだそうなっていない自分も、自分にほかならないのです。そういう自分を「これも私だ」と受け入れることができれば、野望ガラクタも意外と簡単に捨てられるでしょう。