ページに広告が含まれる場合があります。
不用品を捨てようとするとき、罪悪感を感じて、捨てられないことがあります。
そんなときどうしたら、ちゃんと捨てることができるのか、詳しく説明しますね。
最初にやること:気持ちに向き合う
まず、自分がどんな罪悪感を感じているのか、どんな気分でいるのか、自分の気持ちに向き合ってください。
おすすめは、書き出すことですが、ちょっと考えるだけでもいいです。
一口に罪悪感といっても、いろいろあるので、いったい何に対して罪悪感を感じているのか調べましょう。
そして、罪悪感を感じたまま、不用品を捨てないでいることが、自分のためになるのか考えてください。
不用品を捨てないと、捨てるときに生じる罪悪感は感じなくてもすみますが、べつの罪悪感が続きます。
たとえば、
・買ったものをちゃんと使うことができない罪悪感
・もらったものを無駄にしている罪悪感
・部屋をくしゃくしゃにしておくことに対する罪悪感
・断捨離しようと決めたのにそうできないことに対する罪悪感
こんなネガティブ感情を引き受けなければなりませんが、それはそれで、嫌じゃないですか?
では、ここから、不用品を捨てる時に感じるよくある罪悪感を4つ紹介します。
無駄遣いしたという気持ち
まだきれいなものを捨てるとき、「お金がもったいない」と思いますよね? 捨ててしまうのはお金を無駄にすることだと罪悪感を抱くでしょう。
お金を無駄に使ってしまったのは、確かにそうですが、これまで何年放置していたか知りませんが、すでにもったいないことはしてしまっており、今さらどうこうできません。
高かったから断捨離できない? 埋没費用はどのみち回収できません
これから使うことができれば元を取れるかもしれませんが、使うことができないからガラクタになっているわけです。
ちゃんと使うためには、意識改革が必要です。
こちらの記事を読み⇒いつか使うかもしれない、と思うものを本当に使う方法、あるいは見切りをつける方法。
使うのか、使わないのか、態度をはっきりさせましょう。
「ああ、せっかくのお金を無駄にしてしまった…」という気持ちが強い人は、このたびの断捨離を、学びの機会ととらえるようにしてはどうでしょうか?
不用品を物置や押し入れに入れっぱなしにしておいても、何の学びも得られませんが、捨てれば、過去の失敗や判断ミスと向き合い、そこから学びを得ることができます。
実際私も、たくさん捨てたからこそ、使い切れないほど本や衣類を買うことはなくなりました。
もらったものを無駄にする罪悪感
人からもらったものを捨てるのは、自分のものを捨てるときとは別の罪悪感があります。
せっかくの好意を無にしてはいけない、とか、大切な人たちとのつながりを断ってはいけない、という気持ちです。
このような罪悪感があるときは、自分が贈り手だったらどう思うか、考えてください。
あなたは誰かにプレゼントしたものを、相手にずっと持っていてほしいと思いますか?
もちろん、末永く、大事に便利に使ってくれたほうがうれしいでしょう。しかし、ギフトを捨てようかどうか悩んでいる人は、その品物をちゃんと使うことができない事情を抱えています。
似たようなものをたくさん持っているため、全く出番がない、そもそも、ふだんの生活で自分が使うものではなかった、使うものではあるが、趣味がまったく合わない、ちょっと使ってみたら、ものすごく使いにくかった、など。
家に置いておいても意味がないから、手放そうと思っているのです。
そのような人を、あなたは責めますか? 善意で贈った品物が、相手の生活の足かせになっていても平気ですか?
ギフト品は、自分で選んだものではないから、好みじゃないとか、うまく使いこなせないということは、いくらでも起こります。
そのような贈り物は家の中でガラクタにしておくより、手放したほうがいいですよね?
私なら、誰かが私のギフト品を捨てても、理解を示すつもりです。
まあ、人にものをプレゼントしたら、ほぼその瞬間に、何をあげたかなんて忘れるし、私があげたものが、その後どんな運命をたどろうとも、私の関知するところではありませんが。
ギフトを捨てることに関しては、過去記事にたくさん書いているので、贈り物を手放せないで汚部屋になっている人は、いくつか読んでみてください。
たとえばこれ⇒「贈り物」という名のガラクタを増やさない7つの方法。
環境に対する罪悪感
ものを捨てるとゴミが増えるから、環境を汚しそうでそれが申し訳ないという気持ちを抱く人もいるでしょう。
確かに、捨てれば、処理すべきゴミが増えます。
しかし、家の中に置いておいても、いつかゴミになります。どうせゴミにするなら、早いタイミングのほうがいいのではないでしょうか?
新しいものなら、人に譲ったり、寄付したりすれば便利に使ってくれる可能性があがりますから。
今、あなたが50歳で、これから30年間、ずっと「使わないもの」を持ち続け、80歳になったとき、介護ホームに行くためにダウンサイズするとしましょう。
そのとき、30年間、使っていなかったものは手放すことになります。
ものにもよりますが、30年も放置しているとけっこう劣化するので、今さら人に譲ることはできません。
しっかりゴミになります。30年後の世界なんて想像できませんが、今のまま続くと、ごみの埋め立て地や焼却場が限界に達し、環境への負荷が増大しているかもしれません。
逆に、ごみ問題に関して、新たな技術や解決策が生まれていて、今より、ものをうまく循環できる社会になっているかもしれません。
あなたは、30年後にごみ問題の解決が向上することを期待して、できるだけ長く、不用品を家に置いておくことにしますか?
30年間、不用品をキープし続けると、それなりにリソース(時間、お金、体力、意識)を使うことになりますが、それでもいいですか?
もったいないから捨てない。この決断のせいであなたが失っているたくさんのもの。
今、思い切ってゴミにしてしまえば、今後は、ガラクタを増やす生活をしない可能性が増えますが、そのチャンスを逃してでも、何十年かあとにゴミにすることを選びますか?
周囲の期待に応えられないという気持ち
「お金を出して買ったものはちゃん使おう」とか、「ものは大事にしよう」という期待やプレッシャーを社会や親から受け取っているとき、不用品を捨ててしまうのは、罪悪感を抱く行動です。
自分の母親が、不用品っぽいものでも、うまく再利用して、生活の中で使っていた(たとえば、おせんべいの缶を、小物入れにしていたとか)のを見て育てば、使わないものを、ぽいぽい捨てることには、罪の意識を感じるでしょう。
不用な贈り物なのに、断ることができず、ずっと持ち続けるのも、相手の期待に応えたい、応えなければいけないという気持ちからだと思います。
このような人は、「べつに期待に応える必要はない」と考えてください。
実際、そうですよね?
自分には自分の事情があるのだから、いつも、社会や人の期待に応える行動をすることなんて不可能です。
人は人、自分は自分です。
期待に応えないと、嫌われると思っているかもしれませんが、嫌われません。
なぜなら、「期待されている」という気持ちは、自分が勝手に作っているだけだから。
それでも、やっぱり親の期待に応えたいと思いますか?
もしかしたら、あなたのお母さんは、ことあるごとに、「ものは大事に使わなあかんよ」と言ったかもしれません。でも、親が子どもに期待していることって、お金やものの使い方ではなく、「健康で幸せに生きてほしい」ということだけですよね?
だから、自分が幸せになる選択をすればいいのです。
そして、それは不用品を捨てることだと思います。
■こちらの記事も読んでください:
⇒いらない物を捨てるときにつきまとう罪悪感を手放す7つの方法。
⇒高かった服を捨てるのはお金を捨てるような罪悪感があり、捨てられません。
*****
断捨離中に感じる罪悪感の対処法を紹介しました。
罪悪感はごく自然にわきあがる感情ですが、その感情に従う必要はありません。
自分が罪悪感を感じる理由や、罪悪感のもとになっている価値観について考えて、自分のためになる合理的な選択をしてください。