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タメコミアンの私がミニマリストになった過程をつづっています。今回は私が服を捨てるために、6年前の夏に10日間だけやっていたことをお伝えします。
服を捨てるためにやったこと。それは、毎日古着をドーネーションビン(donation bin)に捨てに、いえ、寄付しに行くことでした。
50歳にしてようやく真剣に断捨離に取り組む
2009年、50歳になる年の初め。筆子は今度こそ徹底的に物を減らして、すっきりした環境の中で暮らす決意をしました。
毎日フライレディのメールを読みながら、自分なりに片付けのルーティンを作って断捨離、掃除、また断捨離、掃除。
フライレディは決してミニマリストではなく、どちらかというと家の中の掃除のやり方や、家事の切り盛りの方法を教えてくれる人です。
メールを読んでいると、そこまでシンプルライフを推しているような印象はありません。
「ガラクタを捨てろ」と言いますが、家の中をきれいにするためには、「いらない物は捨てざるを得ないから」というスタンスです。
私はフライレディのメールの講読を始める前にカレン・キングストンの「ガラクタ捨てれば自分が見える」を読んでいたので、もっと徹底的に捨てたいと思っていました。
家事の仕方はフライレディのやり方にのっとりつつ、「物減らし」は自分でいろいろ工夫しながらをがんばっていました。
さまざまな物を捨てましたが、この年の夏、特に減らしたのは洋服です。
フライレディーをご存知ない方はこちらをそうぞ⇒すっきり片付いた家にするための12の習慣~フライレディに学ぶ
カレン・キングストンについてはこちら⇒『ガラクタ捨てれば自分が見える』で衝撃のスペースクリアリングに出会う~ミニマリストへの道(20)
ある日古着回収のお知らせをもらった
2009年の夏、10日間だけ、毎朝近所にあるドーネーションビンに古着を寄付しに行っていました。ドーネーションビンとは寄付専用の大きな金属製の入れ物です。
ドーネーションビンの例:この青いのがそうです。
もちろんマットレスはこの前に捨ててはいけません。この入れ物は服と靴だけを入れろ、と表示があります。ですが、たまにこのドーネーションビンをごみ箱だと誤解している人がいます。
ドーネーションビン参りを始めたきっかけ
この年の6月の下旬、ポストに「古着などの寄付をただで取りに来ます」というお知らせの紙が入っていました。
そこで、物置に入れておいた寄付箱2つに新たにもう1つ箱を作って、朝外に出しておきました。
寄付箱(きふばこ)とは、チャリティセンターに持って行く不用品を入れておく箱のこと。私は勝手に「寄付箱」と呼んでいます。
当時から私は寄付箱をせっせと作っておりました。
はりきって3箱出しておいたのに、夜になっても箱は置かれたまま。見落とされてしまったのか、ピックアップがなかったのかどちらかでしょう。
お知らせの紙には、「もし午後8時までにピックアップされなかったら、お手数ですが○○に電話するか、△△のところにあるビンに入れるかしてください」とありました。
このビンがドーネーションビンです。てビンのある場所は家から徒歩で片道10分足らずでした。
ここは、昔、小さなスーパーがあったところ。スーパーは、ちょっと前につぶれてなくなっていました。ビンのようなものがあることは知っていましたが、あまりしっかりは見ていませんでした。
私は翌週から早起きして毎日少しずつ、箱の中身をビンのところまで歩いて持って行くことにしたのです。
10日間、古着を断捨離し続けた
初めてビンに行ったら、「衣類専用」と書いてありました。いらない雑貨もたくさん持っていたので、ちょっと残念。ですが、衣類だけでも家から出すことに意義があると思い、その日からドーネーションビンに通いました。
車をならば、トランクに箱を積んで一往復ですむところです。わたくしは、毎日少しずつ、山をくずすように服を運んでいました。
このビンまで行って戻ってくるとだいたい18分ぐらい。散歩としては短いのですが、目的があるので続けられそうな気がしました。
それまで何度も散歩を試みていましたが、ただ歩いているだけだと、時間がもったいない気がして、なかなか続かなかったのです。
「洋服を捨てたい」という強い目的があったので、このドーネーションビン通い、続きそうな気がしました。
私は夏中、通うつもりでいました。
ドーネーションビン通いは10日で中断
雨の日1日をのぞいては、その年の6月29日から毎朝せっせと、古着を持って歩いていました。ところが、7月9日をもって、このプロジェクトは唐突に終わってしまいました。
処分する衣類がなくなってしまったのです。もともと私はTシャツなどの綿の古着は、小さく切って使い捨てウエスにして、どんどん使っていました。
ウエスの作り方はこちら⇒ウエスの作り方と使い方~拭き掃除だけが好きな主婦のおすすめの掃除道具
「ミニマリストへの道」を最初から読む方はこちらから⇒なぜ私は断捨離をしてミニマリストになったのか?(1)~物がたくさんあっても幸せではなかった
その前からリサイクルを心がけていたので、自分の衣類に関してはあまり捨てるものがなかったのです。娘のものもかなり処分しました。
せっかく散歩の習慣がついたのに残念でした。そこで翌日からルートを変えて手ぶらで30~45分ほど歩くことに。この習慣は寒くなってスロージョギングに変わるまでずっと続きました。
このように、はからずもたった10日で終わってしまったリサイクルビン通いですが、2つの大きな収穫がありました。
1.服がだいぶ減った。
2.散歩の習慣がついた。
習慣をつけるには、毎日同じような時間に同じようなことをすればいいのです。さらにトリガー(その行動のきっかけ)を意識すれば完璧です。
このときの私の散歩のトリガーは、寄付箱や家の中にあったいらない服でした。
もういらなさそうな服を見ると、私の脳裏には自動的に青いドーネーションビンの姿が思い浮かんだのです。
ただ、当時の私はまだミニマリストではありませんでした。
このときは「もう捨てる服がない」と思っていましたが、まだ100着ぐらいは服を持っていたのではないでしょうか。
このあとも、気づいたときに、服を1枚、また1枚と断捨離しました。翌年の秋にプロジェクト333をやって、さらに服が減りました。
プロジェクト333の説明はこちら⇒3ヶ月33アイテムでおしゃれを楽しむ方法~アメリカの女性ミニマリストに学ぶ、プロジェクト333
次の「ミニマリストへの道」はこちら⇒挫折寸前、なんとかふんばれたその理由とは?~ミニマリストへの道(42)
2010年頃には、すでにふだん着るものはほぼ決まっていて、3ヶ月間33着未満で暮していました。ただ、めったに着ない服をまだ捨てずに持っていたのです。
プロジェクト333をやっていた頃は、すべてのアイテムをあわせて70着ぐらいあったと思います。着ない服をすべて断捨離して、ワードローブを20着未満にしたのは、2015年のことです。
断捨離は一日にしてならず、ですね。