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引っ越して1年以上たつのに、未だに自分の引越し荷物をキッチンから引き揚げない夫。
こんなふうに、家族の中に物持ちな人や、物をためこんで片付けない人がいる場合、どうしたらいいのでしょうか?
デール・カーネギーの「人を動かす」を読んで学んだ、「片付けない人を動かす」方法をお伝えしたいと思います。
まずは、我が家の問題を少し詳しく説明します。
物を持ちすぎている夫
ミニマリスト主婦の私は、最小限の物を持ち、物を使っていないときはどこかにきっちりしまっておく状態が理想です。
何も出てないほうが好きなんですね。
ところが、夫は違います。彼は物が片付けられないわけではありませんが、何しろ所持品が多すぎます(私基準ですが娘も多いと言っている)。
1年3ヶ月前にこの家に引っ越してきましたが、未だに彼の荷物(段ボール箱)がキッチンのダイニングテーブルの下や、壁際に積まれています。
おりにふれ、何度も「片付けてよ」と言いましたが、効果なし。
実際問題として片付けるスペースがないので、この問題を解決するためには、夫が
●不用品を断捨離する
●どこかに貸し倉庫を借りてそこへ箱を持って行く
この2つの解決策しかありません。
実は、この2つ、すでに私から夫に提案しております。しかし、本人がその気にならない限り実現しません。
そこで、私は今年になってから、作戦を変えました。まず今月の30日間チャレンジは、「不平不満を言わない」ですので、文句を言うのをやめました。荷物に関する苦言は年が開けてから一言も呈していません。
1月の30日間チャレンジ⇒1ヶ月文句を言わない挑戦中:1月の30日間チャレンジ
さらに、デール・カーネギーの本を読み、他人は自分とは違う、他人の考えていることは自分に理解できないのはあたりまえだ、ということを身をもって、理解するように努めています。
この本、読めば読むほど、他人には他人の物の見方があるんだ、ということがわかります。
その上で、今はこんな作戦をとっています。果たしてこれで、何かが変わるのか、現段階ではわかりませんが、少なくとも私のストレスは多少軽減されました。
同じような悩みをお持ちの方の参考になれば幸いです。
☆ミニマリストが片付けない家族と共存する4つのコツ
1.相手には相手のやり方があることを理解(しようと)する
ガラクタが部屋にいっぱいあると、ストレスを感じたり、注意力が散漫になり、いらいらします。これには科学的な裏付けがあります。
詳しくは⇒集中できないのはぐしゃぐしゃの部屋にいるから。ガラクタは脳にも悪影響を与えています
しかし、同じように物がいっぱい部屋に詰まっていても、それをガラクタとして認識していないと、必ずしもこの限りではありません。
ものがたくさんあると、安心感を感じたり、楽しい記憶を思い出してほっこりしたり、それを誇りに思う人すらいるそうです。
フィギアなんかを集めている人はそうかもしれませんね。コンプリートしたうれしさをかみしめているのかもしれません。
夫の場合、何を感じているのか知りませんが、古い物に郷愁を覚えているのかもしれません。
夫は若いころ、仕事でわりといろいろなところに旅をしており、その頃使っていた古ぼけたトランクを、今は、自分のクローゼットで使っています。古い旅行かばんを広げて、クローゼットの床に置き、そこに衣類や靴下を入れているのです。
娘はこれを見て、「きっと、家では落ち着けないんじゃない?旅に出たいとか、ここにはいたくないという気持ちの表れじゃないの?」と言いました。
最近、私は、「もしかして若い頃、いろいろ旅したことを忘れたくないのだろうか?」と考えています。そういえば、彼はインドネシアかどこか東南アジアで買った丸い木彫の飾りを壁にかけています。
私にはガラクタに見えますが、本人にとっては大切な記念品なのかもしれません。
物はすごくたくさんあるのですが、もしかしたら、それなりの規則にのっとって、夫にとっては使いやすく置いてあるのかもしれません。
彼は自分とは違う人間なのだから、夫のシステムをとりあえずは尊重しようと思ったら、少しストレスが減りました(しかし、夫の荷物を見ると、めまいがしそうなのは変わりません)。
2.家族が家事を手伝ってくれたらできるだけお礼を言う
デール・カーネギーの本には、パート1に、人を動かすための3つの基本的なテクニックが書かれています。これは原理原則と呼べる、1番大事な部分です。
この3つは
●相手を批判しない、責めない、文句を言わない
●正直な心からの感謝を伝える
●相手の心の中に欲求を芽生えさせる
です。
批判しないだけでなく、お礼を言わなければなりません。それも心から。表面的なお世辞はかえって逆効果です。
そこで、夫が何か家事をしてくれたら、「ありがとう」と言ってみることにしました。
庭仕事が好きな夫ですが、今の家では、庭をさわれません。手持ち無沙汰なのか、夫は休日になると、自分が買ってきたものすごく大きな音のする掃除機で、掃除を始めます。
以前私が、週末に掃除をしていたら、「うるさいから、自分のいない時にやれ」と言ったのに。
私がパソコンに向かって集中してブログを書いている、そのすぐ横で爆音をひびかせているのです。
前は、「うるさいからやめてよ」と言っていました。そこをぐっとこらえて、「掃除をしてくれてありがとう」と言うようにしてみました。
うるさいのに変わりはありませんが、夫が掃除機をかけてくれると、自分の仕事が1つ減るのはまぎれもない事実。ですから、私が「ありがとう」と言うのは、心からのお礼と言えましょう。
物の本によると、こういうふうに家族にお礼を言うと、全体的に友好的なムードをかもしだすことができるため、望む変化を起こしやすいそうです。
事実、去年、夫に文句を言っても、荷物は全く片付きませんでした。そこで、今は逆に感謝の気持ちを伝えるようにしています。
この感謝は偽りであってはならないので、荷物を放置していることにはふれず、何か別のことで、夫が家事に貢献してくれたらお礼を言っています。
掃除機をかけるほかは、ゴミを捨ててくれたり、トイレの掃除をしてくれたりしたときに言っています。
実は以前はそんなことにいちいちお礼を言っていなかったのです。というのも、家事を折半するのは当たり前だと思っていたからです。
しかし、やはり少しでも家事をやってくれると助かるので、お礼を言うべきでしょう。
まだやり始めて日がたっていないので、大きな変化はありませんが、先々週の日曜日は、私がジョギングに行っている間に、掃除機をかけてくれていました。
3.家族との妥協点を見つける
デール・カーネギーは、「相手にその気にさせなさい。相手がその気にならなければ何を言っても、やっても無駄です」と書いています。
人は自分にとってメリットのないことはやりませんから、荷物を片付けることに夫自分がメリットを見出さなければ、絶対片付けません。
これまでのことろ、何もメリットを感じていないから、いつまでも片付けないのです。何かの奇跡が起きて、夫が私のようなミニマリストになれば問題は解決しますが、たぶんそんなことは起きないでしょう。
ということは、自分の望む状態をキープしつつ、相手の望みも尊重した妥協点を見つけなければなりません。
家族の中で、1人が片付いた部屋が好きで、もう1人が、くしゃくしゃの部屋が好きな場合、妥協点を見つけるしか方法はないのです。
たとえば、いくらくしゃくしゃにしてもいいけれど、自分の部屋の中だけでやってもらう、とか。
娘に対してはこの希望が通りました。娘の部屋は基本的に汚部屋ですが、ほかの部分は娘のものがどうしようもなくあふれているわけではありません。
どこに妥協点を見つけるかは、その問題によりますが、自分の意志も否定せず、相手の意志も否定しないポイントを見つけることが大切です。
決してどちらかが正しくて、どちらかが間違っている、という状態に持っていってはいけないのです。
物をくしゃくしゃにする人と同居するときは、以前も書きましたが、自分のエリア(聖域)と相手のエリアを作るといいと思います。
聖域について⇒ガラクタのない場所を1つだけ作ってみる~家族持ちのミニマリストの悩みを解決
それぞれのエリアを家の中に作ることは、お互いの意志を尊重した妥協点を作っている、と言えましょう。
4.「それは致命的な問題なのか?」客観的に分析する
一方がきれい好きで、もう一方が散らかし好きの場合、その「散らかしぶり」の何が問題なのか、冷静に判断する必要があります。
私は夫が台所に荷物を置いているのが気に入らないのですが、これは私個人の感情的な反応にすぎません。
その荷物が家族の生活の存続を著しく妨害しているのでなければ、冷静に考えると、「たいした問題でもない」と言えるのです。
夫の荷物は1年以上キッチンに置かれたままですが、それでキッチンがキッチンとしての機能を果たさなかったか、というと「それは違う」と言わざるをえません。
私は毎日普通に食事を作り、家族もふつうに食事を食べていました。シリアルの箱や娘のおやつのストック、夫自身のおやつが、夫の荷物を入れた箱の上にのっており、「引っ越してきたばかりで、まだ荷物が片付いていません」という雰囲気を漂わせているものの、それは生きるのに致命的なことではないのです。
私が今とっている方法は、「別に命が脅かされるわけでもないので、見てみぬふりしよう」です。
* *** *
今のところ、私はこの4つをやっています。同時に、どうしたら、夫に、自分から荷物を片付けなければならない、という気にさせることができるのか、考えています。
引き続き自分の物を断捨離し続けて、夫の荷物を目立たせることぐらいしか思いつきません。よって、今もぼちぼちと捨てています。また何か進展がありましたら、報告します。